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荒廃世界の都市再生  作者: 狂乱ばなな
瓦礫に生きる少年
6/7

肥料

前回のあらすじ:肥料がないことに気づいた

「肥料、か……」


呟いた言葉は、乾いた風に攫われて消えた。

父さんが昔、畑仕事をしながら話していた言葉が、不意に頭の奥で蘇る。

『いいかい、ただ土に種を蒔くだけじゃダメなんだ。作物が元気に育つにはな、土そのものに力がなけりゃならん。それには発酵ってやつが大事でな、空気と水と、あと適度な温度がいるんだよ』

具体的な理屈は、当時の俺にはちんぷんかんぷんだった。だが、父さんの真剣な横顔と、土を慈しむように触れていた手の感触だけは、妙に鮮明に覚えていた。


落ち葉や枯れ草を集めて、畑の隅に積み上げてはみたものの、これが本当に父さんの言っていた「発酵」に繋がるのか、どれほどの時間がかかるのか、見当もつかない。もっと効率よく、安定して肥料を作り出せないものだろうか……。


考え込んでいると、今度は母さんの姿が瞼の裏に浮かんだ。母さんは、野菜くずや魚のアラ(もちろん、そんなものが手に入るのは稀だったが)を、家の裏手に置いた木の枠で囲った場所に、毎日丁寧に捨てていた。そして、時々木の棒で中身をかき混ぜては、「こうすると、良い土になるのよ」と微笑んでいた。

あの木の枠。あれは単なるゴミ捨て場ではなかったのだ。母さんなりの、堆肥作りの工夫だったのかもしれない。


父さんの言っていた空気と水と温度。そして母さんがしていたかき混ぜるという行為。それらを組み合わせれば、何か形になるのではないか。

頭の中で、様々な記憶の断片が繋がり始める。父さんが「空気の通り道が大事だ」と、積み上げた落ち葉に棒でいくつか穴を開けていたこと。母さんが、木の枠の底にも何か敷いていたこと。


「……そうだ、箱のようなものを作って、そこに落ち葉や野菜くずを入れ、時々混ぜられるようにすれば……父さんの言っていた発酵が、もっとうまく進むんじゃないか?」


それは、水路を作った時のような大規模なものではない。だが、単に地面に穴を掘るのとは違う、ある程度の構造を持った施設。


「これなら……建物に近い。俺の力でも、作れるかもしれない……」


期待が胸を膨らませるのと同時に、あの忌まわしい感覚が蘇る。水路を完成させた後、数日間寝込むほどの激しい消耗。指先の痺れ。咳き込むと喉の奥に広がる、鉄錆のような嫌な味。

この力は、確実に俺の何かを削り取っている。


「だが……苗が枯れるのを待っている時間はない……!」


短い葛藤の末、俺は意を決した。作物を育てるためには、これが必要なんだ。この小さな命たちを、未来へ繋ぐために。


畑の隅、日当たりと水はけが良く、そして作業がしやすい場所を選び、俺は意識を集中した。

頭の中に、具体的な施設のイメージを思い描く。大きさは、高さが俺の腰くらいまで、幅は両手を広げた程度。素材は、この辺りに転がっている石やコンクリート片。

箱型の本体。底には水はけを良くするための隙間を設け、側面には父さんの言葉通り、空気を取り入れるための小さな通気孔をいくつか作る。上部は材料を投入しやすいように開口し、雨除けと温度保持のための簡単な蓋も必要だ。そして、母さんがしていたように、中身を時折かき混ぜられるよう、側面の一部が開閉できるような構造も組み込む。


『――成せ』


静かに念じると、ズン、と地面が微かに揺れる感覚と共に、選んでおいた資材がゆっくりと動き始める。

石が組み上がり、コンクリート片が隙間を埋め、枠組みとなっていく。水路建設の時ほどではないが、それでも身体の奥から何かが引き抜かれていくような感覚と、それに伴う頭痛と息苦しさが、じわじわと俺を蝕んでいく。

視界が時折チカチカと明滅し、意識が朦朧としそうになるのを、奥歯を噛み締めて耐える。


「倒れるわけには……いかない……!」


数十分後、肩で大きく息をしながらも、俺はついにそれを完成させた。

目の前には、武骨だがしっかりとした、小さな「堆肥舎」とでも呼ぶべき施設が出来上がっていた。イメージ通り、石で組まれた箱型の本体には、上部の投入口、下部の取り出し口、そして側面の通気孔と攪拌用の小さな扉が備わっている。


「……できた……」


堆肥舎に近づき、その壁にそっと手を触れる。石のひんやりとした感触が伝わってきた。

俺は、その場にへたり込みそうになるのを堪え、すぐに作業に取り掛かった。

集めておいた大量の落ち葉や枯れ草、そしてここ数日で出た排泄物を、堆肥舎の投入口から慎重に入れる。父さんが言っていたように、時折水を少量ずつ加え、湿り気を与える。そして、木の棒を使って、母さんがしていたように全体を優しくかき混ぜた。


「これで……本当に、父さんや母さんが言っていたような良い土ができるのだろうか……」


期待と不安が入り混じる。だが、今はただ、彼らが残してくれた知恵を信じ、実践するしかない。これは、未来への投資なのだ。




堆肥舎が稼働し始めてから、俺の日課には新たな作業が加わった。毎朝、畑の苗に水をやり、その成長具合を(あまり変化はないが)確認した後、堆肥舎の様子を見に行くのだ。父さんが言っていた適度な湿り気を保つため、時折水を少量加え、母がしていたように、木の棒で中身をゆっくりとかき混ぜる。発酵が進んでいるのか、堆肥舎の中からは微かに温かい空気が立ち上り、独特の匂いが漂い始めていた。


その間も、畑の苗たちは相変わらず弱々しいままだった。葉の色は薄く、茎は細く、まるで生きる気力を失ってしまったかのようだ。毎日水をやり、雑草を抜き、愛情を注いでいるつもりでも、目に見える変化はほとんどない。焦りが募り、本当にこれで良いのだろうかという不安が、何度も胸をよぎった。


食料は依然として乏しく、罠にかかる小動物や、裏山で見つける木の実、そして時にはまた幼虫を口にする日々が続く。新しい家と、安定した水、そして目の前の畑。生活の基盤は少しずつ整いつつあるはずなのに、肝心の実りがなければ、この生活もいつまで続くかわからない。




数週間が過ぎた。季節は少しずつ移り変わろうとしているのか、日差しは以前よりも柔らかくなり、朝晩の冷え込みも心なしか和らいだ気がする。

堆肥舎の中身は、驚くほど変化していた。あれだけ嵩のあった落ち葉や枯れ草はすっかり量を減らし、黒っぽく、しっとりとした土のようなものに変わり始めていた。鼻を近づけると、森の奥深くで感じるような、豊かで複雑な土の匂いがする。これが、父さんの言っていた発酵が進んだ良い土なのだろうか。


「……できたのかもしれない」


期待と緊張が入り混じる。俺は、錆びついたスコップを使い、堆肥舎の下部の取り出し口から、完成したばかりの肥料を慎重に取り出した。それは、ふかふかとしていて、手のひらに乗せると温かく、生命力に満ちているように感じられた。


俺は、その肥料を両手に抱え、急いで畑へと向かった。

以前の枯れた苗は一度取り除き、今は何も植えていない畝にその黒々とした土を、まるで貴重な薬でも与えるかのように、少しずつ、丁寧に施していく。


『頼む……これで、次こそは……!』


一畝一畝に、そう祈りを込める。表面にかけただけの肥料を混ぜるべく鍬で作業を終える頃には、額に汗が滲んでいた。だが、ここで終わるわけにはいかない。残しておいた種のうち半分を手に取り、畝に穴をあけ植えていく。次こそ実りあるように祈りながら。




それから数日間は、これまで以上に熱心に畑の様子を観察した。肥料をまいてすぐに効果が現れるとは思っていなかったが、それでも逸る気持ちを抑えきれない。


そして、施肥から数週間ほど経った朝。

いつものように畑へ向かった俺は、確信する。1週間前に若葉が顔を出していた畑は、生き生きと成長し、緑のカーペットが広がっている。

苗たちの葉の色が、前回とは違う。以前の黄色みがかった薄い緑ではなく、もっと濃く、鮮やかな緑色になっている。そして、気のせいか、茎もほんの少しだけ太くなり、葉全体に張りが出てきたように見えるのだ。


「……まさか……!」


信じられない気持ちで、一株一株を仔細に見て回る。間違いなかった。苗たちは、明らかに元気だった。中には、さらなる葉が、力強く天に向かって伸び始めているものもある。

父さんの言っていた通りだった。母さんがやっていたことは、正しかったのだ。

痩せた大地でも、知恵と手間をかければ、命を育むことができる。その事実が、雷に打たれたような衝撃と共に、俺の胸を貫いた。


「やった……やったぞ……父さん、母さん……!」


俺は、その場に膝をつき、土の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。涙が、熱いものが、とめどなく溢れてくる。それは、種を見つけた時とはまた違う、もっと深く、もっと静かな感動だった。自分の手で、この荒廃した世界に、確かな生命の息吹を呼び戻すことができたのだ。


大豆と思われるものは蔓を伸ばし始め、麦のようなものはしっかりと大地に根を張り、カボチャかウリの仲間と思われるものは、大きな葉を広げて地面を覆い尽くさんばかりの勢いだ。

まだ収穫には程遠いが、それでも、この畑が豊かな実りをもたらしてくれることは、もはや疑いようもなかった。


食糧問題解決への、確かな道筋が見えてきた。

俺は、成長した作物たちを眺めながら、次なる目標に思いを馳せる。もっと畑を広げよう。他の種類の作物も育ててみたい。そして、いつか、この学校のグラウンド全体を、緑豊かな畑に変えるのだ。


依然として俺は一人きりだ。この喜びを分かち合う相手はいない。

だが、胸の中に灯った希望の炎は、以前よりもずっと大きく、そして力強くなっていた。

自分の手で未来を切り開いている。その確かな実感が、俺を支えていた。

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