℃-more - 命日とアベリア
鈍い音。
崩れ落ちる音。金属の音。そして、何かがアスファルトに滴り落ちる音。
「結果は変わらない」
オレは告げる。「おまえは自分の行動で何が起こるかを理解していない。自分の選択で誰に、何が引き起こされるかを理解できていない。それは抽象的な例えではなく、厳然たる事実だ。どれだけ感情に支配されようと。どれだけ必死にしがみ付こうと、おまえのしていることには何ら意味がない」
金属棒が直撃した額を赤く濡らし、首筋に脂汗を滲ませ、土煙舞う中で膝を折る。そんなK汰に、淡々と事実を告げる。
「メグに才能はない。メグに未来はない。そんな分かり切ったことにしがみ付く意味が分からない」
「…………才、能。才能、って……なぁ」
か細い声でK汰が口を開く。絞り出すように、獣が唸るように。
「あんた、なんなんだ。才能の、ねえ奴、は。生きる価値ねえ、ってか……?」
オレはそっと溜め息を吐く。
「価値以前の問題だ。他人が無責任に『おまえには才能がある』などとおだてた所で、その先は泥沼でしかない。才能のない人間の人生は惨憺たるものだ。それはおまえもよく知っていると思うが」
ハッ、とK汰が笑う。意識を保とうと必死に目を開け、口角を吊り上げる。「んだよ……、俺の才能を、あんたが知ってんのか……? あんた、何様だ」
「ふむ、やはりか」
「ん、だと……?」
残された気力でオレを睨むK汰。その顔で確信する。
「少なくともおまえは、自分に才能がないことを自覚しているのだな。否定しないのがその証拠だ。だから音楽を辞めたんだろう?」
K汰の瞳に宿っていた光が、次第に鈍っていく。
それまであった怒りの表情は驚きに変わり、一瞬反抗するように歯を見せたが、それも一瞬だった。彼はそっと目を伏せただけだった。
K汰達は、オレ達五重奏のことを少なからず調べたのだろう。だが、それはこちらも同じだ。
むしろ「唄川メグ」に関する情報を収集・調査・共有し続けて来た五重奏が、『K汰』を調べないわけが無かった。
「唄川メグ」という存在が「虚数の歌姫」として発見され、注目され始めた約3ヵ月ほど前。
情報に乏しい中、聴衆が真っ先にアタリを付けたのはP達だった。「feat.唄川メグ」という表記からして、まず間違いなく「唄川メグ」とはバーチャルシンガー。そしてその情報を持ち合わせている可能性が一番高いのがPだ。聴衆はそう思い至ったのだろう。
そして、「feat.唄川メグ」の曲が全Pの中で最多だった者が。
────『K汰@起きてP』。
いや、"最多"どころではなかった。彼が投稿した楽曲には「メグ曲」しか無かった。
当時は依然、音源は視聴不可。サムネイルも閲覧不可だった。
にもかかわらず、彼の「メグ曲」の多さに。そしてそれら楽曲の投稿数が、優に50曲を超えていることに。誰もが驚愕した。うち数曲はミリオン再生を達成している物もあり、「虚数の歌姫」というコンテンツを求める集団において、『K汰』というPは無類の注目度を誇った。
だが、不可解な点も無かったわけではない。それが、終盤にかけての「K汰」の投稿頻度だった。
「K汰」の最後の投稿は3年以上前。また最終曲近辺は、投稿間隔が6,7ヵ月ほどと長期に空いている。それまで1ヵ月単位、早ければ2週間ごとの頻度で投稿していた様子を踏まえれば、「最終投稿が3年以上前」というスパンには大きな意味があるはずだった。
そしてその理由は数日前、全「メグ曲」が閲覧可能になったことで確信に変わった。端的にまとめるならば。
作風の変容。
再生数の低下。
中傷コメントの増加。
何のことはない。むしろオレ達Pにとっては──創作者にとってはよくある話だ。
だが『K汰』は音楽を辞めた。その理由については、いまの彼の表情が物語っている。
彼は、自分の"才能"に絶望したのだ。
「いまの世の中、才能のある人間は簡単に見つかる」
事実を告げる。K汰に、メグに、そして。
「"才能"はそこら中に溢れかえっている。それに比例するように、見つかれば見つかるほど、"才能のない人間"も相対的に浮き彫りになる。自分よりも才能のある人間など腐るほどいる。才能のない人間にできることは、そこで身の程を知り、いたずらに未来を望まないことだ」
電子海の隆盛。SNSの普及。自我と承認欲求。コンテンツの相互監視。
事実として、オレ達は他人の人生を容易に覗き見ることができるようになった。誰にどのような才能が有り、どのように成功を修め、どんな未来が約束されるか。
誰もが"才能"の力を知っている。その鮮烈な在り様と未来を知っている。オレ達はその"物語"をいとも容易く見つけ、鑑賞し、羨望するための電子海を得た。その中にいる限りオレ達は、才能ある者の"物語"をどうしようもなく見せつけられる。披露される。
才能のある者には舞台が約束されているのだ。過酷でありながら、それでも必死にもがき、生き、そして華やかな末路を辿るという未来が約束されている。それら煌びやかな"舞台"が人々を魅了する。
才能のない者に、そんな未来はない。
才能のない者に出来ることは、真っ先に未来を諦めること。自身の無能を自覚し、才能のある者に舞台を明け渡し、
そして、一切の舞台を夢見ないこと。
血の滲むような想いをして何かを成し遂げようとしても、才能のないまま舞台に上がったところで、その末路は"観客の道化"でしかない。自身や他人の才能を過信し、無理やりに表舞台へ引き摺り出すことは、"観客の道化"としてその存在を使い潰すことと同義だ。
才能のある者でさえ過酷な舞台を余儀なくされるのに、才能のない者が無様に未来を望んだところで、待っているのは惨憺たる娯楽消費でしかない。
「才能とは未来への担保だ。才能がある者には、たとえ過酷であろうと華やかな未来が保証されている。言い換えれば、『才能のない者に未来はない』。おまえのしようとしていることは、『唄川メグ』を電子海上で永遠に弄ばれる道化に仕立て上げることと何ら変わらない」
オレの顔を睨み上げるK汰。その瞳には、しかし強さはない。あるのは諦観だけ。味わったからこそ否定できない、未来への殺意。
……それはあの日、オレが見た。
「もう一度言う。メグに音楽の才能はない。アレが音楽を望めば望むほど、行きつく先はおまえと同じだ。────いっそ死んだ方がアレの為じゃないのか?」
「────わりゃ、たいがいにせぇよ」
次の瞬間、花吹雪が舞った。




