十王の呪い
煌々と燃える暖炉の火が、メイさんの横顔に影をつくっています。
赤銅色の瞳が闇にまじって、ふしぎな色合いをみせていました。
どこから話すべきか迷っていらっしゃったのでしょうか。
メイさんは伏せていた視線をあげると、茶器を卓において、わたしにいつもの愛想のよい笑顔をくれました。
「乙葉ちゃん、閻魔の役目ってなんだと思う?」
我知らず、緊張してしまっていたようです。
わたしは握りしめていた拳をひろげて、息を吐きながら答えました。
「……幽世にやってきた死霊さんたちの罪を裁いて、どこに皆さんが向かうか、決定なさるお仕事ですよね……?」
「そう。六道の――天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道のどこへむかうかを、決定する役目だね」
わたしは、うなずきます。
地獄にはさらに八層に分かれており、上から――等活地獄・黒縄地獄・衆合地獄・叫喚地獄・大叫喚地獄・焦熱地獄・大焦熱地獄・無間地獄とあります。
……世界はひろすぎて、気が遠くなります。
「ここでひとつ質問です。もしも閻魔が死者の誰かを好きになってしまったら、どうなるでしょう?」
わたしは必死に閻魔さまの立場になって考えてみようとしました。
もしも自分が閻魔さまだとしたら……。
「乙葉ちゃん、きみにできるかな? もしきみが閻魔王だとしたら、家族や大事なひとを地獄に叩き落とすことができる? それが、はてしなく続く生き地獄だと知っていて」
わたしは首をふりました。
「もしもわたしが閻魔さまだとしたら……そんな状況ならば不正を働いてでも、皆さんを天道に送ってみせます!」
わたしの答えに、メイさんは笑みをこぼしました。
「だから、閻魔にはそれができないことになっているんだ」
「どういう、ことですか……?」
「閻魔の体には――いや、十王には皆、呪いがかかっている。乙葉ちゃんも、何度も見ただろう? 閻魔の瞳に浮かぶ模様を」
わたしは、閻魔さまの瞳の卍を思い出しました。
「あれは、煉咒という閻魔がふるう力だ。十王はその役目につくときに、その力を先代から受け継ぐ。十王が判断をまちがえたら、煉咒の力がすべて閻魔の身に跳ね返ってくるんだ」
「え……?」
どういう、意味なのでしょうか。
理解できないでいるわたしに、メイさんは笑顔でおっしゃいます。
「つまりね、ほんらいなら無間地獄におちるはずの者を天道に送ろうとすれば、閻魔がその瞬間に無間地獄に落ちるってこと。それが閻魔がつけられた枷だね」
あまりのことに、呆然としてしまいました。
頭がまっしろになるとは、このことを言うのでしょう。
「だから、あいつは感情を殺して生きている。死霊の誰かを好きになってしまえば、それは己の身を滅ぼすことになるからだ。私情が入ってしまえば、誰だって冷静な判断はできなくなる。――むかしは、あいつだって感情が豊かな男だったよ。俺と一緒に、よく笑ったし、怒ったし、ふつうの男だった。でも、閻魔王になってから何もできなくなったんだ」
わたしは身体の震えが止まりません。
これほどに誰かに対して、憤りを感じたのは初めてのことです。
閻魔さまがかわいそうで、たまりません。
「閻魔は、不器用なやつだと思うよ。人間なんて、妖怪からしたら別の世界の生き物だ。妖怪の仲間じゃない。そう判断して冷徹に処分をくだす王も多いのに。閻魔は相手を人一倍哀れに思うから、人間相手でも冷たくできないんだよ。だから、仮面をかぶるためにあんなに無表情な男になったんだ」
それはよく知っています。
だって、閻魔さまはわたしを憐れんで、おそばにおいてくださっているのですから。
「神さまは、閻魔さまのことを、お嫌いなのですか……っ」
語尾が、勝手に震えてしまいます。
「嫌いだと思うよ。というか、閻魔に限らず、妖怪っていうやつが嫌いなんだろうな。わざわざ輪廻の輪から外して滅びをあたえるくらいだから。十王に対して煉咒の呪いを与えるのも、十王と呼ばれる者たちが妖怪の中では抜きんでて強いからだ。首輪みたいな感覚なんだろう。他の妖怪たちへの戒めのための」
「どうして……?」
「かつて、俺たち妖怪の先祖が、許されない罪を犯したらしい。だから神は、未来永劫つづく呪いを俺たちの身にあたえたわけ」
そんな途方もないほどの罪だなんて……まったく想像もつきません。
そこまでして許されない罪なんて、ないはずです。
「神さまは、ひどいです……!」
わたしの言葉に、メイさんは吹き出しました。
「まあ、神は性格悪いよ。それはわかりきったことだし」
まるで顔見知りのような、おっしゃりようです。
わたしは目を瞬かせると、こらえきれなかった涙が頬をつたい落ちました。
「……お知り合いですか?」
それも、おかしな問いだと知りながら、わたしはメイさんに聞きました。
「知り合いではないけど、性格が悪いのは知っている。だって、たかがひとりの女のために世界を滅ぼそうとしたくらいなんだから」
世界を……?
わたしは、ぽかんと、メイさんを見つめました。
メイさんは苦笑しています。
「青年神が愛するのは、幽鬼の一族の娘のみ。幽鬼の姫君を穢した俺たちの祖先を、神は許さなかった。だから、末裔である俺たちにまで神の呪いがふりかかる」
一瞬、意識が遠のきました。
脳裏で、誰かがわたしにむかって叫びます。
『公主さま、お逃げください……!』
記憶が混濁して、どこまでが自分のものなのか、わからなくなってしまいます。
――逃げられない恐怖。
わたしは、また、あの男につかまってしまうのです。
「でも、本当に神っていうのはよくわからないよな。俺だったら、自分がそんなわけがわからない感情で動かされるのはごめんだけどね。たかがひとりの女のために身を滅ぼすなんて」
メイさんは、地獄茶をすすりながら、なおもおっしゃいます。
「ほんとうに、幽鬼の一族が滅びてくれてよかったよ。そうでなければ、今頃は取りあいになっていただろうからなぁ。その能力を利用してやろうとたくらむ者も多いだろう」
わたしの血の気がうせているのに気付いたのか、メイさんは「ん?」とわたしを見て、ふしぎそうな顔をなさいました。
「どうかしたのか? 顔が真っ青だけど……」
「い、いえ……ただ、もう頭がパンクしそうなだけです……」
わたしの思考能力は、もう限界だと訴えていました。
とりあえず、今日はゆっくり眠って頭の中を整理したいです。
「メイさん、いろいろとお話してくださり……ありがとうございました。この謝礼は、いつか必ず」
わたしはふらつきながらも立ち上がり、メイさんに向かって頭を下げました。