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地獄にて

 拝啓 お父さん お母さん


 地獄での生活も、最近は慣れてきました。

 閻魔さまの小間使いになって、はや一か月が過ぎ去ろうとしています。

 生きている頃は、まさか、自分が地獄に落ちるとは思ってもみませんでした。

 ああ、前置きが唐突すぎたかもしれませんね。

 わたしが死んだ経緯すら、伝えていませんでした。

 ああ、それにしても……色んなことがありすぎて、いったい何からお話すればいいのか、わかりませんね。

 けれど、心配などご無用ですよ。

 地獄の皆さんは、とても親切で、わたしはまいにち楽しくすごしていますから。


 ……ああ、閻魔さまに呼ばれてしまいました。

 残念ですが、手紙の続きはまた今度に。


     乙葉おとはより





「はいはい、すぐに行きますよー」


 わたしは文机から顔をあげて、袖を引っぱるヒョウくんを見つめました。

 ヒョウくんはサルの顔に、タヌキの胴体、虎の手足を持ち、尻尾はヘビみたいなうろこを持っています。

 大きさは両手に収まるくらいです。

 生後まだ一か月ほどの、赤ちゃん妖怪のぬえさんです。

 こう見えても雷獣さんなので、わたしよりもずっと強いです。


「わざわざ呼びにきてくれたんですか? ありがとうございます」


 わたしは、ヒョウくんの頭を撫でました。

 ヒョウくんは閻魔さまが保護をなさっている妖怪さんで、とてもお利口さんです。

 頭を撫でると『ヒョーヒョー』と鳴きます。皆さんその声を聞くと身が震える思いをするそうですが、わたしはとても可愛いと思っています。


「……はっ、癒されている場合じゃありませんでした。早く行かないと……っ」


 わたしは寝間着を脱いで、箪笥たんすから取りだした衣装に着替えます。

 地獄で皆さんがまとう服は、洋服でも和服でもありません。

 あえていうなら、七夕のときに織姫さまが着ている衣装に似ています。

 漢服というんでしょうか。完全に同じではないようですが、中国の伝統衣装のようにも見えます。

 床につくほどの丈の下裳スカートに、華やかな長い腰帯。

 袖口は広くゆったりしているので、手を重ね合わせて「你好ニーハオ」と言ってみたくなります。

 実際、初めて着たときに言ってみました。……誰にも伝わらず、気恥ずかしい思いをしましたが。

 ここでは言語はあまり関係ないようですね。

 わたしは日本語しか話せない生粋の日本人であったはずですが、妖怪さんたちと意思疎通ができています。いったい、どうなっているんでしょうか。

 まあ、そんなことはどうでもいいですね。


「ヒョウくん、お待たせしました。では、閻魔さまのところに参りましょうか」


 ヒョウくんの鼻先をつつくと、少し濡れていました。

 小首をかしげられて、わたしは内心キャハハウフフ状態です。地獄って良いですね。

 一か月前は、まさかわたしが地獄に落ちるなんて、と驚きもしたものですが、人間って何でも慣れるものですね。


  * * *


 わたしは、現在は閻魔さまのおうちに居候状態です。

 閻魔さまのおうちは、とっても広いです。

 廊下はいつまで経っても果てが見えません。異次元に通じているのではないかと思うほど、奥へ奥へと進むことができます。

 閻魔さまは日本びいきな方で、建物の中や庭園には和をモチーフにしたものがたくさんあります。

 このお屋敷自体は、和風と中華風が混ざっているような雰囲気があります。

 長い板敷の廊下から外をながめれば、暗闇にぼうと浮かびあがって見えるのは火の玉さんたちです。

 青白かったり橙色だったりして、ゆらゆらと揺れていました。

 いつの間にか現れたり消えたりする神出鬼没な火の玉さんは、地獄ではありふれた生き物らしいです。

 空を見上げると、厚い雲が天をおおっていました。絵に描いたように、どよん、としています。

 地獄には、昼というものはありません。


「地獄って、ふしぎです……」


 閻魔さまのご趣味である、砂が波打つ日本庭園の石行灯いしあんどん

 薄暗い池には、青や黒や橙の模様の錦鯉が泳いでいました。その水面の上を、ゆらゆらと火の玉さんたちが照らすように泳いでいきます。

 屋敷の正面口から外に出ると、足元を照らすものもなってしまいます。

 星も月明かりもなければ、闇の中にいるようです。

 わたしは身をすくめてしまいました。


『お嬢さん、これを……』


 女性の声がして、わたしは振りかえりました。

 しかし、そこには誰もいません。暗闇があるだけです。

 ただ、ひんやりとした手に、右手を握られたような心地がしました。

 気が付けば、わたしの手には提灯ちょうちんがあります。誰かが握らせてくれたようですね。


「まあ、ご親切に。いつも、ありがとうございます」


 どうやら、閻魔さまのお屋敷の女中さんだったようです。

 わたしは見えないその方にむかって微笑み、頭を下げました。

 肩に乗っていたヒョウくんが、『ヒョーヒョー』と、誰もいないはずの虚空にむかって鳴きます。挨拶をなさったのかもしれませんね。

 地獄では、つねにどこもかしこも真っ暗なので、皆さん提灯や行灯を持って歩いています。

 もしくは、火の玉さんと一緒に歩いていらっしゃいますね。火の玉さんたちは従順なので、部屋やお庭に放し飼いにしている方も多いようです。


「地獄よいとこ、一度はおいで」


 草津節を変えて口ずさみながら、わたしは道を歩いていきます。

 閻魔庁の庁舎は、【地獄通り】という大通りの中の一番目立つところにあります。

 そこは町の中央と呼べる場所なのですが、庁舎に行くまで、ふだんは誰かに会うことはありません。

 この辺りは地獄一丁目と呼ばれるところで、治安は良いらしいです。

 というのも、閻魔さまの私有地にあたるので、おそろしい妖怪さんたちが出てこないようですね。地獄の深いところは、怖い妖怪さんがたくさん出てくるらしいですよ。

 一丁目、二丁目、三丁目と……数が増えていくにつれて、見たこともない妖怪さんが増え、悪い者たちがごろごろしてくる、と閻魔さまはおっしゃいました。

 そのため、閻魔さまからは一丁目からは出ないように、と何度も言い含められています。わたしは平気ですのに、閻魔さまは心配性さんなのです。


 閻魔さまに教えられたとおり、まっすぐに地獄通りを進んでいきます。

 地獄では、道順は気をつけなくてはいけません。

 たとえば何か看板や建物を目印にしたとしても、すこし目を離せばそれが反対側に移動してしまっていることが多々あるのです。

 ぐるぐると町中の建物が動いているような感じですね。

 目でじっと見ているときは止まって見えるのですが、わたしが目を離すとまた動きだしてしまいます。

 まるで、『だるまさんがころんだ』をしているみたいですね。

 遠くからでも見える庁舎は、中華王朝時代の王城のようにご立派です。

 壁や大きな柱は朱色で、屋根瓦はあざやかな黄色をしています。


「もうすぐですねえ」


 石畳の大通りの軒先には幾重もの赤提灯がかけられており、風がなくてもかすかに揺れています。

 たくさんの家々が軒を連ねているのに、戸口や木枠がはめられた窓はかたく閉ざされています。室内からは、まったく明かりがこぼれていません。

 やっぱり、どこか建物は古い日本の民家のようにも見えるのですが。


 りん、と鈴が鳴るような音がしました。

 ふいに、童女の声で、わらべ歌が聞こえてきました。

 その声に思わず、足を止めます。

 横手の真っ暗な路地からでした。


 《 とおりゃんせ とおりゃんせ

    ここはどこの ほそみちじゃ

     てんじんさまの ほそみちじゃ 》


 わたしがこっそり覗き見ると、そこには、おかっぱ頭の童女がいらっしゃいました。まりを蹴りながら歌っているようです。

 彼女は、ふと動きを止めて、こちらにむかって微笑んでくれました。


『――こっちにきてよ、お姉さん。遊ぼう』


「まあ、お誘いありがとうございます」


 彼女に誘われて、わたしは一歩、足を踏みだしかけました。

 しかし、わたしの肩口で、ヒョウくんが警戒するようにうなり声をあげます。

 わたしはハッとして、その場で足を止めました。踏みしめた右足が、大通りから半ば外れようとしていました。

 少女のいる場所は、もはや一丁目ではありません。

 すこしでも奥に行けば、わたしは迷子になってしまうでしょう。

 閻魔さまの言いつけを破ってしまうことになってしまいます。

 童女のすがたはぼんやりと見えていますが、路地の奥は真っ暗で何も見えないのです。


「ごめんなさい。閻魔さまに呼ばれているんです。行かなければ」


『閻魔さまに? そっかぁ。じゃあ、仕方ないね……』


 心底残念そうに、少女は肩を落としていました。


「ごめんなさい。また今度、遊びましょう?」


『……それは、むりだよ。だって、お姉さん、閻魔さまのものでしょう? お姉さんがこっちにきたら、わたし……食べちゃうかもしれない……』


 少女の丸い瞳が、わたしを見つめます。

 その目は木のうろを覗いてしまったときのように、真っ黒で底が見えません。


『だって、とっても……お姉さんの魂って、おいしそうなんだもの……』


 一瞬、ぞくりと、わたしの背中が震えました。

 途端に、童女は人懐っこい笑みを浮かべて、毬蹴りを再開しはじめました。


《 いきはよいよい かえりはこわい

    こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ 》


 ……地獄って、深いですね。




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