第四章 ヒノ(7)
いずれにしても。
「じゃ、ギタギタにされる覚悟は良いですね」
確かに、リンは、逃がしてくれそうにない威圧感を放っていた。感情をむき出しにした口調とは裏腹に瞳は冷たく輝いていて、本来であればある種の緩さを感じさせるはずの、丸みを帯びた容姿にも、猛獣のような雰囲気があった。
ヒノとは違い、宙返りはしなかったけれど、リンは軽く地面を蹴ってその場でスピンジャンプをして低い姿勢で着地した。半身になって構えた彼女の体格は丸みを帯びたそのままだったけれど、頭には銀の毛に包まれた、犬のような耳が、腰にはやや太めの、体毛で丸みがあるように見える尾が生えていた。全体的にまるっこい、犬の仲間に見える獣人の姿がそこにあった。確かこの国特有の、狐と対として語られることが多い獣のように見えた。臆病だけれど、時に獰猛なのだと聞く。
先に動いたのもリンだった。
速い。リンは手始めにとヒノでなくぼくを狙って突っ込んできた。瞬時に反応できなかったぼくに代わってヒノが割り込んでくれたけれど、脇腹を蹴られたらしく、少しだけ蹴り飛ばされてから、屋根の上に宙がえりして片膝をついて着地した。ヒノが少し痛そうな顔をしているあたり、リンは本当に強いのだと理解できた。
「下がって。危ないよ」
と、ヒノに注意されて、その通りに距離をとる。鎧があるとはいえ、あのキックを受けたら、ぼくでは身がもたない。
その後は、ヒノとリンの打ち合いが始まった。リンも間に入ったヒノを無視できないと判断したのか、ぼくを狙っては来なかった。お互いに体術での応報を続けるけれど、身のこなしはヒノの方が速いものの、一撃一撃は、リンの方が鋭く見えた。時にリンはヒノの拳を無視して、無理矢理反撃を入れようとする場面が目立った。
ヒノの拳は当たるものの、リンがダメージを負った様子はなく、むしろ、ヒノが慌ててリンの拳や脚を躱すということが、何度も起きた。流石にヒノのキックを敢えてリンが受けに行くことはなかったから、おそらく、ヒノの拳が、軽すぎるからだと分かった。
ぼくもただ眺めている訳にもいかない。銃を構えて、ヒノの援護射撃を始める。銃身には相変わらず白く光る帯が流れていて、光る弾丸が、銃口から撃ちだされていく。けれど、これまで一度も外れたことがなかった弾丸を、リンには、勝手を知っていると言いたげに、ひょいと躱された。
「避けられることもあるのか、これ」
「そりゃあるよ。相手が躱し方知ってる場合、闇雲に撃っても当たらないよ」
ぼくが驚くと、ヒノが苦笑いでそれに答えた。何度も渡り合っただけに、リンもヒノの装備については知り尽くしているということだ。
「連携も満足にできない坊やのお守はたいへんですね」
その隙に、リンがヒノを狙って拳を振るった。
「あぶない」
反射的に、ぼくはまたヒノの銃を撃っていた。弾速は速く、リンの拳がヒノに届くまでに射撃は間に合った。
「ちっ」
舌打ちをして、リンが拳を止めた。銃弾を手の甲で弾き、防いだ。何という力業だ。リンの甲には傷ひとつついていなかった。
それに、前に聞いたことがある舌打ちだった。蛮鬼城の地下で、一度聞いた舌打ちの音と同じだ。鬼を束ねていたと、リン自身は言う。とすると、あの時、鬼が急にいなくなったのも、リンが何か指示を送ったからだったに違いない。結局、あの時から、既にリンはぼくたちのことを知っていたのだ。
「まったく癪に障る銃です」
リンが憎らしげに吐き捨てる。
「カタルシスシステムさえなければ、あなたなんて片手でいつでも捻れたものを」
リンはいつもヒノの後れをとっていたと言っていた。けれど、今見た限りでは、純粋な実力は、リンの方が上だ。それでもリンが敗れていたのは、ヒノには、ぼくに貸してくれたこの装備があったからなのだと、ぼくも気付いた。それをいまヒノが持っていないということは、その分を、ぼくが埋めないといけないということだ。
今ぼくにできることは、射撃の密度を上げることしかない。けれど、ぼくが銃を連射し、ヒノがそれに合わせてリンにパンチやキックを見舞おうとしても、リンはひらりひらりと簡単に躱してしまう。
「なんて速い狸だ」
ぼくの口から感嘆とも悪態ともいえる言葉が漏れた。その瞬間、リンの目つきが変わった。
「あっ」
まずい、という顔をヒノもする。
「お前、今なんて言いましたか?」
リンの言葉がいきなり凍てついた。これまで以上のスピードで突然迫ってくると、ぼくの目の前で、リンが睨みつけてきた。ヒノさえ反応できない速度だった。
「私は、狼です」
言葉だけで、リンが一度跳躍して離れる。彼女の目はぎらついていて、何かのスイッチが入ってしまったのだと、すぐに分かる様子だった。
「お前、殺します」
「そうとしか見えないけど、リンに狸は禁句だから。彼女は月輪の銀狼で、狸じゃないよ」
ヒノも訂正するけれど、
「狸、狸、煩いです!」
その訂正の間の狸、という言葉にも、リンは反応した。ヒノはガードしようと身構えるものの、リンはそれを軽く蹴り上げて崩すと、そのまま体を捻りながら、ヒノの腹にミドルキックを叩き込んだ。
ヒノが跳ね飛ばされて、転がってきた。思ったよりはダメージは少なそうで、ぼくと目が合うと、一瞬苦笑いを、こっちに向けた。
「こうなるから気を付けて」
と。ヒノはすぐに跳ね起きると、リンに向かって再度肉薄していった。
とにかく、リンは速く、強かった。
ヒノと二人が掛かりでも、まったくこっちの攻撃は掠りもしない。これまで銃の性能だよりで、ぼくが今、まったく役に立っていないことを自覚させられた。どう考えても、ぼくたちがリンに対抗できていないのは、そのせいだ。
かといって、狙ってリンに銃弾を当てるのは、ぼくの実力では無理に近かった。動きが速すぎて、屋根という距離が限られたスペースでは、そもそも狙いを定めるということができない。そして、そんなことをしている間に、どんどんヒノが不利になっていってしまう。ぼくの援護射撃なしでは、ヒノもリンの攻撃を捌き続けることができないようだった。というより、援護射撃があっても、ヒノはたびたびリンに殴られ、蹴られた。
「やっぱり、変に強いのが厄介だ」
と、ヒノが不平を零すのも、当然のように思えた。まったく勝てる道筋が、見当たらなかった。
「死ね、死ね」
さっきから、リンの口からぶつぶつと漏れる言葉がずっと物騒だ。戦いが進むほどにリンは殺気立ってきていて、ほとんどバーサーカーのようだった。その分、防御を一切しなくなってきてはいるのだけれど、矢継ぎ早に繰り出される攻めが、そもそも最大の防御と化していた。攻撃一辺倒なのに、崩せない。
「仕方ない。やりたくなかったんだけど、これしかないなあ」
そんな中、諦めたように、ヒノがそう呟いた。そして、また、ぼくの鎧に対しての言葉を告げた。
「カタルシス、モードセレクト、フレイミング」
ヒノの言葉に、銃身を流れる帯の光の色が変わった。燃え盛るような紅蓮に染まる。そして、ヒノはぼくにすぐにトリガーを引かないようにと言ってきた。
「わたしがいいっていうまで撃たないでね。火炎放射器状態だから、城に火が点いちゃう」
それは確かに危険すぎる。けれど、ヒノがそんな危険な選択をしたってことでもあるから、何か意図がある筈だった。ぼくは銃を抱えて、ヒノの合図を待った。
リンの攻撃はますます苛烈になっていて、目はそれに反して据わった感じに冷たく輝いているようだった。連続攻撃に晒されながら、ヒノはそのすべてへの防御や回避は諦め、致命的な一撃だけを防ぎ、避けていた。
リンだって、無限の体力をもつわけでもない。ずっと攻撃を続けている彼女の攻撃に、一瞬だけ間隙ができた。それを、ヒノは見逃さなかった。
脚を払い、蹴り上げる。ヒノが取った行動は、リンを上空へ蹴り飛ばすことだった。そして、ぼくがリンに銃口を向けてトリガーを引き絞るのと、
「今だ」
とヒノが合図してくれたのは、ほとんど同時だった。銃口から吐き出された業火は、空中で体を捻り、姿勢を立て直そうとしたリンを焼いた。
普通の生物なら、消し炭になっていたくらいの炎に炙られ、
「熱っ! あっつぅいっ!」
けれど、悲鳴を上げただけで、リンは落ちてきた。焦げてさえいない。ただ、それでも、リンは、絶叫しながら屋根の上を転げ回った。




