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花に嵐

 廊下のむこうから、どなたかの叫び声が聞こえてきたのです。


「だれか、誰か! ここにきてくれ――!」


 男性の声でした。

 わたしは思わず、閻魔さまの袖をつかんでしまいました。


「な、何事でしょうか……?」


 わたしはそう、つぶやきました。


「……ここで待っていろ。俺が行ってくる」


 震えているわたしを見おろして、閻魔さまはそうおっしゃいます。

 しかし、わたしは首を振りました。


「――いいえ、わたしも行きたいです」


 閻魔さまは、わたしの頭を撫でました。


「……お前は、意固地なところがあると最近、知った」


「……失望なさいましたか?」


 ほんとうは閻魔さまに失望されることが何より怖いのです。

 だからきっと、無茶をしてでも頑張らなければ、と自分を鼓舞していることに薄々気が付いていました。

 わたしにとって、閻魔さまという存在はとても大きなものだから――。

 恐れを隠しきれなかった問いかけに、閻魔さまは「いや」と鷹揚に首を振りました。


「お前の色んなところが知れて、うれしい」


 わたしは声を漏らしそうになり、歯を食いしばります。

 もう、本当にこの方は……!


 わたしたちは叫び声の主のところまでたどりつきました。

 案外、近い場所だったらしく、一番乗りです。

 声につられて集まってきたのは、まだわたしたちだけのようでした。


「え、閻魔さま……っ!?」


 その官吏の方は、閻魔さまご覧になって困惑したようなお顔をなさいました。

 あけ放たれた扉の前で、挙動不審な動きをなさっています。


「閻魔さま……! 扉の奥に……っ」


 その官吏の方の視線は、閻魔さまに向かって叫びました。


「浄玻璃の鏡が……!」


 わたしは弾かれたように、その扉に駆け込みます。

 そして、目撃してしまいました。――浄玻璃の鏡が粉々に砕かれ、床に散らされているすがたを。


「あ、あぁ……」


 わたしは、その瞬間、絶望のふちに立たされたのを感じました。

 手がかりがなくなったことを、嘆いたのではありません。

 ……違う、これは『わたし』の感情じゃなく――。

 心の奥から押しよせてくる誰かの感情を、抑えることができなくなります。

 涙が勝手に、目からぽろぽろとこぼれ落ちました。悲しくて、悲しくて、しかたがありません。

 だって、この鏡は『私』の――。


「乙葉……?」


 困惑したような、閻魔さまのお声が聞こえます。

 けれど、わたしには、もはや閻魔さまを見返す余裕もありませんでした。

 ただひたすら、割れた鏡の欠片を見つめます。

 そして、わたしは夢遊病者のような足取りで、部屋に入ろうとしました。

 なぜか、誰かに体を乗っ取られてしまったかのように、まったく自由がききません。

 つよい力で肩をつかまれて、わたしは背後を振りかえりました。

 そこにいたのは、先ほどの官吏でした。

 わたしの感情は常にないほど冷え切っており、わたしの行動の邪魔をする彼に対して、なぜか嫌悪感すらおぼえました。

 吐き捨てるように、わたしは言います。


「――下がれ、下郎げろう。『私』を、何者だと心得る? 汚れた手でふれるな!」


「乙葉……?」


 閻魔さまの目がわずかに見ひらかれます。

 普段ならば、決してそんな粗雑なことをしたいと思わないはずなのに、わたしをつかんだ男の手を振り払ってしまいました。

 ふれられた場所が不快でなりません。

 わたしはふらつきながら、部屋に足を踏み入れました。

 無残に床に散らされている、浄玻璃の鏡――。

 それを見おろしていると、嗚咽をかみ殺すことができなくなります。

 喉から苦しい吐息が漏れていくのを感じました。


「ああ、貴方はまた――『私』の大事なものを……、奪っていくつもりですか……?」


 わたしはその場に膝をつきました。


「乙葉! 手が……」


 あせったような閻魔さまの声が、遠く聞こえました。

 あふれるほどの悲しみと憎しみに心を染めながら、わたしは手が傷つくのもかまわず、鏡の欠片を手に取ります。


「ああ、けれどそんなことはさせません。これは私のものです。私がつくった鏡なのです……! ねえ、浄玻璃? お前、死んだりしないでしょう? この程度のことで、壊れるほど、貴方は脆弱ではないはずです……っ」


 そう高慢に吐き捨てても、鏡は沈黙したままです。

 わたしの頬から、一筋の涙がこぼれ落ちました。

 その雫が、床に落ちていた欠片にふれた瞬間――。

 鏡の欠片が、光りかがやきました。


「な……っ!」


 誰かの、驚いたような声が聞こえました。

 わたしは、その懐かしい光に包まれ、ひどく満足した心地になっていました。口元に、自然と笑みが浮かびます。


『――お久しゅうございます。公主さま』


 目の前に現れた鏡には、もう傷ひとつありません。

 最初にあった大きなひび割れすらなく、宙にうかぶ火の玉の光を反射させています。


「ああ……」


 わたしの口から、安堵の吐息がもれました。

 そして、わたしはその場に崩れ落ちました。

 

「乙葉……!」


 薄れゆく意識のなかで、閻魔さまに抱き起こされた記憶だけが残っています。 



 * * *



 会議場に通じる廊下の窓から見下ろす景色は、見慣れた閻魔庁のものとは違っていた。

 するどい神獣の牙でけずられたような岩肌が眼下に見えている。岩の隙間からわずかに茂る緑も、この高度では地上に比べるとささやかだ。

 そう、この建物は雲の上にそびえる高山に建てられていた。

 初江庁しょこうちょうは、雲をつらぬく絶壁の上にある。

 閻魔庁では雲に遮られて本来は見ることはできない太陽が、周囲を照らしていた。


「閻魔さま、十王会議が始まります」


 従者がこちらにむかって、うやうやしく頭を下げた。


「……ああ、ではすぐ行く」


 従者に導かれて会議場に入れば、そこにはすでに見知った九王が待ち構えていた。

 老人のような恰好をした王もいれば、まるで幼女のような王もいる。そもそも、獣のすがたのままの王もいる。

 十王の見た目はそれぞれ個性があったが、みな王をしているだけあって、その性格は一癖も二癖もある者たちばかりだ。

 けっして油断することはできない。手を抜いたら最後、足元をすくわれるのは、こちらなのだから。


「――では、みなの衆。十王会議をはじめようではないか」


 そう口火を切ったのは、会議の進行役である、初江王だ。

 見た目は幼女である。膝まである長い白い髪は、ていねいに結い上げられていた。目元を彩る緑の化粧はどこか民族的だ。

 うっすら微笑むその姿は年齢に見合わず妖艶であり、彼女の外見年齢と実年齢がかけ離れていることを物語っている。


 十王会議では、六道の今後の方針や、死者の扱い方などを話し合う。

 これまで懸念されてきたいくつかの議題を話し終え、場内で緊張感が失われてきた頃に初江王がこちらを見つめてきた。


「のう、閻魔? おぬしの幽世に、幽鬼の娘が現れたというのは本当かえ?」


 彼女の言葉に反応して、その場に集まっていた者たちがこちらに視線を向けてきた。

 無言で、彼らを一瞥すると、ため息を漏らした。


「……それが?」


「おお……っ、では、やはり噂どおりか」


 他の王たちが、どよめいた。


 嘘くさい演技だ、と思った。

 それぞれの王が、互いをさぐるために間諜を放っていることは周知の事実だ。

 とっくの昔に、こちらの情報など彼らに筒抜けになっていただろう。逆にいえば、それは相手の情報もこちらが知りえている、ということなのだが。


「幽鬼の娘が現れたということは、六道の均衡が崩れるぞ!」


 宋帝王そうていおうがそう叫んだ。


「彼らは、もっとも古き鬼の一族……! 神の寵愛を受け、そのために迫害を受けて滅びた民ではないか……っ。伝説によれば、彼らの作り出す道具は一級品であるとか。武器・防具・あらゆる道具を生み出し、その物体に『心』と、おそろしいまでの『力』をあたえるという……っ」


 そう、閻魔庁にある浄玻璃の鏡や、他庁にあるふしぎな力をもつ道具は、すべてかつて生きていた幽鬼の一族が作り出したものだ。

 だからこそ、浄玻璃の鏡が壊れてしまっても誰にも直すことができずに、閻魔庁の一室に保管されてきた。

 九王は、みな興奮した面持ちで話しあっている。


「幽鬼がいれば、神をも傷つけることができる武器を得られる! 憎き神に反旗をひるがえすことも、けっして不可能ではない! ましてや、神の寵愛する娘だ。最悪でも、盾くらいにはなろう……っ」


「そうだ、そうだ!」


 同意の声が、場内にあがる。


「今こそ……っ、積年の恨みをはらす時だ! あの青年神に、汚泥を飲ませてくれようではないか!」


 興奮に顔を染めた彼らをただ無感動に見やって、俺はつぶやいた。


「……下らない」


 周囲が、水を打ったように静まり返る。

 その中で、最初に口を開いたのは宋帝王だった。十王の中でいちばん若く、直情的な男だ。


「下らない、だと……? 閻魔王! かつて浄玻璃の鏡を壊した、お前がそう言うのか……っ! 我らの屈辱を、誇りを忘れたか! 我らにつけられたこの煉咒の呪い……! 神に飼いならされるなど、とうてい耐えられるものではない」


 神は特に力のある妖怪を選別して、十王として選んでいる。

 その与えられた運命に嘆き自死を選ぶ者もいれば、やむなくそれを受け入れる者もいる。

 少なくとも、生き残った者は神に従うことを選んだ者たちのはずだった。

 妖怪というのは、基本的にその妖力に比例するように気位が高い。

 他者に屈することをよしとしない者が多いために、これまで歴史のなかで悲劇はたびたび起こってきた。

 そう――。かつて、閻魔王として選ばれた自分も、その運命を受け入れることができなかった。

 感情のままに、浄玻璃の鏡を壊すほどに荒れたこともある。

 そして、いつしか心を失ったように生きはじめた。

 ――なんのために生きているのかも、わからないままに。

 思わず、らしくもなく笑みがこぼれそうになる。

 そんな自分を見て、場内がざわついた。


「閻魔王が……笑った……?」


 宋帝王の顔から血の気が引いている。

 俺はその場から立ち上がると、彼らを睨み下ろした。


「――幽鬼の娘は渡さない」


「な……っ、閻魔王! まさか、貴様――独占するつもりか……っ」


 こちらにむかって、激昂した宋帝王がつかみかかろうと手を伸ばしてきた。

 俺は片手をあげた。そうすると、空中にちいさな物体が生まれはじめる。手のひらほどの大きさの、黒くて丸いものが、周囲にいくつも浮かんだ。

 それは正確にいうならば、空間に開けた穴というのが正しいだろう。

 すべてを包みこむ闇の力だ。

 それにふれそうになった宋帝王が、おののいたように後ずさりした。


「……命拾いしたな。だが彼女を狙う者には、もはや容赦しない。閻魔庁を敵にまわす覚悟があるならば、かかってくるが良い」


 俺はそう言って、その場を後にする。


「バケモノめ……っ」


 背中にむかって吐き捨てられた言葉が、存外におもしろく感じた。

 自分も妖怪であるくせに、他者をバケモノ扱いとは笑わせる。

 それにしても、空亡としての力を久しぶりに使ってしまった。

 最近は座り仕事ばかりなので、どうも腕がなまっているようだ。


「司命を相手に……久々に、稽古をしてみるかな」


 あいつはたまに妙な動きをするし、配下の口を割らせるのは上に立つ者の仕事でもある。

 とはいえ、数百年ものあいだ自分のそばにいる男なので、心では彼を信頼している。

 でなければ、彼女を――乙葉のことを、一時的でも任せるはずがない。

 廊下の窓から、心地よい涼風を感じる。

 ふと立ち止まって、岩肌にひっそりと咲く可憐な花を見下した。


「花に嵐か……」


 良いものには、邪魔が入りやすい。

 とにかく自分にできることは、邪魔者をなぎ払うことだけなのだ。



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