荊アキラ - アトーンメント
「……おや? おやおや?」
下方で鈍い炸裂音がした気がして、手すりから顔を出す。「ああ、やっぱり! 彼が来ているんだね!」
僕等がいるビルの隣、緑地化エリアは街灯が少ない。その少ない街灯も、生い茂った木々に遮られ、エリア全体は薄暗い夜の色に満たされている。その中で暴れ回る音があった。黒い人影2つ、片方がもう片方を追いかけ回している姿がかろうじて見て取れる。聞き覚えのある炸裂音が幾つもいくつも爆ぜる。
「あっはは! 鳥さんよく避けてるなぁ。K汰の異能、アレ当たったら確実に病院送りだろうに。さっすが我等の鳥さんだ」
「アラ」背後から声が飛ぶ。「アタクシを差し置いてよそ見カシラ?」
続く瞬間、甲高い声が空気を劈く。
鋭利な振動が空間を突き抜ける。モスキート音、なんて生易しい代物じゃない。咄嗟に髪を伸ばし、離れた給水塔まで回避していなかったら危なかっただろう。そう本能的に直感するほどの音の刃が、僕がさっきまでいた金属製の手すりに直撃した。
着地する僕をZIPANDAが笑う。「ンフフ、さっそく高みの見物だなんて。良いご身分だコト」
「まさか! 君等を無視するなん、──おっと!」
ZIPANDAへ答える間もなく、今度は跳躍したNovodyが僕めがけて頭上から降って来る。拳が頬を掠める。空振りした右腕が、今度は僕の服の裾を掴もうと伸びてくる。躱しつつ、伸ばした髪を彼女の右腕に絡め、思いっきり上空へ振った。
「わわっ……!」
急に上空に放り出され動揺するNovody。そんな彼女を追い掛けるように首元へ髪を巻き付け、力を込めて絞め上げる。けど。
「……おや、やっぱりダメか」
どれだけ力を込めても絞まらない。まるで固いコンクリートでも相手にしているかのように、その柔らかそうな首はビクともしない。
そうこうしているうちにNovodyも放物線を描いて、ZIPANDAの横に着地した。
「君、Novodyだっけ? 知ってはいたけど、君の異能もなかなかに強力だ。けっこう力は入れたつもりだったんだけど?」
「ンフフ」代わりにZIPANDAが含み笑いを浮かべる。「可憐な女のコ相手に窒息だナンテ、バッドシャイニィーよォ。お里が知れるわネ」
「あはは! その言葉、そっくりそのままお返しするよ。こんな華奢な僕に対して、異能持ち2人で寄ってたかって私刑している君等が言うのかい?」
んー、とNovodyが小首を傾げる。「でも君も凄いよね! 綺麗な髪の毛が、本当に君の一部みたい。わたしの首に真っ直ぐ伸ばせたのもびっくりしちゃった」
その隣でZIPANDAも神妙な顔で頷いている。
「えぇ、ホントにそう。……アタクシ達が想定していたよりも異能の扱いに長けている」
「ありがとう、褒めてもらえて嬉しいよ! まぁ僕の異能は君等みたいに、物を壊したり傷付けたりするようなものじゃないからね。自主練ならいくらでも出来たのさ」
僕の異能【ウォモ ウィトル ウィアーノ】は端的に言えば【変身の異能】。思うまま、好きに"僕"を変えられる。顔、髪、体形、筋肉、肌質、爪先。その全てを自在に変化させられる。全くの別人に変身も出来るし、何よりそれら身体のパーツを一番綺麗な状態に保てる。
自分の異能を自覚したその日、僕は1日中家に閉じこもった。だって、思ったから。
────なんてステキな異能なんだ、って。
あらゆる形に変えた。あらゆる姿を試せた。顔も、髪も、身体のラインも瞳の色も自由自在。
あの国民的俳優。
あの大物政治家。
あの大人気アニメキャラ。
あの有名スポーツ選手。
性別すら超越して。煌びやかな青年から艶やかな淑女まで。そして誰からも愛されるような容姿にまでなれた。
似せれば似せるほど理解できた。その人間の身体にどんな能力が備わっているのか。筋力はどれだけあって、どんなポーズが他人を魅了できるか。その人間の声で喋って、その人間の仕草で行動し、その人間の身体の秘密を握り、その人間の本質を掌握できた。
知れば知るほど、変身すればするほど、僕は"その人間"を理解できた。
"その人間"を、僕のものにできた。
自室に置いた姿見の前で1日中"変身"に耽った。思いつく限りの容姿を全て試した。コツを掴むには十分過ぎるほどの時間だった。今ではちょっと意識するだけで、ほぼタイムラグ無しにあらゆる身体のパーツを変化させられる。思ったように髪を伸ばすなんて瞬きする間にできる。
「そうだ。君等はどんな姿が好きなんだい? 今なら特別に君等の望む姿になってあげるよ。あ、でもやっぱり1番は"アレ"かな? 君等が心血注いで作った曲を歌ってあげる方が嬉しいかな。それとも"アレ"の姿で『大好き♡』とか言って欲しい?」
一拍の後、甲高い声が再び飛んだ。
伸ばした髪を棒高跳びの要領で地面に押し付け、跳躍。やっぱり前動作がある分、ZIPANDAの異能はK汰のソレより読みやすい。鳥さんほどの先読みは難しいけれど、彼の口元さえ見ていれば避けるのは簡単そうだ。
「…………キミが」
屋上のコンクリに何度目かの着地をした僕へ、ZIPANDAが唸る。
「キミが、あのコを語らないで」
「……へえ!」そんなZIPANDAの顔に思わず吹き出しそうになる。「君もそんな顔をするんだね。もっと冷静かと思ってたんだけどなぁ! あんまりイライラすると血管詰まっちゃうよ? もういい歳でしょ?」
ZIPANDAは僕の言葉を無視する。その瞳からは最初の余裕溢れる光はもう感じられない。あるのは冷めた光だけ。
「追い詰められているのはキミ達の方ヨ。アタクシ達は既にキミ達のことを調べ上げてる。ここ最近キミ達がこの近くのスタジオを使っていたこと、帰る時には必ずこの辺りを通ること……。その異能についても、たまちゃん達から情報を得てる。下でK汰ちゃんが相手してるカレ──『℃-more』の異能も未来予知に近い異能だけど、完璧じゃない。ソウでしょ?」
自信満々な彼の言葉に、僕も笑顔で答える。「ああ、君等が調べたのって、何日か前に僕が投稿した『Pなのにスタジオで声の収録とか疲れる』ってアレ? あんなのわざとに決まってるだろう! 真に受けてたなんて、君等は本当に純粋なんだねぇ。騙すようなことになって申し訳ない!」
「そんなワケないじゃない。アレが"釣り"だなんて、アタクシ達全員気付いてるわヨ。その上で『勝てる』って言ってるのが分からないナラ、キミのオツムも大したことないわネ」
「おやおや、ステキな忠告ありがとう! 肝に銘じておくよ。でも残念だ……、そう言って先手を読み違えた人から真っ先に死んでいくんだよね……」
「何ですっテ?」
一瞬曇ったZIPANDAの顔。そんな彼に笑顔を向けて、事実を捩じ込む。殺風景な屋上に生ぬるい夜風が吹く。
「僕からも君等に3つ忠告してあげよう。まず、君等は鳥さんを甘く見過ぎている。鳥さんの異能は確かに未来予知に近いけど、厳密にはそうじゃない。だからこそ怖いんだ。夜になってから僕等に仕掛けてきた所を見るに、あの異能の弱点には思い至っているんだろうけど、それでもまだ足りない。君等は鳥さんという人間の本質を知らない」
「……どういう意味?」
警戒心満々のまま訝しむZIPANDAを余所に、言葉を続ける。
「次に。君等の代償はもう知ってる。K汰も君も、どちらも自傷タイプだ」
そう。ZIPANDAの【声の異能】、その代償は【聴力の喪失】。そしてK汰の【破壊の異能】も、突き詰めればそれは自身をも苛む【内臓の損傷】だ。
「君等にとって長期戦はすなわち消耗戦を意味する。どうせ"区員さん"と手を組んでるんだろうけど、彼女の異能については僕等の方が知っている。彼女の異能の代償について考えたことはないのかい? 君等の自傷を延々と治し続けるほどの力は彼女にはない」
ZIPANDAの顔にゆっくりと驚きが広がっていく。「ソレ……、一体ドコで……」
「そんなの決まってるじゃないか! 僕等にはこの2ヵ月で培った情報網があるんだ、……と言いたいところだけど、実際は大体Sのおかげだねぇ。おおS、我等が主よ! そのいと素晴らしき知恵と輝かしき御身に祝福あれ!! なんてね」
「S……。それって」
「ああ、それも"たまちゃん"から聞いたのかい? 僕等『五重奏』の実質的管理者、ってところかな。にしても存外お喋りだねぇ、あいつも」
まぁいいや、と言葉を切る。
「それじゃあ、これも知っているのかな? 僕の異能の代償は、代償じゃない」
「"代償じゃない"?」
小首を傾げるNovodyに僕は微笑む。
「そうだよ、お嬢さん。この変身の異能の代償は【解除不可】。そもそも『解除』という概念が無いんだ。一度変えたら元には戻らない。『スイッチ1つで元の姿に!』みたいな代物じゃない。せっかく綺麗な顔にしても、綺麗な比率に整えても、一度崩せば造り直しだから結構面倒なんだよ。でもほら! 君等が抱えてる重たい代償ほどじゃないだろう?」
ZIPANDAが目を見開く。信じられない、とでも言いたげな顔で。
「……キミ、本気で言ってるの、ソレ……?」
「えぇ何その顔……。君こそどうしたのさ、何か引っ掛かる要素あった? まぁいいや! ともかくそれが最後の忠告。僕には代償と呼べるほどのデメリットが無い。いくらでも、いつまでも、好きな姿で、望んだ姿でいられる。君等みたいな有限の未来とは違う、これこそ無限の可能性だと思わない?」
まぁ、と手を伸ばす。
「僕の忠告なんて正直どうでも良いんだ。何なら忘れてもらって構わないよ。その方がきっと楽しいから! それでなくても暇なんだ。鳥さんも下で張り切っちゃってるみたいだし、君等も僕の時間潰しに付き合ってよ」
夜の屋上に生ぬるい夜風が吹く。たなびく髪を風にまかせ、揺らめかせ、伸ばし、張り巡らせていく。縒って、絡めて、綾取って。殺風景なコンクリートの屋上を僕の髪で飾っていく。
身構えるZIPANDAとNovody。その姿はまるで猫に追い詰められたネズミのように。主人公に消されるモブのように。蜘蛛に狙われる虫のように。
僕によって、その人間性を解き放つように。
無意識にメガネの弦に手が伸びていた。そっと取り去られた硝子板。よりクリアに映る世界。鮮明に見える彼、彼女の顔。その輝きが、その人間性が、あまりにも強烈で。
唇を、舌でそっと濡らすように。
「────────出来れば飽きずに踊ってくれると嬉しいな?」




