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ぼくのヒノは暖炉の前で  作者: 奥雪 一寸
序 章 霧の中の家
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序 章 霧の中の家

 少し前に、父が死んだ。

 親一人子一人で暮らしてきたぼくにとって、それはいい意味でも悪い意味でも、というか、おもに悪い意味で生活を一変させた出来事だった。

 父の葬儀が済んですぐの頃、ぼくのところに街のお役人さん達が来て告げた。

「君は、もう、君のお父さんが所持していた、この家で暮らすことはできないのだ」

 売りに出されるのだと。

「この街で家や土地を所持するなら、税金を払わなきゃいけないのだ。君には、無理だ」

 それは仕方がないことだった。何故って、ぼくは、いつも街の外を駆け回ってばかりいるような子供だったから。父が遺していった家を守っていく為に、すぐに働きに出られるような技術も持ち合わせていなかった。

「そんな。こんな子供を追い出すなんて」

 近所のおばさんがぼくの代わりに抗議してくれたけれど。

「そう思うなら、彼の代わりにあなたが税金を立て替えてあげれば良い」

 そうお役人さんに言い返されると、おばさんは口を噤んで逃げるように去って行った。

 こうして、ぼくは、住む家を失った。

 それでも、逆の意味でいえば、野外で過ごしてばかりいたぼくだから、家がない野宿生活も苦にならなかったことは幸いだった。その為の野営の装備一式は持っていたし、そのくらいのものを保持するだけであれば、ぼくの少ない稼ぎでも何とかなった。綺麗な石を売ったり、野外で行方知れずになったペットや家畜を探したり、そんな風に日銭を稼ぐことができたからだった。

 原野の向こうには深く暗い緑の葉を湛えた森が、まるで雲海のように広がっている。あれを超えた向こうにはまだ行ったことがない。さらに向こうに霞む、山々の嶺など尚更だ。

 だからぼくは、街の人の依頼を受けている、受けていないにかかわらず、緑成す大地の上を、毎日、日が出ている間は歩きまわった。

 食べられる野草の知識もある。

 小さな獣を獲る為の罠を作り、獲物を捌いて調理することも、毎日続けていたからすっかりお手の物だ。

 そんなぼくでも知らないことは沢山あった。

 例えば、今、ぼくの視界を完全に隠してしまっている深い霧などそうだ。それまで霞むこともなかった草原を歩いていたぼくの視界を突然遮って湧き上がってきた霧。不思議なことだけれど、本当に、ものの数秒で、ぼくの視界はいきなり白一色のカーテンに遮られたようだった。

 それでもぼくは何故か戻る、ということを考えなかった。不思議な霧に、わくわくする気持ちさえ抱いて歩き続けた。何かとてつもなく素敵なことが起きる。そんな確信に似た思いを胸に、ぼくは前だけを見て進み続けた。

 霧は深く、周りの景色は見えない。

 だから、ぼくは迷いを感じずに済んだ。たとえぼくの期待が、現実を変えてくれる何かが起きてほしいという願望から来る、妄想だったとしても。ただひたすら。真っ直ぐ、真っ直ぐ。ぼくは歩いた。

 そしてその一心不乱さが通じたように、やがて霧の中にぼんやりと、青白い何かが見えてきた。それはぼくの目線よりずっと高い場所にぼんやりと浮かんでいて、しばらく歩くと、ぼくにも、浮かんでいるのでなくて、壁と柱に支えられた、灰色の屋根だということが分かってきた。

 家だ。灰色の屋根。丸太を組んだ壁。それを支える、太く、四角い柱。壁の木は樹皮を削いだオレンジ色で、柱は暗い焦げ茶だ。屋根は石を焼いた瓦で、奥の方に、煙をあげている四角い煙突が見える。二階はなさそうで、つまり、平屋だけれど、面積はけっこうな広さがありそうだった。四、五部屋はあるかもしれない。

 玄関のドアも木製で、小窓のない一枚板の扉だった。飾りはほとんどなくて、色は明るい梔子色くちなしいろだった。

「ごめんください」

 ドアをノックする。煙突から煙が出ているのだから、留守ってことはないのだろうけれど、返事はなかった。

「おかしいな」

 警戒されているのだろうか。ぼくは残念に思い、引き返そうかと迷った。招かれてもいないのに、勝手に入ろうと試みる程無神経でも図々しくもないつもりだ。

 けれど、本当に残念だ。何かが起こると思い、実際に、霧の真ん中に建つ、どう考えてもふしぎな家を見つけたというのに、ノックしても何も起こらないなんて。

 そんな風に、ぼくはため息をひとつついた。

 そして、その僅かな風に応えるように。

 目の前で、ドアが開いた。ドアを開けた手は見えない。勝手に。そう、ひとりでにドアが開いたのだ。

「ええと」

 困惑するぼくの前でドアが開いていく。こちら側に開くドアだ。そのまま立っているとドアに当たると気付いたぼくは半歩下がって、それを眺めた。

 ドアのむこうは狭い空間で、一段高いところに木の床の廊下が伸びている。正面のいきどまりにひとつ、右にふたつ、左にふたつ、廊下の壁には扉があった。

「入っていいんですか?」

 聞いてみるも、返答はない。代わりに、正面の扉が、向こう側に向かって開くのが見えた。部屋のようだ。部屋の奥に暖炉があって、その前に、何かこんもりとしたものが転がっている。

 困った。入っていいやら、駄目やら、まったく見当がつかない。困惑は増すばかりで。ぼくがまごまごしていると、急に背後から誰かに押されたような風が吹きつけて、

「わっと」

 ぼくは家の中に押し込まれた。背後で、玄関のドアが閉まる。これはもう、奥まで入れと言われているに違いなかった。

 覚悟を決めて、家の奥に向かって進む。

 あっと。そうだった。玄関の土間と廊下の段差が高いということは、靴を脱いで上がる家だ。ぼくもそういう家に住んでいたことがあるから、ちゃんと知っている。

「お邪魔します」

 靴を脱いで、廊下に上がる。そのまま脇の扉には手も触れず、真っ直ぐに奥の部屋へと向かった。廊下を歩いている間は何も起きず、通り過ぎた扉から、急に背後に不意打ちしてくるような何かが飛び出してくるようなこともなかった。

 廊下の突き当りの扉を抜けて、部屋に入った。部屋はやっぱり木の床で、分厚い絨毯が敷かれていた。その上には二人が向かい合って食事できるテーブルと、一対の向かい合わせの椅子があった。

 右の壁には窓があって、左の壁には棚があった。棚には飾り皿や銀の食器が飾られていて、室内に高級感を添えていた。

 それらを眺めてから、暖炉の前のものを見る。ぼくは、息をのんだ。

 犬だ。

 一頭の犬。焼けたトーストのような色の毛を生やした、中型犬。暖炉の火に照らされながら、丸まってすやすやと眠っていた。犬はぼくが近寄っても、眠り続けていた。

「どういうことだろう」

 それ以外、何かが起きる気配もない。ぼくは犬の傍にしゃがみ込んで、様子を伺ってみた。

『ヒノ』

 そんな声が何処からか聞こえてきた気がした。ぼくが聞いたのは短い言葉だけだった。

「きみの名前かな?」

 犬に問い掛けてみるけれど、当然、犬が答える筈もなかった。犬が喋る筈もない。ぼくは少しだけおかしくなって笑ってから、

「ぼくはアーベル」

 自分も名乗った方がいいのだろうと気付いた。名乗られたなら、名乗り返すのが礼儀だ。

『ようこそ』

 今度は、間違いなく聞こえた。女の子の声だった。少し高い、可愛らしい声に聞こえた。歓迎されていることも分かった。

「ありがとう。草原を歩いていて、気が付いたら霧の中にいたんだ。そしてここに着いた」

 一応、成り行きも説明しておく。それを伝えてどうなる訳でもないけれど、何となく弁解せずには気持ちが落ち着かなかった。

『知ってる』

 と、笑われた。笑い声は、一掃綺麗な声だった。

『今日は泊っていった方がいいよ。こんな日は、迷いやすいから。もしよかったら、ずっと泊って行ってもいいけど。どうかな?』

 女の子の声は、ぼくが家に留まることを望んでいるようだった。外に出してくれないなんてことは、ないよな。急にぼくも不安になった。ぼくは余程不安そうな顔をしたのか、

『そんなことはしないよ。好きな時に出て行って、たまに帰ってきてくれればいいから』

 女の子は約束してくれた。閉じ込める気はないと。

「そう。ごめん。失礼だったよね」

 ぼくはとりあえず謝らなければならないと、すぐに考えたけれど、

『大丈夫。気持ちは分かるよ。変だものね。姿も見えないのに、声だけ聞こえるの』

 女の子はそう言って許してくれた。

『でも、こんな気持ちが悪い家でも良かったら。たまに、でいいの。一緒にいてほしい』

 そんな風に話す声が、とても寂しそうで。

「ぼくで良ければ」

 と、ぼくは答えた。それが、始まりだった。

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