第32話 多重化
「歴史が多重化する?」
いよいよ理解の範疇を超えた野々村は、明らかに困惑した表情をしている。
船越川は、常磐道の答えを待たずに、説明を始めた。
「この世界は、最小の時間単位で独立しています。時間単位ごとに歴史があるのです。それぞれの歴史はほぼ一致していますが、ひとつの時間世界だけに影響を与えると、その世界だけ歴史が変わってしまいます。これが、歴史の多重化です。時間世界を管理している神は、多くの歴史が生じてしまうことを嫌がるのです」
「神が……嫌がるのですか……」
野々村は、腕組みをして聞いている。
常磐道は、頷いて言葉を足す。
「嫌がる神に歴史の多重化を気付かれたら、この時間世界は取り除かれてしまいます。それは、悪霊にとっても都合が悪い」
それまでタブレットを操作していてた有江が、顔を上げて尋ねる。
「この世界の歴史が変わっていることを、神様はまだ気付いていないのですか」
「悪霊は、神に気付かれていないと思っているということです」
答えになっていない。
「神様は歴史の多重化に気付いているけど、多重化を回避しようとしている悪霊の動きを見逃しているのですか」
常磐道の答えは、有江の言葉どおりに聞こえる。そうであれば、神の敵は悪霊ではなく、悪霊の動きを妨げようとしている私たちになるのではないか。
船越川は、常磐道を見た。
「いや、神は、悪霊がではなく、私たちが歴史の多重化を収めることを、期待しているのだと思います」
常磐道は、船越川に顔を向けて答えた。
録画機器のセッティングを終えた陽人も、スツールを引っ張り有江の隣に座った。
「姉乃さんは、生きているのですよね。有江さんと同じように、冥界に三次元界を造る能力を持っているのでしょうか」
陽人が尋ねた。
有江は、ダンテの「神曲」をなぞり冥界を旅した際に、高次元界の冥界に「地獄」という三次元界を構築している。ベアトリーチェの生まれ変わりである栃辺有江は、冥界でも存在できる能力を持っていた。
「おそらく、有江さんが造った世界にいるのだと思います」
常磐道が、答える。
「わたしが造った世界が残っているのですか」
有江は、タブレットをテーブルに置いた。
「そうだと思われます。冥界に置いてきた量子通信機からのシグナルを現在も受信できています。三次元の物体が存在し得る証拠です」
常磐道の言葉に嘘はない。
船越川は、冥界からのシグナルを受信し、管理している。
西藤隆史からのメッセージだ。
西藤とは同僚であったが、事故で亡くなり冥界に旅立った。
冥界の「地獄」で姿を現した西藤は、ダンテと有江が現世に戻った今も、メッセージを送ってきている。内容は愚痴ばかりだが、有江が構築した「地獄」が存在し続けている証拠でもあった。




