マキシマム遥 - てと
「────わりゃ、たいがいにせぇよ」
言葉が口を突いて出た。
自分が崩れていく。頭のてっぺんからつま先まで、その全部が千々の花びらに変わっていく。そのままオレは花びらとなって、K汰の兄貴とトリの間に飛び込んだ。
荒れ狂うほどの勢いでトリの四方を囲む。相手の視界に花びらで壁を作る。
その間に、兄貴の方を振り返った。
「大丈夫か兄貴ッ!?」
「……、その、呼び方、やめろっての……」
呆れたように言う兄貴。けど、その言い方に反して怪我は深刻そうだった。
金属棒が頭に直撃したせいで額は真っ赤に濡れている。胃のあたりを抑えているし、異能の代償も相当な反動が来ているはずだ。脂汗が止まらない。呼吸が今にも途切れそうだ。
「……にしても、あんた。すげえ現れ方、だな。生首て……」
「いま気になるん、ソコじゃないじゃろ!?」
兄貴の思わぬ言葉に一瞬方言が戻る。いや、確かに自分でもあんまりカッコよく無いな、とは思うが……。
でも仕方ない。いま身体の大半はトリの足止めとして花びらの壁に徹している。こうして頭部(しかも半分)の顕現に割く余裕も正直あまり無い。
「それより兄貴。アイツ」
「ああ」と兄貴も苦しそうに顔を上げる。「あの異能……、想像以上に厄介、だ」
そう。兄貴の言う通り、本当に想像以上だ。
兄貴たちの立てた計画のキモ。それはトリの異能の要である「視覚」を妨害し続けることだった。
あの異能(まだ元になった曲は特定できてないが)は十中八九【視界に収めた情報を元にした未来予測】のはずだ。元五重奏のイツキちゃんから得た情報も参考にしたからまず間違いない。
未来予知ではなく、未来予測。そこがトリを崩すポイントだ、と兄貴は言った。「あの男の振る舞いは、一見すると未来を予知しているかのように思えるが、それにしては理解できない行動がいくつかある」と。
①もし視えた未来が絶対的で変えられないものであれば、トリ本人でさえ変えられないはず。トリに都合が良い未来のみがそう簡単に訪れるとは考えにくい
②自分に都合の良い未来を選び取る異能なのであれば、最初に駅近くの路地裏で襲撃された時、オレが咄嗟に展開した花びらの壁も妨害にはならないはず。あの後追跡してこなかったのはおかしい
だからこそ、トリの異能は厳密な「未来予知」ではなく。あくまで「未来予測」ではないか。「予測」のカラクリについてはまだ不明で、それこそイツキちゃんも知らなかったけど。少なくともアレが「予測」なら、予測から行動に移すまでに何らかの隙があるはずなんだ。
あの異能が「視覚」に頼ったものなら、尚更オレの異能が役立つ。視界の悪い夜に、障害物の多い場所に先回りして追い込めれば、あの未来予測を封じられる、
────はずだったのに。
思わず歯噛みする。なんでだ、なんでこんなに予測されるんだ!
こうしている今も、トリは舞い散る花びらの壁を突破しようと試みている。押さえ込むために、時々拳や脚だけ出してなんとか迎撃している。けど、全部防がれる。
思いきり壁の範囲を狭める。足元、後頭部、脇腹。死角から蹴りを飛ばす。拳を振るう。ほぼゼロ距離からの攻撃。予測なんてできるわけがない。
それなのに、全部防がれる。ガードされる。反応速度が比じゃない。次の瞬間には攻撃位置を見られている、察知されて防がれる。予測の隙すらない。
実体がない背中に冷や汗が流れる。鳥肌が止まらない。気を抜こうものなら、繰り出した拳や脚すら捻りあげられそうになる。こっちもギリギリで実体を解いて難を逃れているけど、
「……ぉわッ!?」
一瞬、熱が走った。
反射的に飛び退る。慌てて解いた花の壁がパッと霧散する。ゆっくりと元の身体に戻す、その右の手の甲に感じる熱。
トリを見返す。トリの手に握られている物を見て嫌な汗が流れる。
アイツ、ライターを──
「……悪ぃ、兄貴」
異能を解除してしまったオレを、兄貴は優しく鼻で笑った。「気に、すんな……。ありゃあ、無理だ」
兄貴の途切れがちな呼吸。苦しさを押し込むような笑い。暗いアスファルトに垂れて落ちる、重たげな赤色に、焦りが募っていく。
オレが飛び出す直前。トリが投げ上げた金属棒は、1ミリもずれることなく兄貴の頭に落下した。更には兄貴の攻撃すら避け切った。──背中を向けたまま、だ。あの時から不安と焦りが拭えない。
どうしてだ? あの男の"予測"に視覚は関係ないのか? 前提が間違ってんのか? マズい、このままじゃ逃げられる。でも兄貴はもう限界だ。トリの言う通り、攻撃向きじゃないオレの異能だけじゃあの男の"予測"を上回れない。まだ、もう一手─────それに。
隣の兄貴の顔を横目で見る。そんな状況じゃないことは分かってるが、さっきのトリと兄貴の会話が頭から離れない。
〈だから音楽を辞めたんだろう?〉
トリの言葉。それを否定しなかった兄貴。
「K汰」が音楽を辞めてた、って。気になってはいたけど、やっぱ……
そのとき、トリが溜め息を吐いた。淡々とした口調で、冷めた目で、オレをじっと見ている。
「【自身を花弁に変換する異能】、か。実に脆弱だ」
「……ハッ、確かに脆いナ。でもアンタの妨害にはもってこいだゼ?」
それに、とトリを見返す。奥歯が軋んでいく。「黙って聞いてれば、けっこう好き勝手言うじゃん、アンタ。……オレ様、ちょい頭に来たゼ」
「おまえの感情には興味がない」トリは意に介さない。冷めた目だけがオレに向いている。「あるのは事実だ。アレに才能は無いし、おまえ達が何をしようと、」
「確かに事実なんだろう。トリ──いや『℃-more』、アンタの言うことは間違ってないんだろう。……でもの、アンタはわしの一番嫌いな、一番否定せんといけん奴じゃ」
「御託は良い。おまえ達の結果は変わらん」
「やってみんと分からんじゃろ」
「……、本気で言っているのなら羨ましい限りだ」
平行線の中、ドモルが再び溜め息を吐く。
「面倒な探り合いは省くとしよう。おまえ達の意図は予測するまでもない、実に単純だ。オレ達の居所を掴めたのも、あいつが投稿した画像を元にスタジオを割り出したのだろうが、それはオレ達も予測済みだ。マキシマム遥、おまえがK汰達と共謀してオレ達を妨害するために現れることも想定済み。こうして"花弁を燃やす物"を準備したのもその為だ」
ドモルが見せつけるように、その手のライターをひらひらと振る。
「おまえ達はオレ達の予測通りに行動したに過ぎない」
「……それは承知の上じゃ。そんなもん、」
「そうか。では、いま近くにクインとその弟が待機している。そう予測してオレ達は動いているが……、反論はあるか?」
「……ッ!!」
息を呑んだ。それから顔に出てしまった自分が悔しくて、思わず歯噛みする。兄貴も隣でドモルを凝視している。
ドモルの予測は正しい。リズとノアちゃん、兄貴とオレで、それぞれ五重奏の2人の注意を引き付ける。その間に隠密行動していたミヤトっちが"羊"の人形を使ってドモルを視覚外から奇襲、拘束する。イツキちゃんは後続の緊急治療担当として待機。それがメインの作戦だった。
カル──荊アキラの方はともかく、ドモルに関しては"未来予測"できるだけで攻撃性は薄い。ドモルの"予測"を封じ、後は全員で荊アキラに当たれば優位に立てる。ドモルの言う通り、ミヤトっちとイツキちゃんは今も近くの裏路地か、野次馬のどこかに身を隠しているはずだ。
だが、そこまでドモルは見越していたってのか?
「……ふん。図星か」ドモルの冷めた声が薄闇に響き渡る。「K汰が負傷しているにもかかわらず早々に撤退しない時点で見え透いている。そして予測できるなら、あとは心構えをしておくだけで良い。そこのK汰とは違い、オレの異能には客観的な代償は無い。おまえ達の行動などいつでも読める」
そう言って、ドモルはゆっくりと右手を構える。親指と中指を擦り合わせ、指を弾く準備をする。
「……読めるモンなら読んでみぃ」声を絞り出す。何とか食らい付こうとする。「このわしの超カッコいい異能で、わしらの未来を彩っちゃる。あんたには見えんじゃろうがの」
だがドモルには通じない。まるでオレの心の奥底まで見通すような、冷静で容赦のない視線。
「つくづく度し難い。おまえの異能が戦闘向きでないことは、おまえ自身がよく分かっていると思っていたのだが。満身創痍のK汰。脆弱な異能しか持たないおまえ。隠れたままのクイン達。残る2人もカルの餌食だ。だが、オレ達は極論"撤退"するだけで良い。その選択肢がこちらにある時点で、おまえ達には万に一つも"勝ち"は無い……。にもかかわらず、そんな愚にもつかん理想を掲げるなどもはや滑稽だ」
淡々と告げるドモル。突き付けられる事実。
「おまえもアレと同じ、才能の無い人間でしかない」
そしてその言葉を否定しきれない自分。
ドモルの異能がただの"未来予測"じゃない可能性が出て来た以上、当初の作戦は通用しないかもしれない。兄貴も重傷だ、これ以上異能を使えばイツキちゃんでも取り返しがつかないかもしれない。リズとノアちゃんも、おそらく荊アキラを押さえるのに手一杯のはず。
そしていま。ここにはオレしかいない。自分を花びらに変える、ただそれだけの異能しかないオレ。
──それでも。
「────どうじゃろうの」
「……何?」
訝しげなドモル。その問いには答えず、オレは言葉を続けた。
「オレ様に才能がないって言ってんなら、アンタも大したことないじゃん? それともアレか、アンタみたいな才能のある奴には全員凡人に見えるってか? ……悪いが、他人様に"死んだ方がええ"なんぞ言う輩がそんなご大層な人間じゃとは、わしには思えんのじゃけど」
ドモルの冷めた目に、軽やかな笑いを返す。あの子の、メグの顔を思い出しながら。
「あんた、この前も同じようなこと言いよったがの。わしに言わせりゃ、生きて行くのに"才能"なんぞ要らん。才能が有ったらあったで、そりゃええことじゃろう。じゃが、そりゃ"アクセサリー"みたいなモンじゃ。人生を彩るだけのモンなんじゃ。それが無いと生きられんとか、生きる資格がないとか、そんなわけが無いし、そんなん他人が決められるモンでも無い」
オレは知っている。メグには絶対に才能が有る。
アサヒの姐さん家に通うようになって、実は練習するメグの歌声をこっそり聴いたことがある。あれは間違いない、一度でも音楽に関わったことがある人間なら、彼女の歌声を聴けば彼女の天賦の才に気付けるはずだ。確かに最初は慣れていなかったかもしれないが、あの時聴いた彼女の歌声はプロと呼んでも遜色のないレベルだった。メグの才能は疑いようもない。
でも。それと同時にオレは知っている。いや、正しくは直感している。
メグは、たとえ才能なんて無くても、自分のしたいことを真っ直ぐに見つけられる、と。
そうして前を向ける存在だ、と。
だからこそ、オレは。
「才能なんか無うてもわしは幸せに生きとる。メグに出会うて、音楽やって、そうやって前へ進めとる。ほんまに必要なんは、」
「違う」
固い声が飛んだ。
一瞬誰の声か分からなかった。でもオレじゃない。兄貴でもない。隠れているイツキちゃん達でもない。
「……違う」
ドモルだ。固い声で、そうドモルは言った。
「才能が無い人間が幸せに生きられる筈がない。なぜなら、才能のある人間でさえまともに生きられないからだ。おまえのそれはただの自己満足に過ぎない」
変わらない声音。冷めた視線。
けれどその顔は夜闇に浮かぶほど、能面のように真っ白で。
「くだらん。実にくだらん。虫唾が走る。そんな根拠のない自信で生きて行けるなどと、本気で思っているのなら、」
鈍く光るライターを握り潰さんばかりに掴んだ、その左手をオレに向けながら、ドモルが指先を構える。
「────ハッ」
そのとき、笑い声がした。
兄貴だ。痛みを抑えるようにうずくまっていた兄貴が、ゆらりと立ち上がりながら鼻で笑っていた。オレとドモルの視線に気付いた後も、ボロボロの掠れた声で薄く低く笑っている。
「ああ悪い。ドモル、っつったな。あんたの"腐った理論"ってやつが、やっと少しは分かった、と、思ってよ。ほんと、くだらねえな」
「……K汰」と睨むドモルに。
「ンな顔すんなって」と歯を剥き出して笑い返す兄貴。「これから教えてやるよ、あんたの"変わらない未来"ってやつを、な」
そう言って、兄貴は口元に滲んだ血を拭う。
「あ、兄貴……」
「心配すんな。俺らがすることは変わらねえ。あいつ曰く、"未来は変えられねえ"らしいからな? 俺らはやるべきことをやれば良い」
次の瞬間、兄貴はニヤッと笑い、ふいに声を大きくした。
まるで、オレやドモルじゃない、誰か別の第三者に声を掛けるように──
「────そうだろ、お前?」
「────そうだね、圭」




