℃-more - 灰気球
ドゴッ
アスファルトが陥没する。
ゴキンッ
金属製のベンチが歪曲する。
ビシッ バキッ
街灯が割れる。木っ端と土煙で視界が覆われる。人間の腕ほどもある樹木の枝が容易く折れては落下する。
避けようと、躱そうと、ありとあらゆる方角から、見えない空気のうねりがこちら目掛けて襲い掛かって来る。夜の薄暗さ、ひっきりなしに何かが砕ける騒音、街灯が割れるごとに更に暗さを増す視界。この時間帯の緑地化エリアに人がいないことは、唯一幸いと言えるだろう。
そう考えている瞬間にも、視界の端でK汰が横一線に腕を薙ぐのが見えた。すぐさま指を鳴らし、背中が地面に着くほどまで体勢を低くする。揺らいだ空気が頬の数センチ上を掠め、そのまま後方の街路樹に激突した。飛び散る木っ端が煩わしい。
チッ、とK汰の舌打ちが聞こえる。「ちょこまか逃げてんじゃねえ、ぞッ──!」
続けざまに腕を振るK汰。しかし、その動きに交戦し始めた時のキレは見受けられない。オレを襲うはずだったろう十字型の揺らぎはあさっての方向へ吹っ飛び、コンクリート製の現代モニュメントが背後で砕け散った。
ちらり、と腕時計を見る。K汰の襲撃から、はや10分が経過しようとしている。そしてその間、オレは攻撃の回避に専念していた。
暗い環境。障害物の少ないエリア。オレとカルの行動を予測した上での奇襲。もとよりこちらに対して不利な状況だ。
何より、改めて目にした『K汰』というPの異能。
攻撃の発生が感知しにくい上に不可視。加えて、これまで五重奏として調査してきた異能の中では最上級の物質破壊系の異能。真っ当な全面衝突ではまず勝ち目はない。万全な視界でなく、障害物を利用した偽行動も通用しない今、奴の全行動を予測しきることは困難だ。前回同様に背後に回り、腕を捻り上げることも無理ではないが、現状ではそれなりにリスクが伴うだろう。
よって、こちらは回避に専念するしかない。──いや。
回避し続けていれば、奴は消耗するしかない。
「……ハッ、逃げるばっかで勝者気取りか?」
咬みつくような視線とともに、歯を剥き出しにして嘲るK汰。「自分から掛かってこねえくせに口だけ達者なんざ、あんたも大して、────ぐ、ふッ」
ふいに、K汰が苦しそうに顔を歪めた。自らの胃の辺りを掻き毟るように押さえ、爪を立てる。
「────!」
その隙を見逃さず、駆け出した。K汰の懐へ飛び込むように、一直線に。
「……っ、クソがッ!!」
勘付いたK汰が叫ぶ。K汰の周囲の空気が揺らいだ刹那、オレは慣れた動作で指を鳴らした。パチンッ、と夜闇を弾く音。続いて、こちらに飛んでくる揺らぎ数発を、身体を捻って回避。そのまま捻った体幹の軸をバネ代わりに、左脚を振った。
「ぁが……ッ、ぁ………!!」
オレの左脚をみぞおちに喰らったK汰が一層顔を歪める。間髪入れずに右手を地面に突き、反動を利用して左脚で2撃目を蹴り込む。声もなく崩れ落ちるK汰。
いや、何とか唇を噛んで正気を保っているようだが、その額に浮かぶ脂汗を見れば彼の体力が限界に近いことは一目瞭然だ。歯噛みするその口端からは薄っすらと血が滲んでいるのも、口元を切ったのではないだろう。やはり、Sから聞いていた通りか。
K汰の異能。その代償は【自己犠牲】。
此奴の異能は多用すればするほど内臓を傷付けていく、累積型の代償だ。
こちらから攻撃を仕掛けず、消耗を待った方が早いのだ。K汰は異能を過度に使用できない。今回のように乱発しようものなら、必ず先にガタが来る。驚異的な破壊力と引き換えに、使えば使うほど首が絞まっていく難儀な力。オレやカルのような既定型の代償とは違う。
度し難い。周囲を意のままに破壊する代わりに、身体の内側を少しずつ削られていくとは。つくづく「代償」とはよく言ったものだと思わされる。
「……さて」
溜め息とともに頭上を見上げた。夜空に影となって聳え立つビル。その屋上ではまだ甲高い音がいくつか飛び交っている。おおかた、K汰の他の仲間がカルとやり合っているのだろう。
ただ、屋上とこちら、両箇所で大きな音がしていたのだ。案の定、遠くから野次馬のざわめきが聞こえ始めていた。不安と好奇心の入り混じったざわめきは次第に増えていく。カルはともかく、そんな騒動の渦中に置かれて浮かれられるほど、オレはネジの緩い人間ではない。
潮時だ。
さっと周囲を見渡す。いまは緑地化エリアの開けた場所、その一番隅の辺りまで来ていた。その先はオレの背丈と同じ高さの垣根があり、その更に向こう側は見慣れた雑多なビル群だ。路地裏は狭く、人もおらず、物影は多い。あれなら誰にも見つかることなく群衆の裏側まで周り込めるだろう。その距離、約30m弱。
手近に落ちていた金属製の棒を拾い上げた。見た目よりそれなりに重量がある代物だ。K汰の異能を避けた際に、どこぞのベンチの一部でも折れたのだろう。折れた箇所は熔解したかのように酷く捻じ曲がり、遠くの街灯の明かりに照らされ、くすんだ鈍色を帯びている。
その金属棒を振り、反動を付けて思い切り投げあ「……余所見、してんじゃねえ」
次の瞬間、空気が唸った。
振り替える間もなく揺らぎが迫る。
いや、見ずとも分かる。──K汰だ。
彼の異能が、すぐ傍まで迫っているのが肌で分かる。
触れただけで一切破壊。最悪の場合、即死。
間違いなく広範囲。先程の状態からして、自壊覚悟の大博打。奴にとっての最期の切り札。
それを、オレが目を話した瞬間を見計らって、仕掛けて来た。
そこまでの力を、そこまでの覚悟を持って、K汰は。
────だが
「────言ったはずだ。結果は変わらない」
躱した。
避けた。一撃たりとも当たらなかった。
確かに地面は抉れた。樹木の幹は爆散した。モニュメントは石屑と化し、ベンチはまるで赤子の手遊びのように引き千切られた。だが。
広範囲に思えたその攻撃はやはり精彩を欠いていた。身体の軸を、手足や顔の位置を、数ミリずらすだけでいとも容易く躱せてしまえた。
全て避けられると思っていなかったのか、唖然とするK汰を振り返る。
「やはりおまえは、あまりに周りが見えていない」
そして、オレが数秒前に振り上げた金属棒が、
図ったようにK汰の頭上へ落下する。




