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目標を考えます

 わたしが目覚めたとき、わたしのお腹の上にはヒョウくんが乗っていました。

 ヒョウくんのつぶらな瞳と視線があいます。


「ヒョウくん……」


 肉球もみもみして、頭を叩かれました。どちらが上の立場か、思い知らされました。申し訳ありません……。

 寝間着が汗ではりついていて、気だるさを覚えます。

 目覚めているはずなのに、まだ意識は夢のなかをさまよっているような感覚というのでしょうか。

 

「でも……どんな、夢だったでしょうか……?」


 起きる直前まではしっかりと覚えているのに、ほとんどの夢はすぐに忘れてしまうのです。

 そして、そういう夢は大概にして、自分にとってなにか重要なものを暗示していたりするのだと、聞いたことがあるのですが……。


「うーん……」


 しかし、考えても、わかりません。

 次第にどうでもよくなってきました。お腹も減りました。


「起きます! 出勤2日目です」


 わたしはガバッと起き上がりましたが、まだ朝餉には早い時間です。

 ふだんよりも汗もかいてしまったので、わたしは朝風呂に行くことにしました。

 どこまでも続く薄暗い廊下を歩いていると、向かいから長身の男性が歩いてくるのが目に入りました。閻魔さまです。

 閻魔さまの青藍色の衣を、火の玉が照らしていました。

 その歩くお姿にも、どこか品があります。

 閻魔さまのおすがたを拝見するだけで、胸が苦しく、そして、しあわせな気分になってしまいます。

 閻魔さまは、わたしに気付いたように、立ち止まりました。

 わたしは閻魔さまのそばまで、駆け寄ります。


「閻魔さま、おはようございます……っ」


「――ああ」


 いつもと同じです。

 わたしは、口元がにやけてしまうのを感じました。シロくんがもしいたら、だらしないと怒られてしまいそうですね。

 閻魔さまの深い色の瞳を見上げて、わたしは胸にあふれる感情をこらえきれなくなりました。


「閻魔さま……っ、わたし、ぜったいに――閻魔さまを幸せにしますから!」


 閻魔さまが凍りついたように見えました。

 その反応がおかしいように感じて、わたしは首をひねりました。

 そして、自分の意味深な発言に気付いて、顔が一気に燃え上がりました。


「ち、ちが……っ、ちがうんです! これは、そういう――プロポーズ的な意味じゃなくて……っ」


 いきなりプロポーズとか、どれだけ自意識過剰なのでしょう。

 っていうか、プ……ププロポーズ? 付き合う前に? いや、付き合うとか、そういうんじゃなくて。

 あわてればあわてるほど、わたしの動きは不自然になります。

 わたしが「ちがうんです、ちがうんです……っ」と、涙目になってしまいました。

 閻魔さまは、重いため息を落とされます。

 わたしが勇気をだして見上げると、閻魔さまはわたしをじっと見つめていらっしゃいました。

 ……もしかして、ご迷惑だったのでしょうか。

 告白するつもりはありませんでしたが――それでも、一瞬にしてわたしは冷水をあびせられたような気分になりました。


「ご、ごめんなさい……ご迷惑でした、よね……?」


 わたしは、また違う意味で泣きそうになりました。もう、ほんとうに自分自身の感情がわかりません。

 勝手に、手足が震えてしまいます。

 穴があったら、入りたいです……。

 閻魔さまの視界から消えてしまいたくなりました。

 わたしなんて生まれてこなければ良かったのに。そう思ってしまうくらい自棄になってしまっています。もう泣きたいです。

 わたしが消えてしまえば、この恥ずかしい言動も、閻魔さまはすぐに忘れてくださるかもしれません。

 けれど、わたしが逃げようとしていたのをご覧になって、閻魔さまは、わたしをご自身の方に引き寄せました。


「きゃ……っ」


 急に、距離が近くなります。

 互いのあいだには、人ひとり分の隙間もありません。

 閻魔さまに抱き上げられて、ますます密着してしまいました。

 赤くなっていた顔を見られてしまいます。恥ずかしくて、居たたまれなくて、頭が真っ白になってしまいました。湯船に長時間つかった後のように、めまいを覚えます。

 体が熱くて、もう呼吸すら、ままなりません。


「お前は、本当に……たやすく、踏み越えようとする」


 閻魔さまは、どこか苦悩でもなさっているようでした。


「閻魔さま……?」


「こちらが、どんな気持ちで……」


 閻魔さまのお気持ち……?

 わたしは、間近でその深い色の瞳を見つめました。心臓が早鐘を打っています。

 閻魔さまを、もっと知りたいです。


「どんな、お気持ちなのです……?」


 長い沈黙のあとに、閻魔さまはおっしゃいました。


「……お前に、俺のような気持ちを味あわせたくない」


 わたしは、じっと閻魔さまを見上げます。

 閻魔さまは――どこか困っているふうに見えました。表情こそ普段と同じでしたが、眼差しの熱が、違いを雄弁に語っています。


「俺は、お前を裏切れないだろう。いずれお前を裁く際には、完全に私情で判断を下してしまう」


 閻魔さまは、わたしをつよく抱きしめました。


「俺が地獄に落ちるのは良い。だが、そうして残される方はどうなのだろうか。その業を背負わせることは、不幸でしかない……」


「閻魔さま……」


 閻魔さまは、ここまでわたしのことを考えてくださっていたのです。

 残される側の孤独。

 そして、罪悪感にさいなまれるであろう、わたしのことを。

 もしも、わたしのために閻魔さまを地獄に落としてしまえば、わたしは自分自身をけっして許せません。

 きっと、それから生涯ずっと、悔いながら生きていたはずです。


「だから、お前とは離れるべきなのだと思った。でも、感情がままならなくて……体が勝手に動いてしまって」


 閻魔さまが、これほど感情をあらわにされているところを見るのは、初めてのことです。

 困っているご様子の表情が愛しくて仕方ありません。

 わたしは、胸が幸せでいっぱいになりました。いまこの瞬間で、時が終わればいいのに、と思います。


「閻魔さま……わたしは、地獄に落ちてもかまいません」


「駄目だ。お前は、地獄を舐めている……」


 閻魔さまは、深刻そうにおっしゃいます。

 わたしは、つい笑ってしまいました。


 ああ、閻魔さまを幸せにしてさしあげたい。この、孤独な王さまを。

 メイさんがおっしゃったように、閻魔さまが死者のことで気を揉んでいらっしゃるなら、その負担をできるだけ軽くしてさしあげることはできないのでしょうか?

 そう、たとえば、ちょっと大それた目標ですが……閻魔さまを煉咒の呪いから解き放ってさしあげる、とか……。

 わたしは首をふりました。

 ――いいえ、駄目ですね。

 第一、それでは、他の方が閻魔さまの荷を肩代わりするだけです。

 それでは根本的な解決になりません。きっと、閻魔さまは喜ばない。誰かが自分の代わりに不幸になる。『さあ、それで解決です?』それでは駄目なはずです。

 ――ああ、そういえば、まだわたしが人間ではない可能性もあるのです。まだ、どちらだとも確信が持てていない状態で。


「乙葉……?」


 考え込んでしまったわたしに、閻魔さまがお声をかけてくださいました。

 わたしはあわてて顔をあげて、閻魔さまにむかって笑みを向けます。


「大丈夫です。閻魔さまは、いろいろ深く考えすぎです! わたしが何とか、がんばりますので、悲しまないでください!」


 閻魔さまは押し黙っていらっしゃいましたが、急に、ふっと表情を崩されました。

 誰もが魅了されるような、微笑みをうかべて。

 わ、笑いました!?

 閻魔さまが、いま、たしかに一瞬でしたが、笑いました……!

 わたしはあまりのことに、顔が熱くなるのを感じました。

 どうしたらいいのでしょう。

 大変なものを拝見してしまいました。


「お前が言うと、なんでも叶うような気がするから不思議だな」


 閻魔さまは、そうおっしゃった後――力が抜けたわたしを、抱き上げました。


「えっ、あの……?」


「……どこかへ、行くつもりだったのだろう? 連れていく」


「え……ありがとうございます。では、湯殿へ……」


 と、思わず普通に答えてしまっから、後悔しました。

 わたしは、汗をかいてしまったから、お風呂にいこうとしていたのです。

 そんな状況で閻魔さまと、ものすごく密着してしまっています。

 く、臭くはないでしょうか……?

 今さらながら、そんなことが心配になってきました。

 もしも、閻魔さまに臭いと思われたら、生きていけません。


「え、閻魔さま! 降ろしてください、わたし一人で歩けますので……っ」


 わたしが急にじたばたしたので、閻魔さまは足を止めました。


「……どうした?」


「そ、その……わ、わたし……いますごく汗をかいているので……」


「……ああ、そんなことか」


 閻魔さまはそうおっしゃると、おもむろにわたしの手首をつかみあげて、そこに唇を押しつけました。


「特に、においはしないようだが」


 閻魔さまは、いつもと同じ無表情です。

 ただ、本当ににおいがするか確かめただけだったのでしょう。

 わたしはあまりのことに言葉が出てこなくなりました。


「どうかしたのか……?」


 閻魔さまは、そうわたしに問いかけます。ご自身が、破廉恥な行為をなさったことに気付いていません。

 閻魔さまって……!

 わたしは拳をにぎりしめて、顔が真っ赤になっていることを自覚しながら閻魔さまを睨みつけました。


「無自覚な、女たらしですよ……っ」



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