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夜語り

 その日の夕食は、まるでお通夜のような雰囲気でした。

 閻魔さまはいつも通り何もおっしゃいませんし、シロくんも黙々と箸を口に運んでいます。

 いつもと何も変わらないはずなのに、空気が重苦しいです。


 閻魔さまは席を立たれました。

 わたしはつい――閻魔さまの後ろ姿を目で追ってしまいます。

 じっと見つめていると、意味もなく涙がこぼれてしまいそうになるのですから、自分でも意味がわかりません。

 このままでは、食事がしょっぱくなりそうです。涙味のサラダなんて、頂けません。まずそうです……。

 わたしの様子を机の向かいから、じっとシロくんは見つめていました。

 彼はため息をついて、箸をおきました。


「乙葉さん、ぼくは自分が正しいと思ったことを、したまでですから。ぼくに非はありませんからね」


 シロくんがそう吐きすてて、席を立とうとしたときのことです。

 閻魔さまが開けようとしていらっしゃった食事処の扉が、ガタガタと大きく震えました。

 まるで扉がだれかの侵入をふせごうと、必死に戦っているようです。

 しばらくして音が静まると、音もなく扉が開きました。

 そこに立っていらっしゃったのは、メイさんでした。


「……来ちゃった。てへっ」


 舌を出しながら、自分の頭を軽く叩くという可愛らしいしぐさ付きです。

 閻魔さまがメイさんの言葉に答えるよりも早く――真っ先に動いたのは、シロくんでした。

 シロくん、すかさず扉を閉めます。

 しかし、メイさんの手によって阻まれてしまいました。

 扉の隙間ごしに、おふたりは睨みあっています。


「なぜ、昼間のみならず夜までも、メイさんの顔を見なければないんですか! お引き取りください! 悪霊退散!」


「誰が悪霊だ、誰が!」


 シロくんは憤怒に顔を染めていましたが、メイさんは余裕の表情です。

 そして、長い勝負に勝ったのはメイさんでした。


「ふっ、俺に勝とうだなんて百年早い」


「ぼ、ぼくだって……成年したら、メイさんに力負けなんてしませんから……! これは、ノーカウントですっ」


 シロくんは顔を紅潮させながら、悔しげに怒鳴りました。

 わたしは、突然あらわれたメイさんに驚いて、ぽかんとしてしまいます。

 じっと見つめていたせいでしょうか。

 メイさんが、わたしにむかってウインクなさいました。


「やあ、乙葉ちゃん」


「メイさん、どうなさったのです?」


「俺はね……楽しいことは、間近で観察したいタイプなんだ。とても配下には任せてはおけない。もったいないからね」


 急に、メイさんがわたしに距離をつめて、そう耳元でささやいてきました。

 何をおっしゃっているのかわからず、わたしは首をひねりました。

 それにしても、ただのヒソヒソ話にしては顔が近すぎるような……。頬と頬がふれそうな距離です。


「きゃ……っ」


 急に、地面がなくなりました。

 閻魔さまのお顔が、すぐ目の前にあります。

 わたしは、驚きのあまり、呼吸困難に陥りました。

 閻魔さまに、抱き上げられているのです。

 メイさんは、何やらニヤニヤしています。

 わたしは、メイさんの表情を見て、違和感をおぼえました。

 まるで閻魔さまの反応を楽しんでいらっしゃるように、感じられたのです。


「……どういうつもりだ?」


 閻魔さまが、低い声でメイさんにそう問いかけます。

 メイさんは肩をすくめました。


「いや~? 閻魔王さまこそ、どういうおつもりでしょうかな? 閻魔王の職務を放りだすおつもりですかな?」


 質問に質問で返され、閻魔さまは押し黙りました。

 ふたりのあいだの空気が張りつめたように、感じられます。

 メイさんが、苦笑しました。


「そんなに殺気をもらすなよ。地獄に、穴でもあける気か? お前がむやみに力をふるえば、このあたり一帯が冥府の底まで落ちるぞ。俺だけじゃなく、周辺に住んでいる者たちも一緒にな」


 閻魔さまの瞳には、卍の紋様が浮かんでいました。

 けれど、メイさんの言葉に触発されたのか急に模様が消え去り、閻魔さまは目を閉じてしまわれました。


「……本当に、お前は不快だ」


「それは結構。俺は愉快だけどね」


 閻魔さまは再びため息をもらして、わたしをそっと長椅子の上におろしてくれました。


「あ……」


 離れがたくて、つい手を伸ばしてしまいます。

 けれど、その手が届く前に閻魔さまは離れて行ってしまいました。閻魔さまは、そのまま食事処から出て行かれます。

 シロくんは苦々しい表情で、メイさんを睨みつけていました。

 感情を押し殺したような声で、シロくんはメイさんに問いかけます。


「メイさん。何を、お考えなのです?」


「う~ん、世界平和についてかな」


 明らかに、メイさんはしらばっくれています。

 シロくんは小馬鹿にされたと感じたのか、身を震わせました。

 そしてシロくんは、メイさんに殴りかかろうとでもしたようすでしたが、なんとか思いとどまってくれたようです。

 その代わりに、シロくんは扉を指さしました。


「――さっさと、お引き取りください。メイさん」


「あっ、俺しばらくここで寝泊まりすることにしたわ。よろしく!」


「はあ? ここは兄上のお邸ですよ? だれの許可を得ていると……?」


 メイさんのあまりにも勝手なふるまいに、シロくんは怒りを通り越して呆れてしまったようです。


「お前の邸でもないだろ。お前だって自分の家があるのに、乙葉ちゃんを警戒して、こっちに泊まり込んでるじゃん」


「それは……っ、ぼくは良いんですよ。兄上の弟ですから!」


「俺だって、好きなときに泊まりにきていいって閻魔に許可もらってるもん。ま、三百年前くらいに言われた言葉だけど。まだ有効だよな?」


 メイさん……単位が、人間の常識から、かけ離れています。

 シロくんは露骨に顔をしかめました。


「さっさと帰ってくださいよ。一日も早く」


 そう言い残して、シロくんは部屋から出て行きました。

 後に残されたのは、メイさんとわたしです。

 わたしは、どうしていいのかわからず、居心地の悪さを味わいました。

 メイさんと、閻魔さまのお屋敷で顔を合わせるのは、初めてのことです。

 メイさんは食事処とつながっている――日本風に言えば、居間にあたる場所まで歩いて行きます。

 壁際では、暖炉の火が赤々と燃えていました。

 それは決して消えない地獄の業火を使っているそうです。

 メイさんは一人掛けの椅子に腰かけると、わたしには見えない誰かにむかって声をかけました。


「ああ、地獄茶をくれるかな? すごく苦いのを頼むよ」


 そして、メイさんはその誰かと軽く会話をかわします。

 ここにくるのは久しぶりだよ、とか、なんとかさんは元気? というような、ごくごくありふれた世間話のようでした。

 わたしはメイさんのそばまで、そっと近づいてみました。

 けれど、やはり――メイさんの声は聞こえても、そこにいらっしゃるはずの方の声も聞こえません。お姿も見えません。

 メイさんの椅子の後ろにまわってみたり、失礼を承知でメイさんの話している相手の場所らしきところに手を伸ばしてみましたが、何にもふれられません。


「乙葉ちゃん。その動き怪しいよ」


 メイさんにそう言われて、わたしは諦めました。

 おとなしく長椅子に腰かけ直します。

 大きな窓から見える日本庭園は、変わらずわたしの心を和ませてくれます。

 闇夜の中でも、あわく光をこぼす石行灯と火の玉さんたちが、とてもきれいです。

 ふいに、外の草陰で、何かが動きました。


「……あ、ヒョウくん」


 ヒョウくんは、どこかにむかって走ってゆきました。

 そういえば、ヒョウくんとは今朝から会っていませんでした。

 仕事ではヒョウくんを連れていけないので、一緒にいる時間をとれなくなってしまっています。

 そう思うと、急にさみしくなってきました。あとでヒョウくんを愛でること決定です。

 それにしても、いつもは居間や寝所でごろごろなさっていることが多いのに、こんな時間に外を歩いているというのはめずらしいですね。

 何か、面白いものでも見つけたのでしょうか。


 メイさんの前に陶器の茶器がおかれました。続いて、わたしの前に置かれます。

 その茶器のなかには、藻のような緑色の物体が浮いた黒くてなまぬるい液体が入っています。

 メイさんは、おいしそうに地獄茶をすすっています。


「メイさん……どうされたのです?」


 わたしは、メイさんに問いかけました。

 メイさんの行動は、急すぎますし――不審です。ええ、わたしの先ほどの行動よりも、不自然です。

 メイさんは微笑んで、おっしゃいました。


「乙葉ちゃん、夜語りをしようか」


「……夜語り?」


「きみは、俺に聞きたいことがあるんじゃないかな? 眠たくなるまでのあいだ、子守唄がわりに答えてあげようか」


 まるで、わたしの心を見透かすようにメイさんはおっしゃいます。


「……メイさん、すごいですね。まるで、わたしの気持ちがわかっているみたいです」


「まぁ、ね。俺は妖怪のさとり天邪鬼あまのじゃくの血を引いているから。だいたいのことは、心を読めばわかっちゃうけど」


「そうなのですか!?」


 表情でわかる、と言われて、わたしは焦りをおぼえて両手で顔を隠しました。


「うん。まあ。でも、乙葉ちゃんに対しては全然してないから安心して。心を読むまでもなく表情ですぐわかっちゃうからね。それに、俺はこの能力あんまり好きじゃないから、あんまり使わないようにしているんだよね」


「どうしてですか? 便利そうな能力なのに……」


「つまらないじゃないか。遊戯がすぐに終わるのは」


 わたしはまじまじと、メイさんを見つめました。

メイさんは見た目には、まったく人間と変わりないのですが……。やっぱり妖怪さんなのですね。

 地獄には明らかに人の形をしていないかたが多いので、ついメイさんたちと接するときは人間のように感じてしまっていたのですが。

 いいえ、そんなことよりも。今は先ほど言われた言葉を吟味せねば。


「何でも教えてくださるのですか?」


「まあ、タダじゃ無理かな。それなりの報酬は頂くけど」


 報酬……。

 残念ながら、わたしは無一文です。

 どうやら、わたしはさぞ情けない顔になってしまっていたようです。メイさんが吹き出しました。


「払えないなら、ツケにしておいてあげるよ。言っておくけど、俺の情報は高いよ?」


 ああ、それでもこれほどありがたいことは、ありません。

 いまの状況では、閻魔さまよりも、シロくんよりも、メイさんは聞きやすい相手なのですから。

 わたしは意を決して、言いました。


「閻魔王の恋は、悲劇って……どういうことですか?」


 わたしが問いすらも、すでにわかっていたのでしょう。メイさんは口の端をゆがめました。



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