001 実はこの人、社長です
第一話 実はこの人、社長です
家の外、歌舞伎町の雑踏は、平日の昼下がりだというのに人で溢れていた。
その中のひとり、東風谷湊は、アンダーリムの四角い眼鏡を指で押し上げながらスマホを睨んでいた。
「えーっと、いるものは確か、これとこれとこれ…」
見ていたのはメモ帳だった。三日は買い物に出かけなくても良さそうなほどの食料、先日発売されたお気に入りの漫画の新刊、新入社員用の新しいモニター。
寝起きかと思うほどクシャクシャで目も隠れるほど長い髪、猫背気味で歩くその姿は、とても株式会社TECHNOCODEの社長とは思えず、周りのヲタクたちに溶け込んでいた。本人は全くそのことを気にしていない。ただ買い物をしに行くだけなのだから。
騒がしい歌舞伎町を出ると、そこは活気溢れる街ではなくなった。人通りも減り、東風谷湊は心を落ち着かせた。
「ねぇ、あの人良さそうじゃない?」
一気にまた心が落ち着かなくなった。後ろから小声で聞こえたトーンの高い声は、自分に言っているかのように一直線で耳元に入ってきた。
「すみませーん!ちょっといいですか?」
振り向かずとも呼ばれているのが分かった。振り向きたくはなかった。だが、初めての経験だったもので、無意識に振り向いてしまった。そこにはスマホを持った三人組の女性がいた。
先頭に立つのは金髪で背が低めの女性――水戸杏奈。その隣でじっとこちらを見ているのはこの中で一番年長らしい静川甘音。そしてその後ろで静かに眉を細めてマイクを構えている茶髪の西宮悠の三人だ。
「何の用ですか?」
「あのー私たち動画投稿アプリで『ヲタクに奢ってみた』って企画やってて―、どうですか?」
静川が言った。正直こういうやり方の企画は嫌いじゃない。初めての出来事を体験することは何かと知識になる。
「ヲタク……」
「あえ?ヲタクですよね?そのメガネ、髪型、完全にそっち系ですって」
水戸が遠慮なく言ってきた。怒りはなかった。ヲタクでもないのにヲタクと呼ばれるような見た目をしていた自分に気付けたのだから。
「言われてみれば、そうですね」
「じゃ、じゃあ!参加してくれます、か?」
初めて後ろの西宮が口を開いた。三人の中で一番静かそうな彼女が眉を上げてこちらを見ている。その眼差しは、どこか活気があって、就活中に内定をもらったときの表情のそれだった。
「はい。参加しましょう」
その眼差しに負け、気づけばそう答えていた。
――――
食事場所を聞かれ、一番に思い浮かんだ店、歌舞伎町の裏手にある穴場のイタリアンレストラン「コヨーテ」に向かった。この店は二階建てで一階の大半はレジと調理場で埋まっていた。二階には席しかない。
席に座って一番に注文したのはボロネーゼ。なんといってもこの店はどの店よりも野菜の厳選にこだわっている。甘く、そして麺と肉に合う。
三人も何か注文した。待っている間、水戸や静川は交互に質問を投げかけてきた。
「名前はなんですか?」「趣味はあります?」「推しとかいる?」「好きなアニメとかあったり?」などなど。
二人は次第に敬語を使わなくなっていった。
湊は淡々と答えた。名前はもし何かあっても大丈夫なように偽名を使い、「東山湊」と。趣味は読書とゲーム。推しはいない。アニメより漫画派。
正直言って仕事関係やプライベートを包み隠さず伝えるつもりはない。どこにでもいる普通の人を演じた。実際はゲームより仕事のほうが何倍もやっている。だが今更こんなところでバレたくはない。湊は口をつぐんだ。
何個も質問したあと、静川がアカウント名や三人の関係性についても話してくれた。ただ早口であまり理解はできなかった。湊は水をすすった。
「仕事は何をしてるの?」
水戸が聞いてきた。システム系の会社の社長ですなんて言えるはずがない。湊はまた嘘をつくことにした。
「システムエンジニアです」
嘘といえば嘘なのだが、一応仕事の一環としてやっているので嘘ではないだろう。
「へぇー。意外と頭いいんだねー。彼女とかいないの?いるわけないかー」
水戸のこの言葉にはイラッとした。あたかもこの見た目の人は彼女がいないかのような言い草だった。
届いた料理を食べている途中、水戸と静川がトイレに行くということで湊と西宮の二人きりになってしまった。
「……えーと、西宮さんでしたっけ。西宮さんは質問しなくていいんですか?」
西宮はさっきから喋っていなかった。それどころかもう料理を平らげてバレない程度にチラチラと湊を見ていた。
「あ、質問したいです。えっと、東山さんってその、いわゆるヲタクなんですか?ほら、顔立ちも整ってるし、喋るのも上手だし…」
一瞬、バレたかと思った。湊は確かにそこまでヲタクと呼ばれるレベルではない。ましてやぱっとみた見た目で判断するのも間違っていると思う。そのうえで西宮は気づいたのだろう。
「確かに。僕は西宮さんの思っているヲタクではないと思います。ただ…」
湊は一瞬間を挟んでいった。
「別の意味では、ヲタクと呼べるかもしれません」
西宮はポカンとしていた。何を言っているのか分からなかったのだろう。
「じゃあ、僕は帰ります。撮れ高も十分に揃ったでしょうし」
湊は口を拭き、席を立ち上がった。
「あ、あの!待ってください!最後に顔をしっかりと見せてもらえませんか?」
湊は疑問を抱きながらも前髪を上げた。
一瞬、店内のざわめきが遠くなった気がした。大きく、鋭い目に二重、涙袋。眼鏡の奥に隠れていた顔は、西宮が想像していたどんな「ヲタク」とも違っていた。
西宮は無意識に一歩、湊の顔へと近づいていた。
短い時間が、長く感じる。数秒、いや数十秒か。
「も、もう十分でしょう」
湊は慌てて前髪をおろして早足で階段を駆け下りた。
「あ、あの!ありがとうございましたー!」
急いで感謝を伝えたが、もうそこに湊の姿はなかった。
西宮は席に座って体一つ動かさずに大きく表情だけが動いた。
(………あの人絶対イケメンじゃん!!)
(目元って大事なんだなぁ)
西宮は心臓を高鳴らせながら体をもじもじとさせていた。ただ不思議と好意はわかなかった。
「あんた何してんの?さっきのヲタクは?」
そんな時、二人がトイレから帰ってきた。
――――
「あ、今レジの人高場さんだ。良かった」
「あ、東風谷さん!久しぶりっす」
湊はレジに来ていた。奢ってくれると言っていたのはいいものの、ほとんど騙していたようなものだ。ここは払ってやらないと後で後悔しそうだった。
高場とは常連客と店員という関係だが、湊の強引なお願いも笑いながら通してくれるノリのいい人だ。
「これで足りる?全員分」
そう言って湊は二万円を渡した。
「えっ、こんなにいいんすか?四人分ならせいぜい一万円位ですよ?」
「いいからいいから。うちの社員も世話になってるし、もらっとけ」
高場は湊を見かけた瞬間から口角を上げていた。それが今度は笑いに変わっていた。
「ありがとうございます!またのご来店お待ちしてます!」
(動画がどうなってるか楽しみだ)
湊はそう考えながら店を出た。
――――
店を出たあと、本を買い、近くの量販店で食料調達をして家電屋でモニターを購入。気がつくともう九時だ。湊は帰りがけに買ったカフェオレ味のプロテインをすすりながら家に帰宅した。
湊の家はいわゆるシックな色合いの家だった。暗い茶色の木のようなタイルに灰色や黒のコンクリートの壁、そして観葉植物にきれいなランプまであるおしゃれな家だ。
「やべ、今日会議だった」
帰ってくるなりそうそう慌てて荷物を片付け始める。
「にゃー」
パチッとリビングの電気をつけるなり湊の愛猫のみーとが出迎えてくれた。
「おぉっと。ただいま」
湊はみーとの頭をワシャワシャと撫でた。猫が一番落ち着く。人間関係は難しくてあまり心地よくはないが猫は格別だった。
洗面所に行き、くしゃくしゃの髪を整える。人と会う時は髪をちゃんと整える。今日はたまたま声をかけられただけでセットしていなかった。
五分ほどで髪を整えた。アイロンで髪を伸ばし、半分くらい前髪を後ろへ流す。これでシースルーマッシュの出来上がりだ。
そしてリビングのテレビの横にある背の高い四人がけのダイニングテーブルに座ってPCを開いた。
「湊!遅いわ!」
会議に参加するなり大きな声で社員の早瀬守が怒鳴りつけてきた。
そのほか、宮地翔太、桐谷愛奈も出席していた。
「ごめんごめん…今日何の会議だったっけ?あれか、内定の件か」
「そうそう!で、決定したから確認してほしくてさ。ファイル送る」
守がファイルを送ろうとする操作音が聞こえる。
「湊〜。何ニヤけてんの?」
「え?」
湊は慌てて口を触った。確かに口角が上がっている。
(まさか、さっきのでか?)
さっきの記憶がフラッシュバックした。女性三人に囲まれ、顔付近まで女性に顔を寄せられる。二十七年間の今までに体験したことない新たな感情が生まれたような気がする。
「送信完了っ!」
守からファイルが届いた。おそらく内定予定の人の履歴書だろう。
開発部予定の綾瀬さん、マーケティング部予定の朝倉さん、カスタマーサクセス部予定の中村さん。
「ん?この人は…」
「あー、最後の人ね。その人新卒でねー、特に資格とか持ってないけどやる気あったからさ、採用だよねー」
見た瞬間分かった。茶髪で髪が長く、名前は西宮悠。
湊は慌てて顔を下に向けた。
(超絶タイムリーすぎる!!)
心臓の鼓動が聞こえる。緊張からだろうか。
「湊、なんかあっただろ。詳しく聞かせろ」
一番最初に湊の異変に気づいた宮地がカメラに顔を近づけて言った。
第二話へ続く……!!
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