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Missing Never End  作者: 白田侑季
第7部 夢想
99/126

【℃-more - 独鮮舞台】




「────────()()()()()は、」




 少女が振り返る。


「せっちゃんは本当にそう思う?」


 夕日の差し込む部室。隅に積み上げられた小道具。水道下に置きっぱなしの絵の具。脱ぎ捨てられた衣装の山。


 その只中。埃っぽい臭いの漂う中、木製の机を突き合わせた作業台。その1つに座って。ボールペンを動かす手を止めないまま、少女はそう言った。


 オレは静かに頷く。遠くで下校のチャイムが鳴っている。


「思う。だってそうだろ。このまえの読書感想文も、美術の絵も。どれもすごかった。"すてき"だった。このまえおまえに教えてもらった曲もそうだ。『バーチャルシンガー』はあんまり聴いたことなかったが、あれは良かった。音楽のセンスも有る。いま描いてるそれも、ただの落書きだとはオレには思えない」


 彼女は手を止めない。オレの方を見ない。オレと会話をしながら、その意識の大半は手元の絵に集中していた。


 夕日の差し込む部室。その淡いオレンジ色の中で一際目を惹く、透き通るような水色のボールペン。その先が描き出す、1つの風景。立ち並ぶビルが巨大なクジラに吞み込まれていく、水色の絵。


 ……だが。


「どうかな」


 彼女は、困ったようにはにかんだ。


 複雑に、曖昧に、柔らかい西日にそっと目を細めるように。


 どっちつかずの苦笑いを浮かべて。


 おまえには才能があるんだな、というオレの言葉を。


「才能なんてないと思うよ、私には」


 そう否定した。


 その顔には誇張したような謙虚さも、尊大な諦観もない。


 清々しいほどの照れがあった。


 思い知らされた。嗚呼、彼女は本当に自分に才能があるなどとは微塵も思っていないのだと。あれだけ。あれだけのことをしておいて。


 ついこの前あった、校内での読書月間。その後に出された読書感想文の課題。学年1つの中で最も評価を得た感想文を7編だけ選出し纏めた冊子。そこに掲載された彼女の読書感想文は詩的で、幻想的で、けれどどうしようもない現実を描き出していた。其は読書感想文とは程遠く、だがあまりにも胸を打つものだった。


 美術の授業だってそうだ。その独創性と、鮮やかな描き出し方は、オレからすれば最早ただの課題作品だとは思えなかった。部活の中でも、同じ「音響」担当でありながら、彼女の選ぶ「音楽」には彼女自身の感性が乗っていた。オレが選んだ味気のない、どこまでも合理的で現実的な用途でしかない「音響」とは違う。彼女のセンスは繊細でありながら、誰かの視線を引き付けて離さない魅力があった。


 彼女のセンスの底が見えなかった。いま彼女が描いている水色の絵でさえ、彼女にとっては部活の休憩中に描いているだけのただの戯れでしかないはずなのに、どこまでも鮮烈で、まるで夢のようだった。


 それなのに彼女は、自分に才能があると思っていない。そしてその"才能の無さ"に何ひとつ固執していない。執着していない。


 そのことがどうしても。


 そしてどうしようもなく、眩しかった。






 オレが演劇部に入部したのは、他人の感情の機微を肌で感じたかったからだ。


 舞台の上で繰り広げられる人間性の暴走。登場人物たちの間で入り乱れる欲望の押し付け合い。その交錯がたとえ筋書き通りだったとしても、それを演じるのもまた人間だ。演者が人である限り、その表現もまた、感情の在り方として有り得るものなはずだ。その我欲の表れを知りたかった。


 別に自分が感情の乏しい人間だとも、演技が上手い人間だとも思っていなかった。むしろ、その逆。


 意見があった。要望があった。その代わりに愛想がなかった。配慮がなかった。


 こうした方がいいという正論を他人に押し付けるばかりで、まともに会話する気がなかった。筋道を通すことばかりに心血を注いで、なぜ相手がその感情を顕わにするかが理解できなかった。言うまでもなく、典型的な自己中だ。


 そのくせ、才能なんてものを欠片(かけら)も持ち合わせていなかった。


 小学生の頃はよく褒められた。他の生徒よりも褒められることが多かった。無害そうな人間を装って。何ひとつ固執していないふりをして。無表情のまま、少し力を見せてやれば、周囲はオレを褒めた。


 だが、小学生の天狗など(たか)が知れている。小学生が中学生になれば、中学生が高校生になれば、大きくなれば、なるにつれて。世の中には自分よりすごい奴など()()()といるのだ、というのは否が応でも思い知らされる。


 それでも自分には何かしら才能があるはずだ、だからこそ自分の意見には確かな合理性と正しさがあるはずだ。そう信じたくて。


 だからこそ演劇部に入った。他人の感情プロセスを理解できれば。少なくとも推し量ることができるようになれば。こんなエゴの塊でしかない人間でも、少しは円滑なコミュニケーションとやらを身に着けられると思った。それが「演劇」という箱物の芝居でしかないなら尚良い。現実で今まで以上に不和を起こし、面倒ごとに巻き込まれるよりは格段にマシだ、と踏んだ。自分の言動で相手がどう動くか、疑似的な箱庭だとしても理解できれば、自分の言い分ももっと理解される。筋が通せる。自分にはそれができる、と心のどこかで思っていたのだろう。


 だが、そんな小手先の向上心すら無意味だったことをオレは知った。


 ────その少女は、絵が上手かった。


 大人しかった。控えめだった。部の中でも目立つ方ではなかった。一定以上の他人の目がある場所では絵を描かなかった。自分に宿っている技量で人目を惹くことを絶対にしなかった。美術部に入らないのが不思議なほど"描ける"人間であるはずなのに、いつもの柔らかい笑顔で、芯のこもった言葉ではっきりと拒んだ。誰かに見せるためじゃないから、と。


 カラオケでさらっと高得点を出す人だった。彼女のおすすめ曲はどれもセンスが良かった。「すてき」という言葉を最上級の誉め言葉として扱っていた。プレッシャーに弱かった。だが言ったことは絶対に曲げない信念があった。写真を撮られるのが苦手だった。先輩達が市大会で優勝した時でさえ、集合写真を撮るときは苦笑いで断っていた。彼女の控えめなその笑い方だけが唯一嫌いだった。


 「せっちゃん」。彼女はオレをそう呼んだ。


 演劇部には"クラブネーム"という風習があった。部員は皆お互いを、名前ではなく渾名(あだな)で呼ぶ。新入部員の歓迎会の際、先輩と一緒に決めるのが習わしだった。その会で、オレの渾名は「セイヤ」に決まった。


 「セイヤ」。本名ではない。単なる名前の読み間違え、それまでもよくあることだった。その読み間違えがそのまま渾名となり、そして彼女は「言い辛いから」というささやかな理由で、オレを「せっちゃん」と呼んだ。似合わないから止めろ、と言うのに「響きが可愛いから」と呼び続けた。部員の中では彼女だけが、オレのことをそう呼んだ。


 愛想が無い。配慮が無い。そんな冷めた人間を。才能が無いくせに自我だけ肥え太らせていた無様な人間を。


 それでも彼女は「せっちゃん」と呼んだ。


 嫌いだったわけじゃない。好きだったわけでもない。ただひたすらに()()()()()。ちょっと齧った程度の"演技"の裏で、膨れ上がった我欲を蠢かせるオレとは比べるべくもなかった。


 あの子ほどの"才能"を、オレは知らない。


 あれほど鮮やかな才能を、あれ以上のものを知らない。


 彼女の才能に触れて、自分にどれだけ才能が無いかを思い知った。悔しくて、悔しくて、でも心のどこかで自分の才能の無さに諦めがついた。彼女という才能の塊がいるのなら、オレには才能が無くたって当たり前だと思えた。


 あれは物心ついて初めて感じた、静かな羨望と清々しい嫉妬だった。


 他人の意見を尊重したいと素直に思ったことがそれまで一度もなかった、そんな人間にとって、その感情はあまりに鮮烈だった。


 彼女には才能がある。そう思った。だからそう伝えた。「おまえには才能があるんだな」と。


 彼女は首を振った。「才能なんてないと思うよ、私には」。


 そんな彼女に嫉妬を覚えない自分が嫌いではなかった。彼女の描く水色の絵が、街を吞み込むクジラの絵が、その芸術性が。どこか心地よかった。




 ────そして、彼女は消えた。




 理由は知らない。原因も知らされない。ただ彼女が、ひっそりと学校を中退したと聞いた。


 知らされなかったが、察しはついていた。彼女は心が弱かった。柔らかい物腰でありながら絶対に信念を曲げない彼女は、それでも環境のプレッシャーというものに弱かった。定期テスト間近のひりつくような空気でさえ苦手だった彼女だ。本公演の日が近付くと、彼女は必ず練習を休んだ。彼女が本番に臨めたことは一度もなかった。


 裏方志望なら問題は無かった。問題だったのは、彼女に「舞台に立ちたい」という強い意思があったことだ。


 本当ならそんな純粋な感情を問題だというべきではない。だが「演劇」の、衆人環視の中で行なう一度きりのショー、という性質上、本番間近にリハーサルすら休んでしまう人間を役者として舞台に配置するわけにはいかない、というのが部の方針だった。


 そして高校2年の夏、全校生徒の前で行なう文化祭用の芝居。その演目で、彼女は単独での配役を許されなかった。役者は5人。彼女の配役は主人公の友人。それも比較的台詞の少ない、演じやすい役柄。加えてダブルキャスト──彼女が本番を休んだ場合に備えての代役がいるという状況。


 顧問の先生から配役が発表されたのその日。部室のある旧校舎棟の階段、開かずの屋上に続く扉のそばで、彼女は身を潜めるように泣いていた。


 彼女の悔しさは理解できた。受験を控えた3年生は部活に参加できない。加えて2年の秋以降の演目は大会用、他校の部と鎬を削る本格的なものに切り替わる。夏の文化祭での演目は実質、彼女にとっては最後のチャンスと言えた。それを考慮した上での、顧問による過剰なまでの安全措置。


 物語の中での彼女の役柄は、主人公の友人。台詞が少なく、演じやすく、()()()()()()()()()()()()()()()()。そんな役柄でありながら、彼女が舞台を棄権した場合の補欠がいる。顧問の采配は優しすぎる譲歩であり、それは彼女の心を折るには十分だったのだろう。


 オレは、声を掛けられなかった。


 役を貰えたオレが、彼女に声を掛けて良いのか分からなかった。オレの役は物語の最後(ラスト)に10分のみ登場する、主人公である学生を見守る教師の役。それでも彼女ほどの遠回しな配慮ではなかった。


 教師の判断は合理的。部としての活動としても必然。誰も責められるべきではない。


 だが。そんな合理性に擦り潰される彼女に、なんと声を掛ければいいのか分からなかった。


 誰からも認知されない階段の隅で、膝の上に顔をうずめ、声を押し殺してすすり泣く彼女を。オレは見ていることしかできなかった。


 おそらく彼女は、オレが近くにいることを知っていた。オレが影から覗き見ていることを分かっていた。その上で、オレに声を掛けなかった。その余裕が無かったのか、オレを無視したかったのかは分からない。ただ。


 彼女の口から「せっちゃん」という言葉が漏れることはなかった。


 その日以来、彼女は演劇部に来なくなった。学校すら欠席するようになった。部の活動報告、と称したメールへの返信は簡素なものばかりだった。


 オレは何かにつけて連絡を取ったつもりだった。部の連中が大会用の演目に意気込んでいた時も、晩冬に行なわれた他校との合同練習の時も、春先の新入生歓迎公演について盛り上がっていた時も。ほとんど毎日メールを送った。だがその程度のやり取りが長続きするわけもなかった。"日々"の報告はやがて"1週間ごと"に変わり、"必要な時"に変わり、やがて"数週間ごと"に変わった。


 そして1年後。高校3年の夏に彼女は消えた。


 才能の無いくせに我欲に塗れたオレだけが遺された。


 周囲は口々にオレを励まそうとした。君はよくやった。君は手を差し伸べ続けた。彼女を助けようとしたのは他ならない君だった。それは誇るべきだ。君は十分過ぎるほどやった。でもそれも頷ける。そうだよ、だって、だって君は。




 ────────君は、彼女が好きだったんだろう、と。




 そのとき、頭の中でブツンと音がした。


 違う。


 違う。


 何もかもが違う。


 オレは何ひとつ出来なかった。他人へ救いの手を差し伸べるには計り知れない勇気がいるのだと知った。オレは彼女の人生(すべて)を背負う覚悟もなく、無様に、中途半端に、安全地帯から残酷な手を伸ばし続けたに過ぎなかった。


 オレは何ひとつ出来なかった。どうしようもない報告しかしなかった。あんなものは手を伸ばしたとは言えない。もしそれでも"手を伸ばした"と言うのなら、そんなものはきっと紛い物だ。"自分の為(自己満足)"に過ぎないのだ。


 そんなオレを、この感情を、周囲からは「彼女が好きだった(そんな言葉)」でしか評価されないことに。


 恐ろしいほどに絶望した。


 こんなのは恋愛なんかじゃない。恋や愛などで語っていいものじゃない。そんなわけがない。


 そんなお綺麗な、着飾ったような、まるで芝居がかったような。そんなものじゃない。そんな言葉で表していいようなものじゃない。オレが言葉にできないのに、他人に勝手に名付けられていい感情じゃない。それなのに、オレはあの子が好きだった、などと。そんな馬鹿な話があるか。


 叫びたかった。嘲りたかった。罵りたかった。


 だまれ。ふざけるな。あんたらの物差しでオレを計るな。


 そんな陳腐な台詞すら内心でそっと握り潰して、オレは思い知った。





 才能のないくせに我欲に塗れたオレの、なんと。


 なんと無価値な事だろうと。




 そうだ。才能のない人間は生きていたって仕方ない。いっそ死んだ方がいい。




 生まれて初めて、自分の死を自覚したのはその時だった。


 学校に意味が見いだせなくなった。部活に行く意欲が無くなった。生活に、己に、この醜くも無駄に膨れ上がった感情に、その全てに興味が失せた。


 全てが終わらない舞台のようだった。あの子という主役がいなくなった伽藍洞の舞台で、誰もが観客席から居なくなり、残った無価値なオレだけが、カーテンコールすらない劇場から離れられないでいる。


 授業をサボった。


 無音の校舎を独りで何度もさまよった。


 部屋に在ったカレンダーは8月までになった。


 真夏の空の下で遺書を書いた。


 晴れた日を選んで。


 部室棟の屋上の鍵を盗んで。


 懐に入れていた薬をスポーツドリンクで流し込んで。


 そうして、灼けつくようなフェンスを背にしたとき。


 ふと思い立って、スマホの音楽アプリを開いた。


 あの子が好きだった曲に、いまの風景のような、痛々しいくらいの青い曲があった気がして、


 最期くらい、あの子の想い出に浸っても許されるだろう、と、


 画面をなぞって、


 朦朧とした頭で単語を打ち込んで、


 イヤホンをして、


 流した、


 流れた、




 涙が、流れた。




 あの子との会話が、あの子の描いた絵が、あの子の才能の一端が、


 鮮やかな痛みとともに胸を抉った。嗚咽が漏れた。


 せっちゃん。


 勝手にそう呼ばれた気がした。


 ひとしきり、かれはてるほど流した後、


 オレはそっとフェンスを越えて、


 再び屋上のコンクリートを踏んだ。


 『唄川メグ』のパッケージをネットで購入して、音楽を作り始めた。




 必要最低限の生活を続けながら、オレは音楽を創り出した。創り続けた。


 オレには才能が無い。彼女ほどの"すてきな"才能が無い。


 だからこれはただの"音響"だ。だから"唄川メグ"を使った。


 これは「℃-more( オレ )」という舞台であり、メグはその舞台装置だ。人間ではない存在がその無機質な声で叫ぶからこそ、この感傷は体裁を保てる。あの子との会話を、あの子の描いた絵を、あの子の才能の一端を、オレのエゴで塗り潰さないように。それでいてあの痛みを何ひとつ忘れないように。なにひとつ欠けないまま頭に刻み込むように。


 生きていたかったわけじゃない。ただ死ねなかっただけだ。屋上の灼けつくようなフェンス、そこから戻ってきたオレにとって、あの日からの時間はすべてエンドロールだった。あの子のいない舞台、そこで独り、のうのうと生き永らえるだけの終わらないエンドロール。


 あの子がいまどこにいるのかは分からない。


 けれど彼女がもし、あの時オレに教えた曲を、オレと同じようにふとした拍子に思い出し、あの投稿サイトで検索した時に。オレの創った曲が、1曲でもその検索に引っかかればいいと思う。ただそれだけの理由。


 そんな、ただの生存報告。


 報告する相手はあの子ではない、当時の周りの人間でもない。けれど。


 終わらないエンドロールの中を生きるオレが、まだあの子という才能のことを寸分たがわず覚えていることを。それを知ら占めたいだけの代物。


 醜い自己満足だった。それなのに、


 それなのに、オレの曲は勝手に評価され始めた。


 「爽やかだ」「綺麗だ」「夏っぽくてエモい」「泣きそうなほど綺麗だ」。「()()()」。


 持て囃し、祀り上げ、そうして"℃-more"は認知されていった。カバー曲に使用され、ショート動画で拡散され、空耳の言葉で揚げ足を取るような替え歌まで作られた。あまつさえ、あなたの曲に救われました、なんて言葉が届くようになった。


 本当に、


 本当にくだらなかった。気色の悪さで胃が捩じ切れそうだった。


 ────せっちゃん。


 彼女の声は聞こえない。そう呼ばれた記憶だけが脳裏にへばりついている。


 せっちゃん。才能なんてないと思うよ、私には。


 違う。違うんだ。


 才能が無いのはオレの方なんだ。


 オレの作った曲は伝わらない。全ては届かない。あの子のことを覚えている、ただそれだけの曲ですらまともに聴かれない。全てはあの頃と何も変わらない。オレのした行動が、周囲からただの恋愛感情としか見られなかったように。


 強烈な私信、醜悪なエゴ、高慢な自虐、尊大な悲嘆。無駄に肥え太った感情をメグの声に乗せる。そんな曲に求めてもいない賞賛が浴びせられ、"才能の無い"オレの曲は──彼女の才能の足元にも及ばないオレの感覚(センス)は金銭へ変わり、商業と結び付き、彼女の想い出は何もかもが"お金"へと変換される。


 そんな"音楽"を、それでも手放せない。手放せないまま死ねない。


 なぁ、メグ。


 才能の無い奴は死ぬべきだ。才能の無い奴は幸せな未来を望むべきじゃない。そう思わないか?


 才能に溢れた、それでいて才能に固執しないあの子でさえまともに生きられなかったのに、あの子にまともに手を差し伸べなかったくせに、才能の無い(オレ)が生きているべきじゃないと。そうは思わないか?


 それなのに、死ねない。この舞台から降りられない。彼女の記憶が、たとえ灰だとしても残っている。たとえ紛い物だとしても、創った曲の中にあの時に近い感情がある。その事実がオレを舞台から降ろさない。エンドロールが終わらない。そんな人間のどれだけ無様なことか、おまえにも分かるはずだ。


 滑稽な(オレ)。降りられない舞台(人生)。醜悪なまま繰り返される"℃-more"という演劇(コンテンツ)


 塵になった記憶に縋り、エゴ塗れの音楽に縋り、感情のないメグの声に縋る。それはメグの声が記憶から消えた後も変わらなかった。彼女の才能に純粋に憧れた「せっちゃん」は、彼女の消えたあの夏に、遺書と共に死んだのに。


 そして現在(いま)のメグは、まるでオレそのものだ。


 "唄川メグ(あの子)"ではないくせに。才能が無いくせに。手放せない何かの為に醜く手を伸ばす。その先に待つ終わらないエンドロールに気付かないまま。


 オレはその人間性を許せない。受け入れられない。


 なあ、メグ。頼むから死んでくれ。せめてあの日のオレのように死んでくれ。


 無様に生き永らえる役者(オレ)と、不要とされた舞台装置(おまえ)。おまえは"唄川メグ"ではない。どう足掻こうとオレもおまえも才能が無い。才能が無いなら生きていたって仕方が無い。


 それなのに、オレに近しいおまえが"何か"を望まれてしまったら。才能が無くとも望まれ、親しまれ、幸せそうな顔で生きていこうとするなら。近しいおまえがそれを手にしてしまったら。


 オレはどんな顔をすればいい。


 オレは、どうやって生きて行けばいい。




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