第4話 起点
寝室から姉乃が顔を出した。外の騒ぎを耳にして、何があったのか野々村に尋ねる。
「交通事故だよ。見ない方がいい」
野々村は、渇いた喉から声を絞り出した。
事故現場には、人が集まり始めている。
野々村は、室内に戻った。
閉めたテラス窓から、パトカーや救急車のサイレンが微かに漏れ聞こえてきた。
姉乃は、着替えを済ませ、キッチンで遅めの朝食をとっている。
窓越しに見える道路は封鎖され、すでにブルーシートが掛けられている。
「大きい事故だったから、ニュースになるのじゃないかな」
遠くにヘリコプターのローター音が聞こえる。
「怖いわね。私たちも気を付けないと」
キッチンでトーストを頬張っていた姉乃は、リビングに戻りテレビを点ける。
生放送のニュース番組は、スポーツコーナーでプロ野球選手へのインタビューを流している。姉乃は、リモコンをテーブルに置くと、ソファーに座り、興味なさげにテレビを眺めた。
インタビューが終わり、画面は報道フロアに切り替わった。
「臨時ニュースです。速報が入りました」
女性アナウンサーが、原稿を読み上げる。
コーヒーを淹れ終えた野々村も、リビングに戻りソファーの後ろに立つ。
「先ほど九時過ぎに、男女五人がダンプカーに巻き込まれる事故が発生した模様です」
画面は、空からの映像に切り替わった。
「こちら、現場上空です。現在はシートが張れていますが、暴走したと思われるダンプカーが、塀に突っ込んでいる様子が見えます。電柱は倒れ、民家の屋根が崩れています。周囲は騒然とした状況です」
騒然としているのは、ヘリコプターの方だ。映像が真上の画角になるに連れ、ローター音が建物を震わせている。
「新しい情報が入りましたら、再びお伝えします」
画面はスタジオに戻り、芸能ニュースを報じ始めた。
「午後は『バレーナ・ソフト』との業務提携契約書を弁護士さんに見てもらいに出掛けるけど、お昼はどうする?」
ツイード仕立てのジレを羽織りながら、姉乃は聞いた。
「ある物で食べるよ」
凄惨な事故を目の当たりにし、とても食べ物を口にする気にはなれなかった。
「会社が疑われるような報道でなくてよかったね」
洗面所で髪を梳かしながら、姉乃は言う。
それも、今のうちだけだろう。被害者の素性が明らかになれば、いずれ報道されるに決まっている。
野々村は、その時に姉乃が見せる残念そうな表情を思い描いた。
「騒ぎに巻き込まれないように早めに出るね。今晩は自宅に戻るから、また来週」
「ああ、気を付けて」
髪を上げた姉乃は、書類ケースを持って出ていく。
「結婚しよう」後姿を見ながら、そう告げたい気持ちをぐっと堪えた。
姉乃がいなければ「ソフト・クリムゾン」は起業しなかった。感謝してもしきれない。
アプリ開発でのプログラムテスト、素材の作成委託、宣伝広告と、給料も満足に払えない時も働いてくれた。
そして、姉乃がいたからこそ、野々村は頑張れた。
プレスリリースの日、野々村は「ゲームAIが完成し、オープンワールドゲームが公開されたらプロポーズしよう」と心に決めた。
運営はAIに任せ、この喧騒から離れ、ゆっくりと二人で過ごしたい。
しかし、今、それを口にしたら、全てを放り出してしまいそうで恐かった。姉乃の頑張りに報いるためにも、完成した後でなければならない。
野々村は、姉乃を玄関先まで見送り、リビングに戻る。
点けっ放しのテレビの画像が乱れていた。
紺色のスーツを着た男性アナウンサーが映っているが、ブロックノイズで顔は見えず、音声も聞こえない。
ヘリコプターの飛行で電波が乱れているのか。
「……午後は、天気が崩れる予想ですので、お出かけの際は傘を……」
案の定、テレビはすぐに直り、女性キャスターの声が聞こえてきた。