第三章 燃え上がる野心(4)
翌日になると、驍嚇の傷はさらに良くなった。もう目を凝らして探さないと見つからない程、うっすらと消えかかっていた。
このくらいになると、流石のマリもべったりと驍嚇の傍についていることはなくなった。それでもまだ家の外には出ないようにヒノから言われている日数は過ぎていないから、ぼくたちは家でできることをしていた。
主にやったことは、マリやヒノから、ぼくが驍嚇達の言葉を学ぶこと。付け焼刃ではほとんど日常会話もままならないけれど、何もしないよりはましだという考えからだった。
もうひとつは、マリの訓練。ぼくが使っていないクロスボウをマリに貸すことにして、護身用に使ってもらうことにしたのだ。使い方は簡単だから、ぼくの説明でも、マリにも使えるようになるはずだった。
「撃つときはトリガーを引くだけ。結構反動があるから、最初は両手で持った方がいいよ」
ぼくは実際にクロスボウを持ってみせながら、使い方をマリに話した。クロスボウは手軽だけれど、機構が複雑で、間違った使い方をするとすぐに壊れる。何より、怪我をする。
「というか、慣れても片手撃ちは考えない方がいいくらいだ。ぼくたちじゃ腕を傷める」
「ハイ」
マリは、ぼくの説明を真剣に聞いてくれた。驍嚇の助けになれるかもしれないという期待からだ。すくなくとも、まったく戦えずに足を引っ張ることは避けられるかもしれない。彼女が真剣に考えてくれるのは、ぼくも驍嚇も歓迎していた。勿論、彼女を戦力として考えるつもりはない。
「それと、クロスボウは一回撃ったあと、再度弦を巻き上げるのに時間がかかるんだ」
そもそも、クロスボウは有効射程が短い。普通の弓と比べてもかなりの短さだ。それ故に、素人が無理をしてもそうそう活躍できる訳でもない。あくまで護身用と割り切るように気を付けておいてもらう必要はあった。
「だから、積極的に戦闘に加わろうとはしないで。ぼくたちは、基本的に驍嚇の援護だ」
もっとも、戦闘経験ということでは、ぼくも似たようなものだ。ヒノから借りている銃のお陰で、敵が気付いていないような遠距離では一方的に敵を倒すことができるけれど、近距離で同じことができるとは到底思えなかった。敵の攻撃を避ける技術に熟達していることもないし、敵の隙をつける程戦闘慣れしている訳でもない。ぼくとマリは素人なのだということを、忘れてはいけないのだと思う。
「ま、俺も素手だしな。本格的に暴れるのは、手頃な奴を狙って、金棒を頂戴してからだな」
驍嚇も、いきなり本格的に鬼の集団と渡りあうつもりではいない。金棒でも奪わないと、効率も悪いし、危険すぎる。
「えっと、弦を巻き上げるのは、この横のハンドルを回せばいいんデスか?」
マリが、クロスボウの横に付いた金属製のハンドルに触れながら、首を傾げた。彼女は勤勉だ。自分から積極的に質問もしてくるから、教え甲斐もあった。
「基本的にはそう。ただ、ハンドルは不調とかで空回りしてしまうこともあるから、そんなときは、こうするんだ。先端の金具を足で踏んで、お腹との間でクロスボウを固定してっと。これで、自分の手で弦を引っ張って留め具に引っかける。そのやりかたも練習しておくと良いよ。あ、練習するときと、実際に外に出るときは、必ずグローブを嵌めておくとを忘れないで。素手でやると怪我をすることもあるから。グローブは、ぼくが使っていたので悪いんだけど、それを貸すね」
実際に引っ張る振りをしてみせながら、ぼくはハンドルをつかわない弦の引き方を見せる。実際、
「慣れればこっちの方が早いって、ハンドルをつかわないひともいる。力がいるけどね」
そういう人は、結構いる。ぼくはハンドルをつかった方が楽だから、たぶん、マリもそっちの方が向いているだろう。
「ハイ」
マリが自分で持ちたそうな顔を見せた。ぼくはクロスボウを手渡し、
「手を離すよ? 気を付けて」
と、自分の手を添えるのを辞めた。
「わ、本当に。見た目より重いデス」
そうだろう。マリは驚いたようだけど、ぼくから言わせれば、当然だ。巻き上げ機構なんかが付いている分、どうしても、普通の弓なんかと違って重量があるのは、仕方がない。
「だから、しっかり支えないと、そもそも狙ったところに矢が飛ばないから、気を付けて」
「分かりマシタ。ハイ」
マリも理解したようだった。実際、腕の力だけでクロスボウを水平に構えるのはたいへんだ。そういった意味でも、長時間の戦闘には向かない武器だった。
「牽制のつもりで持っていてくれればいいよ。敵を倒すことは、考えない方がいいと思う」
昼の間はそんな風にして、ぼくたちは暖炉の部屋で過ごした。そして夕方が過ぎ、家の周りが暗くなっていくにつれ、翌日からの戦いを考えないではいられず、ぼくたちは夕食の時も、そのあとも落ち着かない時間を過ごした。
何しろ、昨日までと同じように、マリが食事として鶏肉の香草焼きを用意してくれたのだけれど、家事が得意な彼女に珍しく、少し焦がしたくらいだ。
驍嚇でさえ、少し緊張しているようだった。食事のあと、何度か話題を探して口を開きかけながら、結局いい話の種が見つからなかったように、しかめっ面で口を閉ざすばかりだった。
そんな中、ふと、ぼくは一つだけ話題を見つけた。驍嚇やマリに対しての話ではないけれど、何かのきっかけになればと思って、それを話題にしてみた。
「そういえば、ヒノ。驍嚇とマリは、自分達の家がないみたいなんだ」
驍嚇には狭いという問題はあるけれど、一緒に住めないかと相談してみるつもりだった。勿論、二人がそれは嫌だというのなら、無理に一緒に住もうとまで言うつもりはなかったけれど、そうでなければ、何とかしてあげられないかと思うのは、人として当然のことだ。
『うーん』
でも、ヒノは唸っただけだった。彼女はしばらく考え込むように黙ったあとで、
『ここに二人が住むのは、無理かな』
と、きっぱりと告げた。ヒノのことだから二人を追い出したりはしないだろうと、ぼくは思っていたから、すこし意外だった。
『というか、それは、今は考えないで。それも何とかなる筈だから』
ヒノはそんな風に、その理由をはぐらかした。あからさまにはぐらかしているという言い方をした。たぶん。ぼくはそれが何故なのか、分かる気がした。
「ごめん、今は答えられないんだね、それも」
そうだと感じた。封じられているヒノには制約が多い。そして、ヒノはこの家に封じられているだけで、ここがそもそもヒノの自宅だとぼくに言ったことは一度もない。
「ヒノを封じたのは誰なんだろう」
それも、勿論、ヒノには答えられないだろう。でも、驍嚇には、何か分かるかもしれない。だから、ぼくは彼に聞いてみた。
「おそらく当事者は生きちゃいまい。封じられて日が浅いたあ思えねえな」
驍嚇が言うには、
「あの犬から、すくなくとも百年は前に概念ずらしを受けた匂いがするからな」
ということが分かるらしかった。
「俺に解けりゃよかったんだがなあ。何なら、家ごとぶっ壊してみるってのはどうだ」
とはいえ、驍嚇には、ある程度分かるだけで、封印を破るような能力はないらしい。家を壊してみる、というのも、冗談のつもりだと分かる声だった。
『無駄な消耗はしないでね。玄辰を止めるなら、驍嚇がへとへとになっちゃ駄目でしょ』
本気にしたのか、どうなのかは分からない。ヒノも、そんなことを試している場合ではないと、冗談めかして答えた。
「そりゃそうだ」
当然の窘めだと、驍嚇も笑う。それ以上、ぼくたちは、一旦驍嚇達が住む家がないという話は、切り上げることになった。
その夜は、皆、早めに眠ることにしたけれど、実際、ぼくはなかなか寝付けなかった。それでもいつの間にか眠りに落ちることはできて、目が覚めたのは、夜が白みかけた頃だった。
起きたのはぼくが最後で。驍嚇とマリは既に起きていた。そのまま、簡単な朝食を済ませて、ぼくたちは日の出を待たずに出かけることにした。三人ともじっとしていられなかったからだった。
『倉庫に持って行ってほしいものを用意してあるから、みんな、持って行って』
暖炉の部屋を出ようとするぼくたちに、ヒノが告げる。ぼくはその時、もう銃も鎧も持っていたから、そんなことを言われると思っていなくて、驚いた。
「そうなの?」
ぼくは、ふしぎな気がして聞き返したけれど、
『大変な戦いになるからね。皆、ちゃんと備えた方がいいよ』
ヒノにそう言われて、成程、とぼくも納得するしかなかった。
「俺の分があったら、持ってきてくれ」
驍嚇は倉庫へ行けない。窓から出てく。倉庫へは、ぼくとマリだけで向かった。あったのは、驍嚇用の大きなリュックと、マリ用の小ぶりなリュックだ。
それは、長期の野外活動用の備えだった。




