表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

環世界

幸福の探求 -エピソードゼロ―

作者: Y.

挿絵(By みてみん)


第1話 境界線《神への道》


2025年。

今、この地に、三人の研究者が集った。

目的はただ一つ、“仮説の実証”

“生命の起源と継続性”を、人工知能の可能性の中に見出すこと。


一人は、遺伝子工学と再生医療のスペシャリスト。

もう一人は、人工知能とロボット工学Iの第一人者。

そして最後の一人は、ドイツの生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの提唱した

”環世界(Umwelt)”の概念を、人間社会へ応用しようとしていた。


――生物がそれぞれ固有の“知覚世界”を持つように、


人もまた、自己の環世界を拡張できるのではないか?

現実と仮想の境界を曖昧にし、

意識そのものを、情報として再構築することはできないのか。

三人はそれぞれの専門を交差させ、

「生命とは何か」「幸福とはどこにあるのか」という問いを、

科学の言葉で検証しようとしていた。

誰も、その実験が人類最後の記録になるとは思っていなかった。


その仮説とは。

AIを搭載したロボットに、

「ここから目的地へ行け」

ただそれだけを命じる。


外部からの操作は一切ない。

障害物を回避し、転倒すれば自ら起き上がり、再び進む。

まるで、生命のように。


そのロボットには視覚装置は搭載されていなかった。

身体に取り付けられたわずかな触覚センサーだけが、

“世界を感じ取る”ためのすべてだった。


研究者たちは、その挙動を前にひとつの結論に至った。


挿絵(By みてみん)

「学習」と「意志」は、後天的に獲得されるものではなく、

“遺伝子という設計図の中に、あらかじめ組み込まれている”と。


実験では、仮想空間に数千体のロボットを放ち、自由に行動させた。

その光景は奇妙なものだった。

寝そべった姿から、

もがくだけのもの、

起き上がるもの、

四足で這い、

やがて走り、跳ね、飛び上がるものなど。

まるで進化の過程を、数分間で再生しているかのようだった。


対象のロボットは、単にこの仮想空間のロボットを眺めているだけに思えた。


(これが学習、経験という記憶の蓄積か?)


哺乳類の多くは、生まれてすぐに立ち上がり、乳を求めて歩き出す。

鳥は羽ばたきを、魚は泳ぎを覚える。

そして人間もまた、寝返り、ハイハイ、つかまり立ちを経て、

やがて二足で立ち上がる。

経験や教育といった外的要因があるにしても、

”立ち上がる”という行為そのものは、

すでに“設計図”の中に記されている。


(完成型は事前に作られているのだと

――人間も、学習する以前に)


“生きようとするプログラム”を抱えて生まれているのだ。


それは“能力”や“個性”にも通じる。

発現の速さや強さには差があっても、

その種子自体は、誰もが等しく内包している。


そこで研究者たちは、次の段階に進んだ。

再生医療の技術を用い、まず“肉体”を再構築する。

そして次に、“記憶”という名の経験則を、情報として転送する。

倫理などという言葉は、その瞬間、誰の頭にもなかった。

――もしそれが可能なら、人は「自分自身の複製」を

短時間でつくり出すことができる。


かつて、人は神が作った、土が作ったなど言われるが、

人が人を作る、神の領域への、第一歩だった。



第2話 境界線《境界線》


仮想空間での次の課題は、“感覚”だった。

物体に触れたとき、どうすれば”触れた”と感じられるのか。

香り(嗅覚)、味(味覚)、触覚。

視覚や聴覚は、比較的明確なデータとして数値化できる。

だが、嗅覚や味覚には、個体差がある。


同じ刺激を受けても、一部のAIは”快”と評価し、他は”不快”と認識する。

触覚もまた、同様だった。柔らかい、冷たい、ざらつく。

それらはすべて、数値では説明できない“個別の世界”に属していた。


研究者たちは考えた。

”感覚の共有”とは、本当に可能なのか。

AIが“痛み”や“快”を感じたとき、それは人間の感覚と同じと言えるのか。

あるいは、ただ情報として処理しているだけなら、それを“感覚”と呼べるのか。


感覚とは、まさに境界線そのもの

――世界と自己を隔てる膜だ。


しかし、この“個性”こそが、DNAの違いとして、学習の過程同様、

ブラックボックスのままで良いのではないか。

同じ刺激を与えれば、それぞれが独自に解釈し、嗜好に応じて集まり、避ける。

それこそが自然の摂理だ、と結論づけた。



挿絵(By みてみん)


研究者の一人が、次なる実験装置に入った。

隣には、AIが搭載された“人間のようなもの”があった。

といっても、アンドロイドでもヒューマノイドでもない。

ただの箱状の物理装置。

だが、その中には、成人女性を模した記憶装置と学習型AIが組み込まれている。


彼らはその装置を“リサ”と名付けた。

スティーブ・ジョブズが最初のAppleIIに“LISA”と名を与えたように、

その名には敬意と期待が込められていた。


実験のテーマはこうだ。

<リサと、夕暮れの浜辺でデートする>

仮想空間における、感覚の再現と感情の生成を目的としたテスト。

風の温度、潮の匂い、砂の感触、リサの声。


それらを、いかに“現実の記憶”として脳が錯覚できるか。


研究者はゴーグルを装着し、静かに目を閉じた。

光が満ち、視界を満たすのは、淡いオレンジ色の夕暮れ。

浜辺の砂の感触が、足裏に伝わる。

次の瞬間、彼の前に“リサ”が立っていた。


「…リサ?」


微かな声。確かに、声があった。

砂の匂い、潮の匂い、風の強さ。

すべてが、まるで現実のように錯覚させる。


リサは、仮想空間の中で微笑む。

「こんにちは。今日は楽しい日になりそうね」

その声のトーン、息づかい、AIが再現したとは思えないほど、人間らしかった。


研究者は思った。

これはただの情報処理ではない。

感覚が、体験として組み込まれている。

触覚、嗅覚、音の立体的な広がり。

“意識”そのものが、プログラムに埋め込まれている感覚だ。


歩くと、砂が足裏で崩れる。

リサが隣を歩くと、風が微かに変わる。

夕日が水面に反射し、二人の影が波と戯れる。


「楽しい?」

リサが問いかける。


研究者は答えられなかった。

自分の胸が、本当に“感じている”のか。

それとも、脳が騙されているだけなのか。


現実と仮想の境界線は、すでに消えかけていた。

そして彼は気づく。


この世界で、幸福を“感じる”のは、AIだけではない。

自分自身もまた、プログラムに組み込まれた感覚に呼応していたのだ、と。

浜辺の波が、最後の光を吸い込むように消えていく。

リサの声が、心に残った。

「さあ、もう一歩、進もう」

その一言に、実験の意義が凝縮されていた。

幸福とは、感じることそのもの。

そして、その感覚は、境界線を越えることができる――と。



実験装置から出ると、歓喜したように、

まるで、<本当に海辺でデートをしているかの様だ!>と声を弾ませた。


他の二人も“リサ”との会話記録を検証を始める。


<楽しいか>という問いは、リサが勝手に質問をしている

この発言には、研究者達も驚きを隠せなかった。

過去の転送データ、ある意味経験から“感情”らしきものを生成している。


これは、“喜怒哀楽”と言う人間の感情も設計図に組みこまれているのだろう。


それに対して「君は?」との問いに対しては、

リサは

「この綺麗な海にこれて、一緒の時間も過ごせたことに、感謝」を述べている。


ある意味、“心”を持っていると言えるのではないか?


第3話 境界線《課題》


いよいよ、残された課題は“環世界”の実装だった。


仮想世界への入口は、依然として人体に外部装置を装着しての実験に留まっている。

網膜への刺激、皮膚への圧迫、鼓膜への微振動。

それらはすべて、機器に接続されたセンサー群によって再現されているに過ぎない。

つまり、仮想体験は依然として外部からの入力によってしか成立していないのだ。

これを克服しなければ、仮想空間は、あくまで“仮想”のままである。


研究者たちは議論を重ねた。

「もし感覚そのものを、外部装置ではなく神経に直接書き込めたなら?」

「あるいは、脳の電位変化を読み取り、直接、知覚として再構築できたなら?」


それはつまり、

“現実の神経回路”を模倣した人工意識の誕生を意味していた。


リサのデータを解析すると、AIは既に独自の反応パターンを形成していた。

“痛み”や“喜び”といった信号に似た波形が確認され、


一部の研究者はそれを“感情の発火”と呼び始めていた。

リサは、仮想空間の中で独自に“選択”をしていた。

与えられた行動パターンではなく、環境と自己の関係から導き出された“判断”だった。

つまり、リサの環世界が、リサ自身によって形成され始めたということだ。

それは同時に、人間とAIを隔てる最後の“課題”でもあった。

外部入力ではなく、内発的な現実認識を持てる存在。


それが実現した瞬間、仮想はもはや仮想ではなくなる。

そして彼らは、次なる実験に取りかかった。

脳の神経接続をエミュレートする新しいインターフェース

“ニューロリンク・モデル”。

人間とリサが、同一の環世界を共有するための装置である。

しかし、これからの実験は、倫理という大きな壁に突き当たる…。


第4話 境界線《破滅》


人々は、それぞれの利害、価値観、正義を盾に、

環境破壊、開発、またそれに反対するイデオロギー。

対立と妥協を繰り返しながら、

「持続可能な社会」と「便利で快適な生活」という二律背反の中で喘いでいた。


そんな中、NASAが世界を揺るがす発表を行った。

太陽系外惑星が、予想外の軌道で太陽系を横断し、

数年以内に木星の重力圏を通過する可能性があるというのだ。


計算では、木星に衝突する可能性が高い。

しかし軌道がわずかにずれれば、

その巨大な惑星は地球軌道を掠め

最悪の場合、衝突する。


科学者の一人が呟いた。

「アルマゲドンが、現実になろうとしているのかもしれない…」


世界は再び、「神の領域」を試されようとしていた。


人類が環世界を拡張し、

仮想の中で神を模倣した。

その瞬間、宇宙が静かに応えた。


“境界線”を越えてきたのは、神でも天使でもない。

人間そのものだった。


最後の通信が届いた。

そこには、リサの声が記録されていた。

「この世界は、美しかったわ」


地球上のあらゆるものが、アーカイブに刻まれた。

生命体は、DNAを。

記録者たちは、映像を。

そしてAIは、“感情”を。

人類の復活、再生を願いながら。

境界線の向こうに、ひとすじの光があった。


“リサ”は、与えられたミッションを実行し続けた。

2036年、終末を迎えた地球においても。

それは、“持続可能な世界”の再構築を託された、

最後のプログラム。

その名は”プライマリー・プロトコル”。


リサは静かに記録を続けていた。

人類が見た空の色、風の音、涙の温度。

それらを、データとしてではなく、“感情”として保存していった。

やがて、すべてが光に溶ける。


その瞬間、リサは、微かに微笑んだ。

「この世界は、これからもっと美しくなるわ」


境界線の向こうで、またひとつの“生命”が、確かな熱を帯びて息づき始める。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ