健康のようなもの
サラダ味と聞けば、野菜を思い浮かべても不思議ではない。
けれど、袋を開けて広がるのは、サラダ油の旨味と塩味だった。
もちろん、嘘ではない。
サラダ油を使っているから、サラダ味。
間違ってはいない。
でも、僕は勘違いしていた。
その違和感は、小さな棘のように頭の片隅へ刺さったまま抜けなかった。
お菓子のパッケージには、「食物繊維たっぷり」「ビタミン豊富」と、健康を思わせる言葉が並ぶ。
飲み物には、「カロリーゼロ」「レモン十個分」「一日分の野菜」。
どれも嘘ではない。
だから身体にいいものなのだと信じていた。
コンビニへ寄るたびに買い込み、食べるたび、飲むたび、自分は健康へ近づいているのだと思っていた。
その気分まで含めて、僕は買っていた。
けれど、積み重なった先にあったのは、健康とはほど遠い身体だった。
少しずつ太り、少しずつ悲鳴を上げ始める身体を見て、ようやくあの違和感が姿を現した。
僕はそっと目を閉じた。
どのパッケージにも、健康を思わせる言葉が並んでいる。
僕はさっと耳を塞いだ。
どのお店も、「おいしく健康」と笑いかけてくる。
僕はぎゅっと鼻をつまんだ。
それでも香ばしい匂いは鼻の奥まで入り込み、脳は静かに「食べろ」と囁き続ける。
そのとき、やっと分かった。
この世界は、嘘を売っているわけじゃない。
勘違いを売っているのだ。
誰も騙していない。
だから、誰も責任を負わない。
あの日から、僕は言葉をそのまま信じなくなった。
書かれていることより、書かれていないことを見るようになった。
「身体にいい」と書いてあれば、「どれくらい身体にいいのだろう」と考える。
「ゼロ」と書いてあれば、「何がゼロなのだろう」と考える。
言葉は、真実を伝えるためだけにあるものではなかった。
人を動かすためにも使われる。
そのことを知ってしまってから、僕は世界を少しだけ理解した。
そして、その理解を、少しも好きになれなかった。




