メイさんとの取り引き
わたしに呼びかけたのは、メイさんでした。
「……乙葉ちゃん」
「ああ。メイさん、会えてよかったです。どうして、ここへ?」
わたしは、迷子だった心細さから、メイさんに駆けよりました。
「牛頭に、きみがきていることを聞いたんだ。ずっと執務室で待っていたが、いっこうにやってこないから、迷子になっているのかと思って探しにきた」
「そ、そうだったのですか。わざわざ探してくださり、ありがとうございます! ご迷惑をかけて、申し訳ありません」
しかし、メイさんの表情から憂いの色は消えません。
「乙葉ちゃん、どうやってここに入った?」
「……え?」
「鍵が、かかっていただろう?」
メイさんの指が、入り口の扉をしめします。
鍵?
「鍵なんて、まったく気づきませんでした。ふつうに、扉を押したらひらきましたが……?」
わたしは不法侵入の罪悪感から、そうあわてて言います。
メイさんの瞳には、わたしへの不信感が浮かんでいました。
わたしは胸が痛むのを感じます。
もちろん、疑われるようなことをした自分が悪いのだと、わかっています。
「勝手にこちらに入室してしまい、申し訳ありませんでした。ですが、本当に鍵は……」
わたしが頭をさげました。
メイさんは何かを、考えこんでいるようでした。
ふだん笑顔と軽口をたやさない彼にしては、めずらしいことです。
しばらくして、メイさんは重々しくおっしゃいました。
「この部屋は、貴重品や重要書類の保管場所になっているんだ。なかには、関係者以外には秘匿されている巻き物もある」
わたしは息を飲みました。
そんなたいそうな場所に、無断で足を踏み入れてしまったのです。
メイさんは、なおも言います。
「ここの扉は、ぜったいに勝手にひらかない作りになっている。そうやすやすと、閻魔庁の秘密を外部に知られてはならないからだ。だから、たったひとつしかない扉には、特殊な加工がほどこしてある。その者のうちなる妖力の大きさに反応して扉が開錠するんだ。ここでそんなことができるのは、十王である閻魔をのぞけば、俺とシロくらいしかいない」
なにが起こっているのでしょうか。
つぎつぎにおこる事態に、とてもついていけていません。
ずっと震えているわたしに、メイさんはやさしい口調で言葉をかけてくれます。
「どうしてこんなことになったのか、話してくれないか?」
すぐに口をひらこうとして、思いとどまりました。
……鏡のことを、口にしてもいいのでしょうか?
自らを、浄玻璃の鏡だとおっしゃった方。
ここですべてを話してしまえば、彼に誘われて入室したことを伝えてしまうことになります。
もしかしたら、彼が責められてしまうかもしれません。
彼はご親切にも、わたしに忠告してくださいました。
それに、あの会話の内容をだれかに――たとえメイさん相手でも――話すことには、なぜか抵抗がありました。
鏡は、メイさんがあらわれてからずっと沈黙しています。
それはつまり、話したくないか話せないかのどちらか、なのでしょう。きっと。正直に言うのは得策ではありません。けれど、嘘をつくことも――。
わたしは目まぐるしく考えながら、苦しまぎれに言いました。
「……声が」
「声?」
「呼ばれた、気がしたのです。だから、無断で入ってしまいました。申し訳ありません」
メイさんは押し黙ってしまいました。。
彼の銅色の瞳が、静かに私を見下ろしています。
メイさんは自身の首のうしろを掻きながら、「う~ん」と、長いため息をもらしました。
「まいったなぁ。それで、たまたまひらきました、じゃ、とても納得できない。他の十王の間諜という可能性もあるしね。本来なら不審者として捕えるところだけど、それはきっと閻魔が納得しないだろうしな。もしも、乙葉ちゃんが強い力を秘めているのだとしたら、逃亡されてしまう可能性もあるわけだし?」
「わ、わたし……拘束されてしまうのですか?」
おろおろしました。
なぜだか、ふいに、メイさんは何かを思いついたように、晴れ晴れしい顔になりました。
「え~、どうしようかなぁ。すべては俺の裁量しだいだねぇ?」
「そ、そんな……」
「乙葉ちゃんが捕まれば、当然、不審者であるきみを居候させていたっていうことで、閻魔も周囲から追及されるだろうなぁ。さすがに、地位を剥奪されることはないだろうけど、疑いはもたれるかもなぁ?」
とんでもない事態になってきました。
わたしのうかつな行動のせいで、閻魔さまにまで累が及んでしまうのです。
メイさんは、ずっと意地悪そうに口の端をあげています。
「俺の意思ひとつで、今回のことを黙っておくこともできるけどね?」
「え……?」
わたしは目を見ひらいて、メイさんを凝視しました。
「ただし、それには条件があります」
「な、なんでしょう?」
もはや、どんな条件であっても飛びついてしまいかねません。
閻魔さまにご迷惑をかけてしまうのだけは、ぜったいに阻止しなければ。
メイさんは、にやにやしています。
困っているわたしを見て楽しんでいるとしか思えません。
確信しました。彼はドSです。
「ひとつ、俺の言うことには絶対服従。ふたつ、俺への返事は『はい、喜んで!』。みっつ、これが一番重要だな。どれほど仕事に忙殺されても逃げださないこと」
「は……? あの……?」
どういうことかわからず、わたしは目を白黒させました。
「つまり、これから俺は乙葉ちゃんの上司です」
「へ……えぇ!?」
メイさんはしたり顔で、何度もうなずいています。
「いやぁ、俺って天才だな~。乙葉ちゃんを監視するには、それなりに力のある者でなければいけないだろう? でも閻魔にこの話をしたらこじれそうだし、なにより俺が面倒くさい。だから、疑いがはれるまでのあいだ、乙葉ちゃんの監視役は黙って俺がやるのが一番良い。しかしながら、昼間は、俺も仕事中で庁舎を空けられない。ゆえに、乙葉ちゃんには閻魔庁にいてもらうのが一番である。乙葉ちゃんにすごい力があるとしたら、それを有効利用できるし……うちは万年人手不足だ。それはもう、猫の手もかりたいほどに」
妙に理路整然と、メイさんはおっしゃいました。
「閻魔には黙っておこう。そして、きみを逮捕しない。それが、交換条件だ。――引き受ける? まあ、もし断るなら、すべてを明るみにするだけだけどね」
……退路を断たれてしまいました。
しかし、考えてみれば、メイさんのその条件は――わたしにとっても、悪くないものなのです。
わたしが閻魔さまの小間使いに志願していたのは、一方的にお世話になっていることが心苦しいから、というのが一番の理由です。
けれど、閻魔さまの何かお役にたちたいからという気持ちもありました。
そして、もしメイさんの部下になるのなら、閻魔さまを影ながらお助けすることになるはずです。
それが、たとえ期間限定であっても。
――いつか、別れるまでのあいだのことであっても。
わたしはたしかに死んでいますが、この幽世にいられるあいだは、閻魔さまのおそばにいる資格ができたらいいと。
ほんの少しばかり、欲張りなことを考えてしまいました。
わたしは戸惑いがちに、メイさんにむかって言いました。
「……はい、喜んで」
「良い返事だ」
そう、わたしの上司さまは笑いました。