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追い詰められたネズミ

 わたしは、司録の席に腰かけています。

 卓の脇には、たくさんの巻き物が脚つきの台の上に用意されていました。

 すべて白紙です。

 本日だけで、これをすべて書きなさい、ということのようです。

 閻魔さまは一番奥の、高座に腰かけていらっしゃいます。

 わたしは閻魔さまから見て左側におり、反対側にはメイさんが立っていました。


「――しかるに、これらの行いは重く受け止めるべきではあるが……情状酌量の余地はあったと見てとれる。よって、次の世は人間道行きとする」


 メイさんがそうおっしゃいました。

 わたしは死霊さんの身の上・罪状・行き先などを書き記しています。

 清書は専門の方がしてくださるそうなので、わたしがするのは走り書き程度でいいらしいのですが、それにしても量が多いです。

 一日何人を、裁けばいいのでしょうか。

 もう筆を走らせすぎて、目がまわります。だんだん、自分の書いている文字が動いているようにも見えてきました。

 午前中だけで、すでに百人は超えているでしょう。

 しかし、これでもわたしが初めての司録の仕事ということで、閻魔さまも、メイさんも、かなり手加減をしてくださっているそうなのです。

 おふたりとも、本来はこの数倍はこなしているそうです。

 ……信じられません。

 わたしの口から魂的なものが出そうになっているのをご覧になって、閻魔さまはおっしゃいました。


「……乙葉、もうやめたほうが」


「い、いえ、やります……! わたしは大丈夫ですから」


 ぜったいにおふたりの足を引っ張りたくはありません。

 それでも自分のために業務が滞ってしまっていることにも、気づいてしまっています。

 これは意地のようなものでした。

 この程度のことが頑張れなくて、閻魔さまを護れるはずがない……と。


「仕方ないなぁ。乙葉ちゃんって、意外と頑固だし。まあ、そろそろ限界だと思ったら、止めるってことで良いか、閻魔?」


 メイさんが閻魔さまにむかって、そうおっしゃいました。

 閻魔さまはどこか悩むようなそぶりをしておられましたが、メイさんのお言葉にうなずかれます。

 そしてわたしは、地獄を見ました。

 仕事って……終わらないんですね。

 初めて、知りました……。




「――休憩をしよう」


 閻魔さまが、そうおっしゃいました。

 わたしは、どうにか与えられた仕事を終えることができました。なりふりかまわず、作業した成果でしょうか……。

 しかし、わたしの体力はすでに限界で、卓上に倒れ伏してしまいました。


「乙葉ちゃん~、疲れたの? お兄さんの膝の上に座りなよ」


「……意味が、わかりません」


 メイさんの言葉に、わたしはどうにかそう答えます。

 疲労困憊なので、メイさんの軽口に付き合う心の余裕もありません。

 倒れていたわたしの額に、冷たいものが押し当てられました。それが閻魔さまの手だということに気付いて、びっくりして飛び上がってしまいました。


「閻魔さま……」


「……すまない。驚かせたか?」


「いいえ、大丈夫です。そ、その、どうして御手を……?」


 なんだか、変にもぞもぞした気持ちになりながら、わたしは閻魔さまを見上げました。

 閻魔さまは無表情のまま、おっしゃいました。


「俺の手は、冷たいと誰かが言っていた」


「そんな……っ、いえ、そうですけれど」


 たしかに、先ほど額にふれたとき、ひんやりとして気持ち良かったです。

 わたしは力強く認めざるを得ません。

 閻魔さまはご自身の手のひらに視線を落とされながら、おっしゃいます。


「そのときは、ただの遠まわしな批判だとわかっていた。俺の態度は、ときに冷酷に映るらしいから。俺の手は血に濡れているだろうと」


「そんな、こと……」


「けれど、こんな手だから、いまこうしてお前を癒すことができる」


 閻魔さまの雰囲気がやわらぎました。

 笑ったわけではないです。けれど、閻魔さまのお心が、笑っていらっしゃるように感じられたのです。

 頬が緩むのが耐えられなくなり、わたしは俯きました。

 閻魔さまの手が伸びてきて、わたしのおでこに当てられています。

 仕事をしすぎて熱をおびていた額は、冷たくなっていくどころか、どんどん熱くなっているようでした。

 閻魔さまの御手もあたたかくて、まるでふたりの温度がとけていくようで、めまいをおぼえます。


「おーい? お前ら俺のこと無視?」


 そばにメイさんがいたことに、ようやく気付きました。

 わたしは恥ずかしくなって、動けなくなります。


「今日は、もう休んでいい。初日から無理をしても、仕方がない」


 閻魔さまはそうおっしゃいました。


「けれど……」


「――誰しも、最初から仕事ができる奴はいない。お前には、明日からもっと頑張ってもらうから。今日は休め」


 完全に甘やかすではなくて、もしかしたら仕事でもちゃんと頼られているのではないか、と錯覚してしまいます。

 だって、ずっと閻魔さまのお役にたちたかったから。

 ――わたし、もっと、もっと頑張ります。

 そう正直に伝えてしまうと心配させてしまうかもしれないから、こくりと頷くだけに留めました。


「では、お言葉に甘えて……」


 わたしは、そう言って席を立ちました。

 まだ、しなければならない極秘任務が残っているのです。

 わたしは気合いを入れなおして、法廷を後にしました。



 * * *



 閻魔さまに休むように申しつけられたのに、そのお言葉に背くのはとても葛藤がありますが、まだ夕刻にもなっていない時間です。

 せっかく時間もあることですし、この機会を捨てる理由はありません。


「確か、この道でしたよね……?」


 わたしは赤絨毯の敷かれた長い廊下を歩いていました。

 似たような扉が等間隔に並んでいるし、曲がり角も多く、分かれ道も多いので、つい迷ってしまいそうになります。

 ――けれど、わたしだって学習しているのです。


「じゃじゃーん」


 ひとりで勝手に効果音をつけてみました。

 帯に隠し持っていたのは、小袋です。紐をゆるめると、中には小豆が入っていました。

 曲がり角でこっそり小豆を落としておいて、あとで拾いながら帰ればよいのだ、と思いついたのです。これなら、いくら方向音痴のわたしでも、どうにかなるはずです。

 赤絨毯の上に落としても見つかりにくい小豆を選んだあたり、さすがに小豆洗いの才能が生きているようです。

 わたしは曲がり角で、小袋から取り出した小豆を一粒ずつ落としていきます。


「それにしても、似たような道ばかりで……困りますね」


「……なにを探しているんだ?」


「え、なにって、そりゃあ……」


 わたしは普通に答えてしまいそうになり、飛び上がりました。

 おそるおそる振り向くと、そこにいらっしゃったのはなんと閻魔さまでした。


「閻魔さま!? ど、どうしてここに……っ」


「……お前を送ろうとしていた」


「そ、そんな閻魔さまはお仕事でしたのに……」


「……いまは、休憩中だ」


「でも……」


「お前が、心配だった。追いかけようとしたら、庁舎の入り口とは反対方向に向かっていて……」


「そ、それは……」


 閻魔さまと、わたしが一緒に暮らしていることは未だに秘密ということになっています。

 だから、閻魔さまもわたしのすがたを見かけても、すぐには声をかけられなかったのでしょう。

 いえ、もしかしたら無事に帰ったことを見届けたらすぐに庁舎に戻るおつもりだったのかもしれません。

 それなのに、わたしが不審な動きをしているから。


「何かを、探しているのか……?」


 周囲には誰もいません。

 けれど、閻魔さまの前で秘密の部屋に立ち入ろうとしていることを漏らしてしまうのは、躊躇われました。

 だって、浄玻璃の鏡が保管されている物置きは、閻魔さまとメイさんとシロくんくらいしか入ることはできないと聞いているのですから。

 入ろうとすれば、怪しまれてしまいます。

 閻魔さまならきっと、本当のことを言っても信じてくださいます。そんな、確信がありました。

 しかし、あのとき、メイさんが『閻魔も追及されるだろう』とおっしゃった言葉が、心に圧し掛かってきます。

 わたしの行動のせいで、万が一、閻魔さまにご迷惑がかかってしまったら……。

 そう思うと、正直に告げていいものか、躊躇してしまうのです。


「――乙葉」


「……はい」


 かすれた声が、喉から漏れました。


「……何か、隠し事を?」


 どきり、としました。

 閻魔さまの瞳が一瞬、悲しげに揺れたような気がしました。


「ふっ……」


 わたしの背後には、壁がありました。

 閻魔さまがすぐそばにまで、迫っています。閻魔さまは壁に片手を押しあてたまま、わたしの顔をじっと覗き込んできました。

 その藍色の瞳に吸い込まれそうになります。

 そんな目で、そんな顔で近づいてくるだなんて、ずるいじゃないですか……っ。

 助けを求めるように周囲を見まわしても、誰もいません。もともと、この辺りはめったに人がこないのですから、当然のことです。


「――乙葉」


 これ以上、耐えられそうにありません。

 わたしが窮地にたたされていたときのことです。

 悲鳴が、聞こえてきたのは――。



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