I'm a loser (おまけ)
「私、部長のことが好きなんです。人を本気で好きになることのどこが悪いんですか!?」
「え、うーん」
目に涙を溜めた沢井さんを前にして、私は途方に暮れた。
困った。
昨日は、残業しないで、さっさと帰ればよかった。
そうすれば、部長と沢井さんのキスシーンを見なくて済んだのに。
卑怯な部長は逃げ出して、ヒロイン気取りの沢井さんは自分の哀れな境遇をべらべら喋る。
だいたい、今は仕事中だ。
続きはお昼休みに聞くと約束して、デスクに戻る。
沢井さんのせいで、自分の恥ずかしい恋バナを思い出してしまった。
不思議なことに今になって思い出すのは、好きだった相手ではなく、ライバルの霧子さんのことである。
霧子さんは、サークルの先輩だった。
霧子さんは、吊り目の美人で、初対面の時、気が強そうな人だと思った。
さばさばした性格の霧子さんは、サークルで男女共に慕われていた。
霧子さんの瞳は、蜜柑の房に似た半月形をしていて、目の奥でいつも愉快そうに笑っている。
スタイル抜群に良いから、ジーパンにTシャツ姿でもキマッていた。
私も他の子と同じように霧子さんに憧れた。
そのうち、霧子さんに彼氏がいることを知った。
霧子さんの彼氏、久住涼は色んな女と遊んでいることで有名だった。
二年生になり、何の因果か、久住涼と同じカフェでアルバイトすることになった。
バイト終わると、毎日違う女が涼を迎えに来た。
私は、霧子さんのファンだったから、涼の浮気性に腹を立てた。
徹底的に冷たい態度で接していたら、涼が私に興味を持った。
からかわれたり、優しくされたりしているうちに私は涼を好きになってしまった。
霧子さんに罪悪感を抱きながら、ひたむきな恋を免罪符にして涼に何度も告白した。
彼女がいるのに好きになってしまってごめんなさいと涙ながらに告白したこともある。
涼は一途な想いに心揺さぶられて、私を好きになってくれた。
涼は、遊び相手全員と別れ、私は、晴れて本命の彼女になった。
男は意外と押しに弱い生き物である。
でも、慌てて強引に得た気持ちは時間をかけて優しさと思いやりで育てられた気持ちよりずっと弱くて冷めやすかった。
涼は、就職活動を理由に少しずつ私を避けるようになった。
霧子さんが家庭の事情で休学した頃だった。
私は、何も言わずにいなくなった霧子さんをずるい人だと恨んだ。
涼と付き合い始める少し前、私は、霧子さんのバイト先まで押し掛けてライバル宣言した。
その時に言い放った言葉も私を苦しめる理由の一つだった。
「浮気を黙認するなんて、本気で涼を好きじゃない証拠です。霧子さんは自分が一番かわいいだけなんですよ」
横恋慕する自分を正当化する為の酷い台詞だった。
自分が一番かわいい人が二年間も恋人に裏切られる苦痛に耐えられるわけない。
霧子さんは、へたれだったけれど、強く涼を想っていた。
だから、姿を消した。
私と涼から逃げた。
霧子さんは一年後に復学したけれど、その頃はお互いに就職活動が忙しくなっていたから、もう会うことはなかった。
かれこれ八年たったけれど、先日サークルのOB飲み会で涼と霧子さんが結婚するという話を聞いた。
偽善だと言われるかもしれないけれど、霧子さんが悩みながら懸命に守ってきた恋を壊した私は、彼女に負ける運命だったのだろう。
私は、キーボードを打つ手を休めて、缶コーヒーを口に含んだ。
やっぱり沢井さんに言おう。
不倫なんてやめろって。
給料貰ってんだから、仕事中は恋バナするより仕事しろって言ってやろう。