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過去(前編)

 

 わたしがいたのは、『カモメのゆりかご』と呼ばれる、児童養護施設でした。

 その日は、小学生低学年の男の子と女の子が、台所とつながっている居間に12人もいました。

 みんな好き勝手にさわいでいます。

 おもちゃなんて、その辺りに転がしっぱなしなんて当たり前。

 ひどいときは、居間のカーテンを引っ張って破いてしまうこともあります。

 わたしは料理をしていた手をとめて、子供たちにむかって怒鳴りました。


「あ……っ、ちょちょちょ……! やめてください! カイくん、かなこちゃんのスカートを引っ張ったらダメですよ!」


 しかし、残念。かなこちゃんのスカートは、カイくんに無理やり引っ張られて、破けてしまいました。

 ここの子供たちの洋服は、みんな誰かのお古です。

 破けたら年長者がつくろってまた次の子供が着る、という経済的なシステムなので、ふつうの洋服よりも縫い上げた部分が破れやすくなっています。

 かなこちゃんは白いパンツが丸見えで、とても恥ずかしかったのか、泣き出してしまいました。

 わたしは、わんわん泣きだしてしまったかなこちゃんのそばまで駆けよりました。

 彼女の、ちいさくて艶やかな黒い頭をナデナデしました。


「だ、大丈夫ですよ、かなこちゃん……!」


「う、ぅぅぅ……っ」


「ちょっと待っていてくださいね」


 とりあえず、わたしは着ていたカーディガンを脱いで、かなこちゃんに着せてあげました。

 わたしはすでに大人サイズなので、かなこちゃんの穴があいたスカートを隠すことができます。


「ほら、これで大丈夫です」


 真っ赤になったかなこちゃんの頬を撫でながら、わたしはそう言いました。

 悲鳴のような泣き声は去ったものの、かなこちゃんはなおも、ぐずぐずと涙と鼻水をすすりあげています。

 わたしは、知らんぷりをしているカイくんを睨みつけました。


「ほら、カイくん。かなこちゃんに謝るのです!」


「だが、おことわりだ!」


 カイくんは、鳥がはばたくような雄々しいポーズで、言い放ちました。

 そして、カイくんは走って逃げていきます。カイくんは己のズボンをずらして半ケツにしたあげく、お尻を叩きながら、あっかんべーをしています。


「鬼さんこちら、手のなるようへ~!」


「こら……っ! 言うことを聞きなさい!」


 カイくんは、まったく聞き分けがありません。

 わたしは苦しまぎれにこう言いました。


「言うことを聞かない悪い子は、地獄で閻魔さまに舌を抜かれるのですからね!」


 けれど、わたしの言葉に反応して答えたのは、子供たちの中でもおとなしい性格のミノルくんでした。


「おとねぇは、嘘ついてるよ」


「嘘ではありません、悪い子は――」


「ぼく知ってるから。この世界には、閻魔さまはいないんだ。サンタクロースだっていないんだよ」


 ずいぶんと大人びた表情で言うので、わたしはつい動揺してしまいました。


「ど、どど、どうしてそんなことを……っ」


「だって……サンタクロースって、田中さんにそっくりなんだもん……」


 ぎくり。

 ええ、そうです。

 こどもの夢を壊してはならん、と、老体にむちを打って、施設長の田中さんが毎年サンタクロースをしてくれているのです。

 去年、子供たちはサンタクロースのすがたを目撃してやろうと、寝たふりをしていたのです。

 それはまさに、子供たちによる、計画的犯行といっても良いものでした。

 悔やんでも悔やみきれません。


 ――床に仕掛けられたスライム状の物体。

 ――歩みを阻害するピンポン玉。


 子供たちの遊び道具は毎日片付けさせているはずなのに、なぜかその夜にかぎって、床にばらまかれていたのです。

 子供たちがしかけたトラップにまんまと引っかかった涼くん(トナカイ)と田中さん(サンタクロース)は、すっころび。

 子供たちが飛びかかってきて、その衝撃によりサンタクロースのもともと脆かった背中は、耐えきれず悲鳴をあげました。


 ……そのときの、サンタクロースの悲鳴は忘れられません。


 わたしが慌てて駆けつけると、そこにいるのはポカンとした表情の子供たち。

 地面に転がるサンタクロースと、なんとかスライムから逃れようともがくトナカイ。

 わたしはとっさに機転をきかせて、暗闇の中でシーツをかぶり、おそろしい雪の女王のまねをしました。


『くはははは……わたしは悪い雪の女王であるぞ! 宿敵サンタクロースめ、ついにその地位を追われるときがきたか』


 アドリブをきかせながら、涼くんに手で合図を送りました。

 涼くんはスライムから脱出できそうです。


『このサンタは、わたしが来年まで預かっておく。運ぶが良い、そこのトナカイよ』


 わたしがそう命じると、トナカイはその場にひれ伏しました。


『あ、あなたは、まさか……っ、雪の女王!? ははー! 言うとおりにします! 仰せのままに――!』


 トナカイはサンタクロースを背負い、子供たちの部屋から出ていきました。

 トナカイなのに二足歩行になっていましたが、この際、些末さまつなことです。


『お前たちも良い子にしていなければ、雪の女王がさらいにくるぞ? クックック……アーハッハッハ……!』


 わたしは高笑いをあげながら、その場から去っていきました。

 子供たちの視線が背中に突き刺さるようでした。

 しかし恥ずかしがっていたら女優にはなれません。

 わたしは子供たちの夢をどうにか守ることができた、と鼻を高くしました。

 別室に運ばれたサンタクロースは、トナカイの手によって背中にシップを貼られました。

 救急車の音が近づいてきています。

 サンタクロースはその場に身を横たえたまま、トナカイの手をぎゅっと握りしめました。


『わしは、もうダメだ……トナカイ。来年はまかせた……』


 そしてサンタクロースは、白いソリに乗って去っていきました。

 

 全治1週間。

 とにかく安静にするように、と医師からは申しつけられたそうです。

 退院するまでの1週間のあいだ、田中さんは不在でした。

 1日、2日ならば、なんとかごまかせることができたでしょう。

 ――ですが、子供たちの胸にうまれた疑惑の芽は、完全には摘みとることができなかったのです。

 ええ、それは雪の女王の力をもってしても。

 名演技の雪の女王をもってしても!




 そして、現在。

 ミノルくんの手で、わたしは窮地に立たされていました。


『犯人はお前だ!』


 と、名探偵に言われた方々の気持ちが、いまはわかるような気がしました。


「ど、どうして、ミノルくんはそう思うのですか?」


 わたしはその場にしゃがみこみ、ミノルくんの身長にあわせて話しかけます。

 できるだけ事を大きくしたくないから小さな声で話しかけたのですが、周囲の子供たちは「なんだ、なんだ?」と興味をもってしまったのか、寄ってきてしまいました。

 皆さん聞き耳をたてています。

 ……うかつなことは、言えません。このままでは、サンタクロースの正体がバレてしまします。


「だって、おヒゲがとれたし……」


 ぎくっ。


「サンタさんも、田中さんも腰がわるいなんて……」


「あははっ、たまたまですかねー?」


 わたしは、しらばっくれました。


「――おとねぇ」


「……はい」


「嘘ついたら、閻魔さまに舌をぬかれるよ?」


 ……申し訳ありません。

 もはや惨敗。白旗をあげるしかありませんでした。

 わたしが涙目で助けをもとめるように視線をさまよわせていると、帰ってきたばかりらしい涼くん(トナカイ)と目があいました。

 涼くんは16歳です。

 施設では唯一、わたしとおなじ年で、同じ高校に通っています。

 帰宅部のわたしと違い、バスケをしているので、帰りはいつもこのくらい遅くなるのです。


「ああ、いいところに涼くん。お帰りなさい! 今晩はカレーですよ!」


 わたしはその場をごまかすために、涼くんに向かって言いました。


「……あっそ」


 つれない返事です。

 わたしに対しては、いつもこうなのです。

 トナカイのときは、あんなにノリノリだったというのに……。

 それでも返事をしてくれただけ、ありがたいと思うべきなのでしょう。

 今のわたしには、救世主のように輝いて見えます。 

 子供たちはすぐに違うものに気をとられてしまいます。

どうやら、皆さんちょうど18時から始まったアニメに釘付けになっているようでした。わたしは、田中さんのサンタクロース疑惑を回避することができたようです。

 ミノルくんだけは、少し不満げにしていましたが。


「ミノルくん、みんなには内緒ですよ……」


 わたしはポケットから取り出した飴を、こっそりとミノルくんの手に握らせました。

 ――ええ、口止め料です。

 何とでもおっしゃってください。わたしは悪い大人ですから。

 ミノルくんはそれを見下ろすと、どこか大人びた表情で苦笑しました。


「はーい、おとねぇ。わかったよ」


 子供が大人になってしまった瞬間をみてしまったような、少しばかり切ない感情をおぼえました。

 わたしは台所に戻ると、そこでようやく、とんでもない失敗に気づきました。


「あっ、お肉を買い忘れていました……」


 このままでは野菜カレーになってしまいます。

 お肉大好き子供たちに、まちがいなく大ブーイングをくらうでしょう。

 じつは、わたしは初犯ではありません。

 前も同じ失敗をしているので、子供たちの嘆くすがたが目に浮かんできました。

 わたしはその場で、しばし悩みました。

 ――時刻は18時をすこし過ぎたばかり。

 スーパーは徒歩10分のところにあります。

 夕食は19時ごろにするとしても、スーパーに行ってから料理の続きをするだけの時間は、まだ何とか残されています。


「う~ん、でも子供たちから目を離すわけにも……」


 わたしは腕をくんで悩みました。

 施設には、職員さんが3人います。

 24時間体制の運営をしてくださっているので、だれかが必ず施設内にいるというのが決まりとなっているのですが……3人では、とてもまわしきれません。

 そこで、年長者のわたしは学校が終わるとすぐさま食材を買って帰宅し、当直をまかされた職員さんと交代して、むりやり休んでもらうようにしているのです。

 今日の当直は、田中さんです。

 いかにベテランの田中さんとはいえ、子供の面倒をみながら、施設内の雑務をこなすというのはとても大変なことです。

 今日もヘトヘトになった田中さんはわたしを見るなり、『菩薩ぼさつがみえる……』と目を輝かせていらっしゃいましたし。

 きっと、いまごろ当直室で仮眠をとっているでしょう。起こすことは躊躇われます。

 わたしが買い物のために起こしにいったとしても、きっと田中さんは嫌な顔ひとつしないでしょうけれど。


「あっ、いい人がいたではありませんか」


 名案が浮かびました。

 元トナカイさんです。



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