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この感情の名を

 気が付けば、わたしは寝台に横たわっていました。

 そばには衝立があり、視界が遮られています。


「ここは……?」


 つぶやいてみて、わずかに咳き込みました。

 すこし、喉がイガイガしています。

 水分が欲しくて見わたすと、脇の卓の上に陶器の水差しが見つかりました。半身を起こし、それにむかって手を伸ばしたとき、衝立のむこうから誰かが入ってきました。

 ――閻魔さまです。

 めずらしく、おかんむりなのでしょうか。

 閻魔さまの眉間には、深いしわがよっていました。

 ……美形さんが怒ると、こんなに迫力があるんですね。知りませんでした。

 閻魔さまはいったい何に、そこまでお怒りなのでしょうか。

 閻魔さまはおもむろにわたしに近づくと、じっとその冷たげな双眸で、わたしを見下ろしました。

 ……無言です。

 ただただ無言です。

 穴があくのではないかというほど見つめられて、次第に、わたしの体が熱をおびてきました。

 あまりに見られると、恥ずかしいです。

 閻魔さまは、わたしの一挙手一投足まで、観察なさるおつもりでしょうか?


「あ、あの……閻魔さま? そんなに見つめられると、困ります……」


 わたしは掛布を引っ張り、できるだけ閻魔さまの視界から身を隠しました。

 おそらく、わたしの顔や首まで、もう朱に染まってしまっているでしょう。

 わたしは肌の色が薄いので、緊張するとすぐに真っ赤になってしまいます。

 閻魔さまから、すべて隠すことができていればいいのですが……。


「……心配した」


 ただ、そう、ひとこと。

 閻魔さまは、先ほどより幾分やわらかくなった表情で、そうおっしゃいました。

 そこでようやく、閻魔さまがわたしの体調を心配して、仕事を抜け出してきてくださったことに気付いたのです。

 先ほどわたしを凝視なさっていたのは、わたしの体になにか異変がないか、お調べになっていたからなのでしょう。


「閻魔さま……ありがとうございます。ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」


 泣くつもりなどなかったのに、ぽろりと勝手に、雫がこぼれ落ちました。

 一度あふれ出してしまうと、堰を切ったかのように止まらなくなります。

 ……もう限界でした。

 死んで、地獄に落ちて――自分が何者なのかもわからず、幼馴染にはこれ以上ないほどに憎まれています。

 本当は、死んでからも、ずっと後悔していました。

 死ぬ前に言うのではなかった、と。

 死んでしまってから後悔しても遅いのですね。

 たとえ、ここ数年は冷たい仕打ちをうけていても、10年以上も共にすごした記憶が失われるわけではありません。

 たとえ嫌いだと口にしても、涼くんを嫌いになったはずがありません。

 けれど、幼馴染に刺されて殺されたという事実は、わたしを打ちのめします。


「乙葉……」


 閻魔さまが、困惑したような声をもらしました。

 その手が不自然な動きで、わたしの頭に伸ばされました。

 ものすごくぎこちなく、前後に撫でられています。

 誰かを甘やかすことに慣れていないのが、バレバレなのです。

 わたしは、つい、噴き出してしまいました。

 ひとしきり笑ったあと、どこか不満げにも見える閻魔さまを、わたしは見上げました。

 ほんの1ミリほど、閻魔さまの眉根はよせられています。

 きっと、翻訳するならば、『なぐさめたのに、なぜか笑われた。釈然としない』と言ったところでしょうか。

 きっと、そんなに間違ってはいないはずです。

 どんどん距離が近づいて、表情の違いがわかるまでになってきたのですから。

 わたしは、微笑みながら閻魔さまを見上げました。


「この幽世で、最後の瞬間まで、閻魔さまのおそばに置いて欲しいのです。わたしは、お役にたちますから……。いえ、もしかしたら、全然お役にたたないかもしれないんですけど……っ。でも、足手まといにはならないようにしますので――」


 語尾が震えてしまうのを、必死に抑えました。

 どうして、閻魔さまにこんなに縋ってしまうのか。

 これがどれだけ愚かなことか、わたしは知っています。だって、いつか、わたしを地獄に落とすのは閻魔さま自身ですのに。

 けれど、どうか閻魔さまが、わたしが終わる瞬間までには、笑ってくださいますように。

 だって、わたしは閻魔さまの笑顔をまだ見たことがないんです。笑ったら、きっと綺麗です。


「乙葉、俺は……」


 閻魔さまは、一瞬、息を詰めたかのように動かなくなりました。

 そして、その麗しいお顔をわたしに近づけてきます。

 息がかかるほど近くにまで顔をよせられて、わたしは凍りつきました。


「なにをなさっているんですか?」


 冷たい声が、衝立の向こうからかかりました。

 そこから現れたのはシロくんでした。その形相がすさまじかったので、わたしは思わず身を引いてしまいました。

 シロくんの後ろから現れたのは、メイさんです。


「――やあ、乙葉ちゃん。思っていたより元気そうだね。心配したんだよ」


 メイさんにそう言われて、わたしはやっと肩の力を抜きました。

 何だか、シロくんがこれまでと別人のように感じて恐ろしかったのです。

 シロくんに好かれていないことは知っていましたけど、これまではあれほど憎悪の眼差しを向けられてはいなかったのですから。

 わたしがシロくんの方をびくびくしながら窺っていたせいか、メイさんがシロくんの後ろからほっぺたをつまんでいます。


「ほら、シロ。笑え笑え~」


 シロくんが、うっとうしげにメイさんの手を振り払いました。


「やめてください、メイさん! いつもいつも!」


 シロくんは荒げていた呼吸を落ち着かせるように深呼吸すると、わたしに向きなおりました。


「乙葉さん……、ぼくはあなたを認めません」


「どうして、ですか……?」


 わたしは悲しくなって問いかけました。

 シロくんはぐしゃりと己の青い髪を掻きまわします。


「閻魔王の恋は、悲劇でしかないからです」


 わたしは、目を見ひらきました。

 ……恋?

 ふいに、己の感情に名前をつけられた気がしました。


「これは歴史が何度も語っていることです。ぼくがこう申し上げるのは、もちろん、一番は兄上のためですけれど……それでも、ほんの少しだけ――乙葉さんを哀れに思って、わざわざ教えて差し上げているんですからね」


 ふいに、目の前が真っ暗になりました。

 誰かの手が、わたしの両眼をふさぐように覆っているのです。

 なんとなく、その主を見なくても誰なのかわかってしまいました。


「閻魔さま……?」


 シロくんは、閻魔さまにむかって言いました。


「兄上、ゆめゆめお忘れなきよう。貴方が、閻魔王だということを」


 閻魔さまは長いあいだ、黙っていらっしゃいました。

 そして重々しいため息をつくと、わたしたちにむかって言いました。


「仕事に戻る」


「あ、はい……」


 わたしは視界が見えない状態でも状況を理解して、わたわたと閻魔さまにむかって言いました。


「閻魔さま、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした! ありがとうございます」


「……ああ」


 閻魔さまは一言だけ返すと、「あとは任せる」と、おそらくメイさんにでしょう――言いました。

 ゆっくりと、閻魔さまの手が離れていきます。

 わたしから見えるのは、もう閻魔さまの背中だけでした。



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