第7話 気配
野々村は、デスクに座りパソコンを起動する。
開かれたブラウザには、SNSの膨大な通知が表示された。
週刊誌に掲載されたことで、更に多くの誹謗中傷のメッセージが届くのだろう。文字数制限いっぱいに書かれた罵詈雑言を見るほど、野々村は暇ではない。
アカウントを削除する。
「それがいいですよ。今の時期、SNSは邪魔にはなっても、何の役にも立ちません」
松梶は、週刊誌を読みながら言った。
野々村は、手袋を付け、溜まった郵便物をチェックした。貴重な戦力である松梶に怪我でもされたらたいへんだ。
今日は、不審な郵便物も、重要な郵便物もないようだ。
パソコンに目を戻すと、削除したはずのアカウントの画面に戻っていた。更新ボタンを押してもいないのに、タイムラインは流れ続けている。
「データ処理のキュー待ちで、アカウントが削除できないとは、初歩的なミスだね」
野々村は、そう呟き、再びアカウントを削除した。
「どれだけ人気者なんですか」
松梶が、また茶化す。
「まったくだな」
野々村は、スマホを取り出し、アプリごとアンインストールした。
ゲームAIの進捗状況を確認し、プレスリリースの案文を考える。AIは、順調に学習を進め、完成の日は近い。
また、脳波接続ギアは、製造コストの問題は残ってはいるが、実用段階に入っていると松梶は言う。
実際に、松梶はテスト用の仮想空間に接続し、散歩を楽しんできたそうだ。
「ポリゴンでできた街を散歩しても、何も面白くありませんね」
松梶の開発は、常に一歩先を進んでいた。
十九時になる。
松梶は、ギアを装着し、目を閉じている。朝まで、このままでいるのかもしれない。
「お先、失礼するよ」
「お疲れさま、気を付けて」
起きていたようだ。
オフィスを出た野々村は、タクシーで帰宅する。今朝のような思いは、しばらくは避けたい。
タクシーを拾い、行先を告げる。
「この前、事故があったところですね。なんでも、コンピューターが仕組んだ事故だそうで。怖い世の中になりましたね」
これが、世間一般の認識なのだろう。野々村は、運転手の話を黙って聞いていた。
渋滞にはまりながらも、二十時過ぎに着いた。
マンションは、何事もなかったように静まり返り、敷地内の照明は、レンガ敷きのアプローチを明るく照らしていた。
野々村は、アプローチを歩きながら振り返った。
明かりが届かぬ路上に、何者かの気配を感じる。姿が見えるわけではない。感じるのだ。路上の闇から、じっと野々村を目で追う誰かがいる。
今も、見られている。
野々村は、急いでエントランスに向かう。背後からの気配を感じながらエレベータのボタンを押し、すぐに乗り込んだ。
四階の自宅の部屋へと急ぐ。
ドアを開け、照明を点けた。
「おやっ」
誰かが廊下の先を横切った。玄関の明かりはリビングまでは届かないが、カーテンの隙間から差し込む光を背に、横切る影が見えた。
姉乃が来ているのだろうか。野々村は名を呼ぶが、返事はない。
リビングの照明を点ける。
誰もいなかった。
着替えながら、洗面所や寝室を見て回るが、姉乃の姿はなかった。
朝からの緊張で、思っている以上に疲れているのだろう。
野々村は、ソファーに倒れ込んだ。