第一章 ふしぎな冒険(4)
プレートを片手にとると、光が膨れ上がり、ぼくの体を包んでいった。緑色の輝きが、一瞬視界を奪う。そして、それが消えると、ぼくは透明な、実体がなさそうな鎧のようなものを纏っていた。
「なんだ、それは」
声が聞こえる。理解できる言葉だ。その声は、すぐ近くから聞こえる、意味の分からない声と重なって、ぼくの耳元から聞こえてきた。
「ぼくにも分からないんだ。これは借り物で」
と、答えたけれど、ぼくの言葉は、相手には伝わらなかったようだ。首を捻られた。
「これじゃ意味がないな」
意思疎通ができないことは変わっていない。ぼくが落胆しかけた時に、プレート大の光が、右腕の甲で点滅していることに気付いた。たぶん、そこにプレートをセットしろ、ということだと思う。ぼくはそうしてみた。
プレートは、光で出来た鎧に、しっかりと嵌った。これでなにか変わったのだろうか。
「これで良いのかな」
ぼくが、戸惑いながら呟くと、
「何だ、あんた、ちゃんと言葉が喋れるんじゃないか」
そう、角が生えた人に言われた。男の人だ。体格が大きくて、毛皮のようなものを、腰に巻いているだけという、かなりワイルドな服装だった。
「そうじゃないみたい。この光の鎧が、きっと言葉を翻訳してくれているんだと思う」
ぼくにはそうとしか思えなかった。何故ヒノがこんなすごいものを持っていて、ぼくに簡単に貸してくれたのかという疑問はあるけれど、それは今考えても分かりそうにないから、心の奥にしまっておくことにした。
「それで、大丈夫? あ。ぼくはアーベル」
「ああ。このくらいで死にはしない。痛みはまだあるけどな。俺は、驍嚇だ。あんたのお陰で助かったぜ。あのまま気を失ってたら、どうなってたことか」
それは良かった。と、ぼくもそうは思う。けれど、彼の言葉に、素直に言葉が出なかった。それよりも、やはり、ぼくにはどうしても彼のふしぎな外見の方が気になってしまった。
「それは、うん、そう思うけど。その、あなたは、いったい?」
驍嚇と名乗った彼の頭に角があるのもそうだし、彼の体格の大きさが、ぼくにはとても尋常のものには思えなかった。ぼくが子供で、彼が大人だというのは確かに分かるけれど、それ以上の体格差が、実際、ぼくたちの間にはあった。彼の体格は、普通の大人と比べても、更に桁外れに大きいものだ。
「ん? 鬼を見たのは、はじめてか?」
驍嚇の答えに。
「鬼?」
ぼくは思わず半ば叫び声のような聞き返した。いや、鬼は知っている。そういう国で、以前すこしだけ暮らしたことがある。土足で家に上がらない文化の国だ。そこで聞いたおとぎ話の中で、確か、鬼、という存在を聞いた気がする。
「ああ。鬼だ。もっとも俺ぁ、昔話みてえに、人里を襲うような狼藉者ってこたぁねえが」
驍嚇の声は含み笑い混じりだった。ぼくを笑ったというより、思い出し笑いを堪えた、という感じだ。けれど、何が彼にとってそんなにおかしいのかが分かる程には、ぼくは彼等の国に詳しくなかった。
「どうしたの?」
「いや、すまん。昔から、乱暴者の鬼どもが、いろんな偉丈夫達に退治されてきたな、と」
それなら分かる。確かに、彼等の国には、とかく鬼退治のおとぎ話が多い。
「まあ、兎に角、助かった。すまんが俺は行かなきゃならん。あんたも道中気を付けろよ」
不意に、驍嚇が話を切り上げて踵を返す。その瞬間、短い呻きと悪態の言葉を吐くのが聞こえた。
「くそ、あいつめ。汚え刃で斬りつけやがって」
脇腹を抑えながら、彼は歩きだした。傷はほとんど塞がっていたけれど、完全復活とまではいってないらしく、足元は少し頼りなかった。
「まだ危ないよ。誰にやられたの?」
ぼくは慌てて荷物を纏め、リュックを背負いなおすと銃を抱えた。そして、驍嚇を追いかけて尋ねる。そういえば聞きそびれていた。何があったのか、教えてもらっていなかった。
「悪ぃ」
と短く謝ってから、
「何て説明したもんかな」
彼は苦笑いをうかべて言葉に詰まった。それから、困り切った声で、他に言い方が見つからなかったように言った。
「一言で言えば、小僧にやられた。一丁前に佩刀した、鉢巻き、羽織姿の子供だ」
どこかで聞いたことがあるような風体だ。やはり彼等の国のおとぎ話に、そんな話があったような気がする。確かに、鬼を相手に立ち回るという、符合もあるように感じた。
「ひょっとして、それって」
「違う。そいつじゃねえ。あいつはそんなことしねえよ。絶対にない。そんな奴じゃない」
ぼくが誰のことを言おうとしたのか伝わったらしい。驍嚇は言葉を被せるように否定した。
「まあ、完全に外れって訳でもねえんだが。どっちかってえと、物の怪の類ってのが近い」
「どういうこと?」
ぼくの問いに、驍嚇はため息をひとつ漏らした。
「物の怪ってのは、大半が人の想像の産物だ。怪異っていや、分かるか? 俺を、いや、俺達を襲った奴は、そういった、人の妄想が形と力を得た、あいつの紛い物みてえな存在だって思ってくれりゃいい。あいつが鬼を退治したのは実際そうで、だが、それがただの略奪で、悪いのはあいつの方だって筋書きの方が面白いって人間も、割合多いって話さ。それが具現化したのが、奴だ。そういう奴に、俺達は襲われた」
俺達、と、驍嚇は言った。それが、彼が行かなければならない理由なのだと、ぼくにも理解はできた。それ以外のことは、ほとんど、ぼくの常識の範疇にないことばかりで、正直何が何だか分からないといった感覚しかないけれど、彼が今一人で、つまり、物の怪に襲われるまでは彼の他にも誰かが一緒にいたけれど、攫われたか、殺されたか、そのどちらかの話をしているのだとは、ぼくにも分かる。
「その、物の怪、を探しに?」
はっきり言って、自分の口で、物の怪、という言葉を出すのには、抵抗があった。心のどこかで、そんな非常識的な、という思いと、でも目の前に実際鬼がいるじゃないかという現実のギャップに、まだ思考が混乱していた。
「ああ。妹……といっても、実の兄妹じゃあねえが、妹分を、奴は攫っていきやがった。助けに行かねえ訳には、いかねえ。そりゃあ、兄貴分のすることじゃねえさ。そうだろ?」
確かにそうかもしれない。驍嚇の見てくれは、おとぎ話そのものだったけれど、言っていることは、何となく、ぼくにも至極真っ当なことだと思えた。
「そうだね。でも、今の状態じゃあ、一人じゃ危険そうだ。良かったら、ぼくも手伝うよ」
どこまで力になれるか分からない。命の取り合いなんてしたこともない。ましてや、他人に刃物で斬りつけられるなんてことだって、想像もつかない。けれど、ぼくは彼と別れて、一人で行かせるという選択肢は、浮かばなかった。
「いいのか? 子供には、ちょいと危険だぜ」
驍嚇も心配してくれたけれど、
「こんな話を聞いて、さよならと言える程、薄情にはなれないよ」
そう答えるしかなかった。義理人情なんて言葉をたいそうに掲げるつもりはないけれど、こうなった時のために、きっとヒノもぼくに銃を貸してくれたんだと思うから。
「そうか。そう言うもんかもな。だが、無理だと思ったら、すぐ逃げろよ。それだけ約束してくれ。命まで張るこたあない。子供がよ」
それでも、驍嚇は、子供のぼくを戦いの場に巻き込みたくはないようだった。鬼がだ。彼は、ぼくが想像していた鬼とは、ずいぶん違っていた。
「そういえば、金棒、持っていないんだね」
鬼といえば棘付きの金棒だ、と、そんなイメージがある。昔、絵で見た鬼と言えば、赤い肌と虎柄の腰巻、それに金棒がセットで描かれていたように記憶にもあった。驍嚇の肌は赤というよりも、日焼けしたような褐色で、手には何も持っていなかった。
「失くした」
と、彼は笑う。襲撃にあったときに、壊されたのかもしれない。だとしたら、相当危険な相手だ。
「それは怖いな」
素直な感想をぼくが口にすると、
「だろ?」
驍嚇も、大きく頷いた。
それでも、ぼくにはやっぱり、立ち去るという選択肢は浮かばなかった。驍嚇と並んで歩き、同じ方角を見ていた。驍嚇は自分が残した血痕を辿って、逃げてきたのだろう道を戻ろうとしていて、ぼくもそれを、まずは襲撃があった場所に行こうとしているのだろうと、理解した。
「どうやったらビビらせられるかねえ」
本音を言えば立ち去ってほしい、とばかりに、驍嚇が呟く。ぼくはかぶりを振り、笑う。
「無理だよ。これを信じているからね」
きっとヒノが貸してくれた銃と透明な鎧が、ぼくを守ってくれると。恐怖はなかった。