第三章 燃え上がる野心(5)
ヒノが用意したリュックをもち、ぼくたちは家をあとにした。ヒノは、進む方向について、今日は何も言わなかった。その理由は、ぼくが驍嚇に彼用のリュックを渡してすぐに分かった。
「行くか」
驍嚇が、まるで進むべき方角が分かっているように、真っ直ぐ歩き出す。
「俺から遅れるなよ。霧の中ではぐれたら迷子だぜ」
驍嚇が、マリに視線を向ける。その言葉を聞いたマリは、驍嚇の腰に縋りつくように掴まった。ぼくについては、驍嚇はそれほど心配していないらしく、こっちに視線を向けることはなかった。
「まずは単独か少人数でぶらついている鬼を見つけるところからか」
そもそも、城の外に鬼が出ているのかも分からない。現状を把握する必要はあるだろう。
「現状、あのあたりが、どんなことになっているかも確認しないといけないんだろうな」
よく考えれば、ぼくは驍嚇達がいたあたりの地名すら知らなかった。そのあたりを聞くのを、すっかり忘れていたことを思い出した。
「あの城は何て名前なんだろう」
「蛮鬼城って呼ばれてる」
と、驍嚇が答えた。
「もともとは蛮鬼衆って鬼どもの巣窟だ。玄辰が手下にしてる鬼どもがそうだ。この辺り一帯は、人間達は白岡って呼んでるらしいが、俺ぁよくは知らん。交流を期待できんからな」
まあ、そこは理解できた。驍嚇どころかマリさえ鬼扱いを受けているのなら、地名など驍嚇達にはたいした意味を持たないだろう。ただ、そのせいで、村に危険を知らせることも難しいのは、困った状況だとは思う。ぼくもマリと同じで、鬼扱いされるだろう。話を聞いてもらえる可能性は低いし、よしんば聞いてくれたとして、それまでに時間がかかりすぎてしまうだろう。玄辰の話を信じてもらうのにさらに時間がかかることを考えれば、それじゃ手遅れになる。
正直、放っておけばいいという気がしない訳でもない。ぼくだけだったらそうしたかもしれない。
でも、驍嚇はひとりでも止めに走るつもりだ。それを見捨てるという選択肢は、ぼくには考えられなかった。地方の住人の為に驍嚇がひとりでも戦うというのなら、ぼくは驍嚇のために戦うだけだ。
「白岡の連中は警戒心が強えがな、悪い連中って訳でもねえんだ。分かってやってくれな」
驍嚇が村に入ることはないだろうけれど、少なくとも嫌ってはいないようだった。マリの話では、驍嚇やマリの暮らしを助けてくれた人間もいるという話だったから、ひとりひとりはいい人達なのかもしれない。ただ、村を守る必要を考えれば、親切心だけで物事を判断できないのも、理解ができた。
「そろそろ霧が晴れそうだ。警戒していくぞ」
歩きながら、驍嚇が警告する。確かに、視界を覆う白が薄くなり始めている。ぼくも前方を見据え、銃を抱えた手を、握り直した。
はじめて驍嚇が、横目でぼくを見た。
「力は抜いておけ。動きが硬くなるぜ」
流石の貫禄だ。初めて、ぼくは驍嚇に対して畏敬の念を覚えた。相当の場慣れをしていないと出せない落ち着きだった。
「何、蛮鬼衆はろくでもねえ鬼どもで、鬼らしく自分勝手な連中だ。行儀よく城ん中で大人しくしてるような奴等じゃねえさ。単独行動してるのも、探しゃすぐ見つかる」
驍嚇は気軽そうに笑い、周囲を見回した。霧は晴れ、周りの景色が、ぼくたちには見えるようになっていた。
今まで見た景色ともまた異なる場所だ。針葉樹が天を突く槍のように真っ直ぐに生えた森林の中で、周囲からは鳥の鳴き声が聞こえてきていた。
「檜谷か」
と、驍嚇が告げる。マリも同意の頷きを見せた。彼女は驍嚇の腰に縋りつくのをやめ、両手でしっかりとクロスボウを手に取った。
驍嚇が言うには、
「蛮鬼城までは、少し距離があるな」
ということらしい。位置関係が分からないぼくには、彼の土地勘だけが頼りだった。
「どっちかってえと、白岡村の方が近い」
手近な樹木の幹を軽く叩き、驍嚇は短く頷く。
「あっちか。この辺は白岡の連中も狩りやら樵やらに来る。早めに移動するとしよう」
そして、方角が分かったとばかりに、先頭を切って歩き出した。
「あれで方角が分かるんだ」
人間に出来ることじゃないのは分かる。だからこそ、ふしぎに感じた。
「ああ。この辺の檜林は原生林と植樹された人工林に分かれてるからな。叩いてみりゃだいたい分かるのさ。天然木なら年輪が詰まってる。植樹木は比較的年輪が広い。ま、人間が叩いても、判別は難しいかもしれねえが、とりあえず、どっちの檜林か分かれば、だいたいの現在位置に推測が付くって訳だ。そっちの方は、土地勘って奴だな」
驍嚇はのっしのっしと大股で歩きながらも、一歩一歩の速度を落とすことで、ぼくやマリが遅れないように気をつかってくれた。林の中は地面がでこぼこして歩きにくいものだから、とりわけマリが転んでしまわないように気を付けたのだろう。
「お、見えてきたな」
彼の方向感覚も流石だった。しばらく歩いただけで林は途切れ、ところどころ大きな岩が見える草原の向こうに、ぼくたちが崖路を歩いたのだろう狭い峡谷と、その向こうに霞む城砦が見えた。
城といっても、ぼくたちの時代に知られているこの国の城ではなくて、もっと古い時代の砦のようだった。閣のような高い建物はなく、地上部分は櫓に近い大きさしかないように見えた。
「地下の深さの割に、地上は思ったより立派じゃないんだな」
改めて蛮鬼城を見て思う。ぼくが疑問の声を上げると、
「普通はあんな地下はねえよ」
と、驍嚇も笑った。どうやら、あの地下の深さは、蛮鬼城独特らしい。
「っと、ここから先はなるべく黙って進むか。蛮鬼衆どもがうろつき回ってるかもしれねえ」
それから、驍嚇はぼくたちに会話を控えるように注意してきた。鬼たちはかなり遠出もするようだ。不意打ちはされたくないのは、三人ともそうだろう。ぼくも驍嚇の指示に従っておくことにした。
白い岩肌が混じる場所は視界の遠くを探しても見つからない。鍾乳洞があったのは、城を挟んで反対側なのかもしれなかった。
岩の陰を伝うように、驍嚇はなるべく人目に付きにくいコースを驍嚇は進んだ。ぼくたちも無言でそれに続き、ルート選択は、完全に驍嚇に任せた。
林の中では聞こえていた鳥の声も、ぱったりと聞こえなくなった。岩の間を吹く風も静かで、空気が淀んだような不気味な雰囲気に感じられる。緑の草はあちこちに生えているのに、まるで世界が死んだように嫌な静けさを漂わせていた。
そんな中を、驍嚇は、迷うことなく歩いていく。その背中が頼もしく、不安がどこかへ吹き飛ぶようだった。ぼくの心の中もふしぎと落ち着いていて、張り詰めるような緊張を感じることもなかった。
ぼくたちは静かに進み、それは、驍嚇が腕で、止まれ、と合図するまで続いた。岩陰から先を覗きながら、驍嚇が、ぼくに前方を親指で示した。もっとも、その必要もなく、ぼくには驍嚇が足を止めた理由はすぐに分かったけれど。
鎧のマップは、既に赤い点を捉えていた。
鬼だ。
生憎一人、とはいかなかったけれど、たった二人で、ぶつくさ言いながら歩いていた。
「しけた虫ぐらいしかいねえじゃねえかよ」
「ああ。たまには猪くらい食いたいもんだ」
そんな文句を言い合いながら不用心に歩いている。二人とも突起が付いた鉄の輪が嵌った大金棒を担いでいて、驍嚇がそれを奪おうと考えていることは、ぼくにも分かった。
鬼たちが、こちらに気付く様子はない。
であれば、ぼくの銃の出番だ。銃口の向きを調節して、いつでも撃てるように、構えた。
待て、と、驍嚇が示す。それも、分かっていた。だから、合図を待つつもりで、ぼくもトリガーに指を掛けてはいない。赤い点は二つだけだけれど、表示されているのは近距離マップの隅だ。範囲外に、他の仲間がいないとも限らなかった。
驍嚇が、岩から覗き込み、周囲を探っている。表情は見えなかったけれど、仕草には落ち着きが見えた。
しばらく様子を窺ったあとで、驍嚇が、撃て、と合図した。当然、すぐに、ぼくもトリガーを二度、引いた。相変わらず、ヒノの銃の銃弾は岩を避けてふしぎな曲線を描き、飛んで行った。
「ぎゃっ」
「うがっ」
悲鳴が二度上がり、静かになった。驍嚇が、ここで待て、と合図して一人で向かう。マリは心配そうな様子を見せたけれど、万が一鬼が倒れていなかった場合、ぼくたちが接近した方が危険なのは明らかだ。ぼくは彼女についていくべきでないと示す為に、かぶりを振ってみせた。待った方が、安全だ。
「大丈夫だ」
驍嚇の声がした。ぼくらも鬼がいた場所へと急ぐ。金棒を担いだ驍嚇が、待っていた。




