第6話 人影
出勤するため、野々村は六日ぶりに外に出た。
静かな朝だった。
事故以来、マンション付近での抗議行動は影を潜めている。反対派はネットに戻り、声を上げていた。
まだ九時だというのに、すでに空気は熱を帯びている。
野々村は、マスクの位置を直し、帽子を深々と被り、地下鉄に乗り込む。オフィスまでは二十分の距離だ。
以前と同じ車両の、同じ場所に立つ。車内は込んでいた。
電車に揺られながら、野々村は、ねっとりと絡みつくような視線を感じる。
走行する車両の窓ガラスに映る車内の人々は、野々村を見ている。顔のない乗客に囲まれていた。
カーブで揺れる度に、彼らは近づいてくる。
動悸が激しくなり、冷や汗が額に滲んだ。
下車駅に到着し、ドアが開け切らないうちに真っ先にホームに降りた。
改札を抜け、長い階段を駆け上り、地上に出る。
ようやく、息ができた。
野々村は、呼吸を整えながら、ゆっくり歩いてオフィスに向かう。
額の汗を拭った。
よく立ち寄る間口二間の書店に差し掛かった時、店先のワゴンに置かれた週刊誌が目に入る。
「AI開発者、大惨事を高みの見物!」
悪意しか感じられない見出しに、野々村は顔をしかめる。
三人も乗れば窮屈になるエレベーターを三階で降り、オフィスのドアを開ける。
松梶が出社していた。Tシャツとジーンズ姿、テーブル上の食べ終えたカップヌードルを見るところ、昨夜もここに泊まったのだろう。
松梶は、脳波接続ギアを頭から外す。
「おはようございます。社長、顔色悪いですよ」
心配そうに野々村の顔を覗き込む。
「こんな雑誌が売られていれば、具合も悪くなるさ」
野々村は、テーブルの上に週刊誌を置いた。
「AI開発者って社長のことですよね。有名人はつらいな」
松梶は、表紙のコピーを読んで軽口を叩く。後で見せてくださいと、再びギアを装着した。
記者は、AIへの反対運動を記事にするつもりで、カメラを向けていたのだろう。そこで偶然、事故に遭遇した。
表紙をめくると、フェンスにしがみつく男と背後に迫るダンプが見開き上段に掲載されている。中央には「疑惑の事故! 瞬間を捉える!」と横文字で大きく書かれている。「疑惑の」が余計だ。フェンス越しの写真だった。明らかにマンションの敷地内から道路に向けて撮影されている。
次のページには、電柱を押し倒し塀に突っ込んだダンプカーが写っている。左上には、四階のベランダから見下ろす野々村の写真が丸く切り取られている。当然、目線は黒塗りされているが、いかにも事故の様子を見下ろしているかのようにレイアウトされている。
実際に眺めていたのだから、このクレームは、お門違いか。
野々村の背後に人影が写っていた。
背後はテラス窓だ。太陽の光で影ができる向きではない。
窓の内側に誰かが立っているようにも見えるが、姉乃は寝室にいたはずだ。
警察は、この写真を見て、ベランダに二人いたと誤解したのだろうが、人の影と言い切るほどの鮮明さはない。咄嗟のことで手振れしたと説明された方が納得はいく。
パラパラと数ページを眺め、週刊誌をテーブルの上に戻した。