知らないあいだに副官襲名
シロに直接会って差し入れを渡そうとしていた乙葉ちゃんを、俺はてきとうに言いくるめて閻魔の屋敷に帰した。
もちろん、配下にこっそり後をつけさせておくことも忘れない。乙葉ちゃんが敵なのか味方なのかはっきりしない以上、油断はできないのだ。
彼女から受け取った重箱の蓋をあけて、中を覗き込むと黒いおはぎが詰められていた。
「ま、毒は入ってないと思うけど。っていうか、ほとんどの毒は妖怪にはきかないけどね」
とはいえ、一時的に身体の機能を停止させるようなものも存在する。
俺は毒見と称して、重箱に入れられていた黒くて丸いものをひとつ、口に運んでみた。
「あ、けっこううまい」
もごもご口を動かしながらつぶやく。
なにげなく庁舎内に意識を飛ばせば、見知った気配を感じた。
閻魔だ。ちょうど、十王会議から戻ってきたのだろう。
妖怪同士なら、ある程度の距離に近づけば、すがたが見えなくても相手の気配を察することができるのだ。
俺レベルの妖怪にもなれば、この幽世のどこに隠れていてもわかるくらいだ。
まあ、気配を隠されていたらお手上げなんだけれども。
っていうか、俺に気配を隠せるレベルってことは俺より強いってことだから、どっちにしてもお手上げなんだけどね。
「それにしても、乙葉ちゃんはわからないなぁ……」
あの扉は上級妖怪にしかひらかないはずなのに、乙葉ちゃんはあけることができた。
けれど、乙葉ちゃんのまとっている気配は、人間のそれとまったく変わりない。
そもそも、妖怪の気配を放っていたら、さすがに俺たちもすぐに気づいただろう。
「うーん……なにか、見えない結界でも張ってあるのか……。それとも、本当に彼女がいうように、たまたま扉があいていたのか?」
仮に扉があいていたとしたら、それは閻魔庁に侵入者がいるということだ。由々しき事態である。
だが、このことを明るみにして犯人に逃げられてしまうくらいなら、もうしばらく泳がせておいた方がいい。
シロあたりにバレたら『いつも、そうやって、メイさんは独断で行動をするんですから。やめてください!』と、お説教くらいそうだが。慣れてるのでそれは良い。
「ああ、楽しくなってきた」
厄介ごとに首をつっこむことが大好きな性分なんだから、仕方がないじゃないか。
面白いことは、たとえ一瞬でも退屈を紛らわせてくれる。だから大好きだ。あと、女の子も大好き。というか、女体が好き。ほんとうは生き物がすべて嫌いだから。
正義や悪なんてどうでもいい。俺にとって大事なのは、楽しいかどうかだけ。
もし、一時でも楽しませてくれるなら、悪事に加担することさえ厭わないだろう。
まあ、閻魔たちをからかって遊ぶのが楽しいから、表だってそむくような行動はしないけどさ。
「嘘がつけないというのも難儀なものだねぇ」
乙葉ちゃんが真実をすべて話していないことにも、気づいていた。
あのとき、彼女の視線は泳ぎまくっていたし、手足も緊張して震えていた。あれではとうてい詐欺師にはなれないだろう。
覚としての能力を使うまでもない。
俺は妖怪、覚。
相手の感情を読む能力をもっている。
ただし、俺は純血の覚じゃなくて母親が天邪鬼だから、能力をつかってても読めないときもあるんだけどね。
でも、相手の心を読んでしまったら遊戯の大半はすぐに終わってしまう。だから嫌いだ。
「退屈で怠惰な日常が終わりますように」
口元に笑みがこぼれるのを感じる。
乙葉ちゃんに関してはいずれ白状させることにして。
問題は、あのふたりの説得だ。
業務報告なども終わり、すこし休憩をとろうということになったときのことだ。
「乙葉ちゃんからの差し入れだよん」
と、言って、ふたりにおはぎを差しだす。
閻魔はほとんど無反応だったが、シロはびっくりした顔をしていた。そして、「食べ物に罪はありませんからね……!」と、わずかに頬を赤らめながら不本意そうな表情をつくって食べている。ツンデレめ。
閻魔は乙葉ちゃんのおはぎに興味深々なのか、じっと見つめていた。
閻魔はまいにち庁舎で休憩中に甘味を食べているくらいの甘党だ。おそらく何個あるか数えているに違いない。悪いな、すでに一個は俺の腹の中だ。
「閻魔。乙葉ちゃんを、俺の副官に指名したから」
俺は何気なさを装いながら、俺は閻魔とシロにむかってそう言う。
シロの口からおはぎの欠片が、ぽろりと落ちた。唖然とした表情で、俺を見返している。
「本気ですか、メイさん……?」
「ああ。ちなみに、本人からすでに了承はとってあるから」
閻魔は高座に腰かけたまま、少しだけ眉根をよせる。
これでも、奴にしては天変地異がおこったかのような反応だろう。
そのことを知っているのは、おそらく身近でこいつと接している俺とシロくらいなものだ。
もしかしたら、乙葉ちゃんも?
とは思うけれど、たかが一か月でこいつのことがわかるはずもない、と俺は内心で首をふる。
シロの眉間のしわが、どんどん深くなっていく。
「メイさん、これは大問題です。閻魔庁の歴史が変わりますよ」
「おいおい、大げさな」
「大げさではありません。これまで閻魔庁で、女性の官吏は存在しませんでした。しかも、彼女は官吏試験に合格したわけでもない」
そう、ほんらいは地獄で官吏になるためには、試験に合格しなければならない。
六道文書に精通し、正常な判断能力をもった識者でなければ、百官にはなれないのだ。
官吏試験の合格率といえば、地獄で最難関。
ちなみに、俺もシロも、閻魔だって、これには合格しているわけで。
高官ともなれば、知識も妖力も必要とされるからだ。どちらかが欠けても、なれるものではない。
シロは、顔を真っ赤にさせながら憤りをあらわにしていた。
「そんなの、誰も納得するわけがないでしょう! さらにいえば、乙葉さんは妖怪ではなく人間じゃないですか。ありえませんよ……っ。何を考えているんですか、メイさん!」
シロの苛烈な口調に、俺は肩をすくめる。
「だからこそ、副官に指名した。知っているだろう? 『司命と司録の副官は、互いの同意によってなされるべし』。つまり、誰を指名してもいいってことだ」
「それは……っ! たしかに、六道文書ではそうなっていますが……、それは官吏ではなかったけれど功績のあった妖怪を副官に指名するために、付け足された一文です。じっさいのところは、長年、官吏としてつとめあげた者が登用されることが、暗黙の了解だったじゃないですか!」
そう、ある意味、法の穴をついたような形だ。
俺はニヤリと口の端をあげた。
「そう。だから、俺は乙葉ちゃんを指名した。言っておくが、司録がそれ以上、司命の選んだ相手に口をはさんでくるのは規則違反では?」
「な……っ」
シロは言葉が見つからなかったらしく、口を何度も開閉させている。
長いあいだ黙りこんでいた閻魔が、静かに唇をひらいた。
「乙葉は……それに同意した、と?」
「ああ、もちろん。本人も喜んでいたよ」
俺はてきとうなことを言った。
実際には脅したんだけどね。
閻魔はしばらく視線を卓の上に落としていた。そして目を閉じると、重いため息を漏らして言う。
「――良い。許可する」
「兄上!」
非難するように言葉を発したシロにむかって、閻魔は首をふった。
「司命がそう決めた以上、俺が口をだすことではない」
そう――。副官の指名は、司録と司命がそれぞれ責任を負うことだ。
閻魔に最終判断をあおぐことは、形式上だけのこと。
閻魔は独白のようにつぶやいた。
「……乙葉は俺のものではない。これまでは、なりゆきで俺が身柄を預かっていたが……彼女がしたいと望むことを、俺が止める権利はないんだ」
* * *
メイさんの部下になると決まった夜のことです。
閻魔さまのお屋敷には、大きな露天風呂があります。
わたしはいつものようにヒョウくんと一緒に入り、その柔毛をたんねんに洗ってさしあげました。
湯加減が良かったのか、ヒョウくんはだらりとわたしの肩の上で伸びています。
「良いお湯でしたねぇ」
夜着をまとって、歩いていたときのことです。
向かいから歩いてくる方に出会いました。閻魔さまです。
「閻魔さま、お帰りなさい!」
わたしは、彼のもとまで駆け寄りました。
閻魔さまの顔色はいつも以上に白く、わたしの目からも、不自然なことがわかりました。
それに、何か言いたげな瞳をしていらっしゃいます。
「……どうか、なさいましたか?」
閻魔さまは、ずいぶんと長いこと、黙ってしまわれました。
そして、ゆっくりと口を動かされます。
どこか、緊張した雰囲気を漂わせながら。
「……乙葉は」
「――はい」
わたしは、閻魔さまをじっと見上げました。
闇夜の中でも、その美貌は目をみはるほど輝いています。
閻魔さまは、何もおっしゃいません。
「……いや、良い。おはぎ、美味しかった。ありがとう」
「い、いえっ。喜んでいただけて、わたしも嬉しいです」
褒められて、わたわたとしてしまいます。
お帰りになってから閻魔さまに差し上げようと思っていたのですが、メイさんが「渡しとくよん」と引き受けてくれたので、そのままお渡ししてしまっていたのです。
無事に、閻魔さまの口に運んでいただけたと知り、わたしは足元がふわふわしてくるのを感じました。うれしい、です。
「……ええっと、おやすみなさい。閻魔さま」
閻魔さまの視線にさらされて、居たたまれなさを感じました。これは、今日はさっさと立ち去るのが良いかもしれません。
就寝前のご挨拶をして、わたしは閻魔さまから離れていこうとしました。
「…………」
閻魔さまが後ろで何かおっしゃったような気がして、わたしは廊下の途中で、振りかえりました。
けれど、そこにはもう、閻魔さまのおすがたはありませんでした。