第四章 ヒノ(1)
焼け落ちたヒノの家の火が消えたのは、まだ日が高い時刻だった。けれど、ぼくたちは、その日は鬼や山賊とそれ以上やり合うことはせず、焼け落ちたヒノの家の傍で、野営の準備に勤しんだ。
「家にあった食糧はぜんぶダメになっちゃってマシタ」
マリが告げる。あれだけ激しく燃えたのだ。それも仕方がないことだった。
「それと、キレイにお肉だけなくなってマシタ。ホントにウズウズしいやつらデス」
と、マリが憤慨する。彼女がそんな悪態をつくなんて思っていなかったから、ぼくも少し驚いた。
「図々しい、な」
驍嚇はそんなマリの一面もよく知っているのか、言い間違いを指摘して、笑っただけだった。彼はヒノの家を焼いた火が完全に消える前に、ほんの少しだけ燃えている木材を再利用して、それを火種として焚火にしていた。
「よし、火が点いたぜ」
今更、居場所を隠しても仕方がない。ぼくたちは堂々と煙を上げてやることにした。襲ってくるなら、襲って来やがれ、だ。そのくらい、ぼくたちは怒っていたのだ。
「明日はケチョンケチョンにしてあげマショウね!」
なかでも、マリが一番怒っているかもしれない。言うことがいちいち過激になっていた。
それが、ぼくには不思議に思えた。
「マリは、ヒノの声が聞こえなかったのに、ずいぶん怒ってくれるんだね」
驍嚇がおこした焚火のそばに腰をおろして、ぼくはそれをマリに聞いてみた。マリは、焚火のそばにすぐに腰をおろしながら、
「あたりまえデス!」
と、いっそう大きな声を張り上げた。
「アーベルさんとヒノさんは、私とアニさんを助けてくれマシタ。そんな人たちの大事な家を焼くなんてひどいでデス! ぜったい許せマセン! 容赦なくぶっとばすべきデス!」
そう言ってくれるのは、有難いのだけれど。マリの言い方の激しさに、ぼくは返す言葉に困った。
「ええと」
と曖昧に答えたはいいけれど、続く言葉が出てこない。困惑の感情しか浮かばなかった。しばらく迷った挙句、
「ああ、うん。そうかもね」
そんな煮え切らない答えが、口から出た。マリがあんまりにも怒ってくれるものだから、ぼく自身の怒りがどこかに飛んで消えていきそうな気がする程だった。
けれど、ある意味では、それが良かったのかもしれない。怒りが消えることはなかったけれど、一方で、現状の問題を見つめなおす冷静さが戻ってきた。
「でも、驍嚇。鬼と山賊を同時に相手にするのは、現実問題、無理じゃないかな」
「ああ、俺も同感だ。別々に動かれてるからな。一方を相手にすれば、もう一方を自由にさせる。だが、俺達にそれを防ぐ手はねえ。そもそもの話、どっちか一方を抑えるだけでも、無茶しなけりゃ無理だってのが現実だ」
驍嚇も、ぼくの話に乗ってきた。マリの話に乗ると、彼女の怒りが暴走しかねないと思ったのかもしれない。それを落ち着かせる為にも、冷静な話し合いは必要だろう。
「実際の処、あまり悠長に鬼や山賊の戦力を削っていけばいいなんて状況でもないと思う」
もう少しで白岡村も檜林ごと燃やされるところだった。今回はなんとか防げた形になったけれど、次はこうはいかないだろう。もっと分散して火をつけようとされたら、どうにもならないからだ。はっきり言って、短期決戦で玄辰を直接狙わない限り、勝ち目はないように、ぼくには思えた。
「違いねえな。かくなる上は、なんとか山賊連中と鬼どもを出し抜いて、玄辰と直接対決に持ち込むしかねえ。うまくいく可能性は限りなく低いが、それ以外に、勝てる見込みもねえ」
分は悪い。驍嚇も、十分それは分かっていた。せめて千妙堂の兵と協力できれば勝算も見込めるのだけれど、鬼と異国の人間の三人連れでそれを望むのが危険すぎることは、前に驍嚇から聞いた通りだ。
「むむむ。正面突破できればいいノニ」
マリが、やっぱり物騒なことを言い出す。ちょっと発想が怖い。邪魔するものを全部蹴散らしたいという考え方は、流石に賛同できなかった。
「白岡村の軍に、山賊に村が狙われていることを気付かせることは何とかできないかな」
鬼の相手をしてもらうのは流石に気が引けるところではあるけれど、山賊討伐に千妙堂家が乗り出してくれれば、こっちとしてはそれだけで大幅に動きやすくなる。敵の一翼を無視できるというのは、明らかに大きい筈だ。
「最悪、もっとまずいことにもなりかねねえが、状況的に言や今もあんまり変わらねえか」
驍嚇が首を捻り、
「だが、そう簡単に山賊どもが軍に見つかるヘマをやらかしてくれるかね」
やや懐疑的に考え込んだ。問題はそこだ。山賊たちがドジを踏んでくれなきゃ、話にならない。それはそれで、相当分の悪い賭けだった。
「正直、望みは薄いとは思うけど」
それでも、無策で玄辰を攻めるより悪い案ではないのではないだろうか。実際、ぼくたちだけで勝ち目がある状況でなく、このまま蛮鬼城を目指しても、犬死は確実だ。
「それでも、可能性が少しでもあるなら、そっちの方がマシじゃない? 危険は今更だし」
「それもそうか」
頷く驍嚇に、
「ううーん、でも村の人達、こわいデス」
何か嫌な記憶でもあるのか、マリはどちらかというと白岡村そのものには関わりたくない様子を見せた。とはいえ。
「面と向かって会うことはしねえさ。それで話を聞いてくれるなら、最初からこんな面倒くせえことにゃなってねえ。対面するようなことになっちまったら、それこそおしまいだ」
驍嚇のいう通りだ。そもそも白岡村の人間から見れば、玄辰の配下とぼくたちの区別などつかないだろう。まったく同列扱いで、村を守るために対決してくることは目に見えていた。そうなればぼくたちも自分の身を守らざるを得なくなる。要するに、村の戦力も、ぼくたちの身も、無駄に危険に晒すことになるってことだ。そんな事態にしたいとは、ぼくにも思えなかった。
「本末転倒だね」
という他ない。避けなければならない状況だということは分かり切っている。
「そういうこった」
と、驍嚇も笑った。
「マリが心配してるようなことになったら、本当におしまいだ。そりゃ話にならん」
「そ、それなら……ウン、いいデスけど」
それでもマリは安心できないようだった。余程、この国の人間に対して、トラウマがあるのだろう。他人事ではない。僕も気をつけなければいけないってことだ。扱いは同じの筈だ。
「何かいい方法はないかな」
焚火の周りを眺めまわし、ぼくの目は、ふと、一つのものに止まった。小さなリュック。今朝、ヒノが用意してくれた、マリ用の荷物だ。
「マリの荷物って何が入っていたの?」
マリや驍嚇にはいきなり話題が飛んだように聞こえたかもしれない。でも、ぼくの意識の中では、話しはまだ終わっていなかった。
「幾つかの調味料と薄い防寒布、あとは、着替えデシタ」
唐突の質問にふしぎそうな顔をしながらも、マリが答える。成程。それは何よりだ。使えるかもしれない。
「着替えって、ぼくも着られないかな」
幸い、ぼくはまだ子供で、僕くらいの歳だと、男も女も、外見上の差異がまだ比較的少なめだ。
「山賊なんて人間の屑みたいなもんだろうし、女の子の格好で囮になったら釣れないかな」
マリ次第ではあるものの、囮で引き付けるなら、できればぼくがやった方がいい。もっとも、普段のぼくの服は探検家御用達のアウトフィットだから、着られるのであれば、服はマリの着替えを借りた方がいいという考えだった。
「まあ、なんだが。お前がそれでいいってなら、深くは突っ込まなねえが」
そんな反応を見せた驍嚇は、半笑いだった。よっぽど奇妙な提案に思えたらしい。
「一応聞いとくけどよ、趣味じゃねえよな?」
ああ、そういうことか。
「趣味だったらどうする?」
と、ぼくも笑い返した。勿論、そんなことはないのだけれど。女の人の服なんて、生まれてこの方、着たことなんて一度もない。
「いや、悪ぃ。その受け答えは違うな。そりゃそうか」
驍嚇は頷いたけれど、
「え。貸すんデスか?」
マリは、一応躊躇ったようだった。
「普段新しいお洋服なんて、なかなか手に入らないデスから、その、ちょっと勿体ないかなーって、思うんデスけど。流石に、男の子が一度袖を通したものって、着づらいデス」
気持ちは分かる。ぼくも無理にとは言うつもりはなかった。
「マリが嫌だっていうならそれでいいよ。囮役を、マリにお願いすることになるだけだ」
ぼくがそう答えると。
マリは、あ、と声を上げて、目を逸らした。




