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ぼくのヒノは暖炉の前で  作者: 奥雪 一寸
第三章 燃え上がる野心
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第三章 燃え上がる野心(3)

 翌日になると、驍嚇の傷もだいぶよくなったようだった。早くも毛布から起き上がることが苦痛ではなくなり、室内で軽く解す程度に体を動かすこともできるようになっていた。

「アニさん、もうちょっとゆっくり体をやすめなきゃだめデス」

 でも、そうやって驍嚇が運動をしようとするたびに、マリが目くじらを立てて止めに入った。彼女としては、傷が完治するまでは寝ていてほしいようだった。

「ちょっと心配しすぎじゃないの?」

 ぼくも流石に驍嚇に同情した。あまりじっとしているのも、窮屈だろう。まだ傷がきれいに塞がった訳じゃないけれど、薄く残っている程度で、動くのに支障がなさそうに、ぼくにも見えた。

「そう言って。ヤンチャな子供みたいに、また傷をこさえるんでショウ。その度に心配させられるこっちの身にもなってクダサイ。マッタク」

 と、マリの不満はぼくにも及んだ。藪蛇だった。

 とにかく、マリの監視があるから、驍嚇には、怪我が完治するまで、どうやら大人しくしてもらっておくしかないようだ。ぼくたちは驍嚇が座り込む毛布のまわりに集まって、彼と一緒に床の上に座って語り合った。

「あなたもデスよ、アーベルさん。こんな大人になっちゃだめデス」

「もう手遅れじゃねえかな、そいつは」

 驍嚇が笑う。まあ、その通りだから、返す言葉もない。ぼくが肩を竦めてみせると、マリもおかしそうに笑い出した。

 ひとしきり笑って。

「でも、困ったな」

 と、ぼくは話を変えた。ひとつ困っていることがあったからだ。実のところ、昨日から、寝ているとき以外、ぼくは透明の鎧を着たままにしていた。これがないと、驍嚇と言葉が通じないから、脱げないのだ。正直、窮屈だった。

「マリやヒノから、驍嚇達の言葉を習った方がいいかもしれないな」

 今日一日、時間はある。簡単な合図くらいは、鎧なしでも通じるようにしておかないと、これからのことを考えるとまずい気がしていた。

「そうだな。そいつは間違いねえ」

 驍嚇がぼくたちの言葉を覚えるのと、ぼくが驍嚇達の言葉を覚えるのは、どちらが早いのだろう。正直、聞いた限り言語体系が違うように聞こえて、まったく言葉として理解できないから、驍嚇達の言葉は、ぼくにとって難しいものなのだろうという予感があった。

「驍嚇は、ぼくたちの言葉がうまく聞き取れないんだよね」

 マリに聞く。マリなら、驍嚇の言語理解能力もよく知っている筈だ。本人に聞くより、そっちの方が参考になる。

「そうデスね。難しいと思いマス」

 と、マリも頷いた。そうだろう。今は鎧が双方向で通訳してくれているから会話が成り立っているだけで、もともとの言語の方が聞き取れそうな気がしないのは、ぼくも同じだ。

 ただ、当の驍嚇は、

「ん? どういうことだ?」

 と、ふしぎそうに首を捻るばかりだった。ぼくとマリが、驍嚇の聞き取り能力について言いきれる理由が、彼には分からなかったのだ。

「マリの名前は、正確にはメアリーっていうらしいよ」

 ぼくが半笑いでそう判断した理由を告げてあげると、

「どっか違うのか?」

 本気で分からないように、驍嚇はさらに首を捻った。これは確かに、驍嚇がぼくたちの言葉を覚えるのは難しそうだ。

「違うよ。驍嚇が言っているのは、マ、リ。ぼくたちが言っているのは、メ、ア、リー」

 できるだけゆっくり発音して聞かせる。漸く、驍嚇にも理解できたようだった。

「もう一回普通に言ってみてくれ」

 と。確かめるように聞き入る姿勢を見せた。

「メアリー」

 ぼくが普通の速度で言うと、

「やっぱりマリにしか聞こえん」

 驍嚇は、首を横に振った。こればっかりは文化の違いだ。ぼくも驍嚇を責める気にもなれない。

「そういうものなんだろうね。気にしていないって本人も言っているよ。マリでいいって」

 ぼくがマリに視線を向けると、彼女もにっこりと微笑んだ。むしろ、驍嚇からマリと呼ばれるのが好きだと、彼女は言っていた筈だ。ぼくもマリに頷いてから、もう一度驍嚇に視線を戻した。

「それに、マリの方も、鬼と兄の発音の区別が、うまくついていないみたいだ」

 ぼくが驍嚇に教える。彼は一瞬驚いた眼をしたあと、

「おお、アニって、そういう意味だったか。てっきり俺ぁ妹になりたいもんだとばっかり」

 やっとマリからそう呼ばれている意味が、理解できたようだった。彼は困ったように弁解した。

「悪ぃことしたな。そりゃ、勝手に妹扱いしちゃ、失礼だったか。すまなかったな、マリ」

「え? 私が妹じゃ、だめデスか?」

 もっとも、マリ自身は、驍嚇の妹である自分に満足していたようだった。むしろ、妹でいられなくなることを、嫌がった。

「ああ、いや。俺は構わねえ。お前がそれでいいってなら、俺も文句はねえよ?」

 そしてそれは、驍嚇も同じらしい。彼もまた、マリの兄でいることに、愛着があるようだった。

「ハイ。私、妹のままでいいデス。いままでと同じ。これからも同じ。それがいいデス」

 ほんわかとした空気を感じさせてくれる会話の中に、ちょっとだけ不安になる雰囲気を滲ませて。でも、それはぼくが横から指摘することじゃないんだろうと思う。マリは心の奥底では、妹でいたい訳じゃないんだろうけれど、今の関係性が壊れてしまうことも、怖いんだろう。

「おう、分かった。じゃ、そうするか」

 驍嚇が気付いているのか、いないのかは分からない。ひょっとしたら、結構頭が良さそうな驍嚇のことだから、本当は分かっているのかもしれない。それでも、彼は気付いていない様子しか見せてくれなかった。

「ハイ」

 それは、マリも同じだ。たぶん、驍嚇が困ってしまうことを分かっているのだ。驍嚇は鬼で、マリは人間で。そもそも生きるべき世界が違うことも分かっているから、彼が、今の関係性以上を、簡単に許容することはないだろう。だから、子供のぼくが、口を挟むことじゃなかった。

『それでいいと思うよ』

 と、ヒノも同意してくれた。彼女も、たぶん、ぼくと同じだ。

 たぶん、驍嚇とマリのふたりは、ぼくたちがいらないお節介を焼かなくても、いつか。自分達で、自分達の未来をちゃんと話し合うんだろうという気がした。だから、大丈夫だと思う。二人に任せて。

 それに、正直、ぼくが気にしなければいけないことは、ぼくのことだ。驍嚇はそう言うだろう。ヒノとぼくの関係をどうするのかを、ちゃんと考えていかないとまずいと説いたのは、彼だ。

「まあ、選びようもないんだけど」

 ぼくは独り言として、そう笑えるけれど。

 最初から、戻るという選択肢を選ぶ理由が、ぼくにはなかった。ヒノに帰れと言われないのなら、ぼくは、ヒノと一緒にいると、決めたつもりでいた。その意志に、不安もなかった。

「ヒノは、ぼくが戻れなくなったら、嫌?」

 そっとヒノに聞いてみた。ぼくはそれでもいい。でも、ヒノがどう思うかを無視したいとも思えなかった。

『アーベル。あなたは、戻っても幸せにはなれないんだ』

 とだけ、ヒノは答えた。

 いてほしい、じゃなく。戻っちゃいけないと。ぼくのために。

「うん、知っているよ」

 けれど、それはぼくにも自覚があることだった。分かり切っている。あそこに、ぼくには、なにもない。だから、当たり前のことだと、理解していた。

『それでも、アーベルが戻りたいと思うなら、戻った方がいいよ。わたしは、嫌だけどね』

 ヒノは未来が見通せる。もう何度もぼくが実感しているように。だから、戻ったぼくの末路も分かる筈だ。

『わたしは止められない。でも、あなた自身が苦難の中で死ぬ選択をしてほしくないよ』

 ヒノがいうことは、理解できる。世の中は子供一人が、頼る人もなく生きていける程簡単じゃない。怪我や病気もある。食糧を自力で集めることができなくなることだって、十分あり得る。生きていくということはたいへんなことだ。だから、今更独りぼっちにもどりたいとも、ぼくにも思えなかった。

「ヒノが悲しむような選択は、ぼくもしたくない。ぼく自身の意志で決められることなら」

 それが、本心だ。だから。

「きみにいなくなれと言われない限り、ぼくは、あっちには戻らないよ」

 ヒノには、そう誓うだけだった。ぼくは、それで良かった。それだけで。

『うん。ありがとう。頼りにしてる』

 ヒノは、何故か、そんな言い方をした。その理由は、ぼくには分からなかった。

 それでも、頷くことだけは、できた。

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