K汰 - カフカ
「────『ショート動画』?」
オウム返しするぼくに、ミヤトは「ああ」と相槌を打つ。「数十秒だけの短い動画のことなー。おれ達で言えば、今回の曲の一部だけを見せるちょー短いMV、ってところか。流すならサビが定番だろーけど」
へえ、と言葉が漏れた。歌の練習としていくつかMVを見ていたけれど、大半のMVは3分から5分ほど。その中にたくさんの「音楽」が詰まっていた。それらを数十秒にまとめる、ということだろうか。
「ミヤト達はやったことないの?」
「『HighCheese!!』としては、ショート動画は1回も出したことねーな。あ、最近のPは出してる奴は多いぞー。聴衆の反応を手っ取り早く見られるから、曲の方向性とか表現の調整するのに丁度良いし。本命の曲を投稿する前に"ショート"出しとけば、他の投稿に埋もれる心配もある程度防げる」
「聴いて欲しい曲のお知らせ、みたいな?」
「そーゆーこと」
ミヤトの言いたいことがだんだん分かってきた。聴いてくれるヒトがどう感じるかを先んじて知るための指標としても、事前に本命曲をお知らせするための導入としても使える、ってことなんだ。
でも、と首を傾げる。それなら尚更、どうしてイツキもミヤトもこれまでの間に"ショート"を投稿したことがないのだろう。使いやすいものなら使ったら良いのに。
そんなぼくの考えを読み取ったのか、隣のイツキが苦笑いを浮かべる。「今まで出してなかったのは、私のわがままなの」
「わがまま?」
「……上手くできなかったから。短い時間の中に私の曲を詰め込むのが」
イツキはそっと目を伏せる。
「私、昔から不器用で。作り込めば作り込むほど、時間をかければかけるほど、その全部が手放せなくなってしまう。自分が作った曲もそう。誰かが……、ミヤトがミックスしてくれないと、結局どれも削れないまま、長ったらしい曲になっちゃう……。私が短い動画を作れないのもそこなんだ」
イツキの苦笑が深くなる。「納得できない、満足できない。想いを込めて作った曲を一部分だけ切り取る、ってことができない。……選べないの」
「イツキ……」
だんだんとイツキの言いたいことが分かってきた。イツキは自分が作った曲──時間と努力と想いを掛けて作った曲のうち、どれかを取捨選択するなんてことが出来ないんだ。そしてその気持ちは、たぶんぼくにも否定できない。
イツキは抱えた膝に顎を乗せながら尚も続ける。
「もちろん曲を聴いてくれたら嬉しいし、そのために効果的なら"ショート"だってやってみるべきだと思う。……でも、私にはできなかった。これはショート動画が良いか悪いか、なんて話じゃない、単に私の問題なの」
「だから"わがまま"?」
イツキはそっと頷く。
「じゃあ」とぼくはミヤトを窺う。「やっぱり」
けれど、ぼくの言葉を遮ったのはイツキ本人だった。どこか穏やかな笑みを湛えながら。
「……大丈夫。今回は"ショート"、作れる気がする」
「でも」
「私だって、早くメグちゃんとミヤトの歌を聞いて欲しい。この気持ちは嘘じゃない。それに今回の曲は遊園地がテーマだし、"ショート"を"遊園地への入園チケット"として考えれば、作るのも苦じゃないって思える。そしてこのあと投稿する本命は、めちゃくちゃに凝った物にしちゃうの!」
イツキはそう言って瞳をきらめかせた。その奥に迷いはない。後悔もない。それはどこか、これまでの自分を否定しないまま、それでもこれから先を信じようとするような。
「一緒に作ろう、メグちゃん。ショートも、本命も、最っ高に元気になれる曲!」
イツキの元気な宣誓に、ミヤトがニヤッと笑う。でもその笑い方もどこか穏やかだ。
「あんまハリキリすぎんなよー。……と、言いてーところだけど。そうと決まれば笑顔でやんねーとな! よしっ、こっからも気合い入れてくぞー!!」
「おー!!」
「なお、スケジュール調整は引き続きおれがやるから覚悟するよーに」
「お、おー……」
釘を刺されたイツキがおそるおそる、でもしっかりと拳を突き上げた。そんなイツキにつられて、ぼくもそっと拳を上げてみる。
早速案を出し合うイツキとミヤト。その横顔はどこか眩しい。圭や他にみんなとはまた違う、思わず他人の笑顔を誘うような。そんな雰囲気が部屋中に満ち溢れる。きっとこれが「HighCheese!!」というPの本来の姿なんだろう。
────そしてぼくも。2人と一緒に、一歩を踏み出すんだ。
と、そのとき。ミヤトが触っているパソコンから「ピコン」と音がした。気付いたミヤトが画面の隅に目を留め、そして眉を寄せた。
「んー、なんだ……?」
「どうしたの?」イツキが尋ねる。「"パスコ"さんからもう返事来た?」
「んなわけねーでしょ。まだDM送ってすらねーし」
半ば呆れ気味に突っ込むミヤト。でもどこか歯切れが悪い。
「ミヤト?」
ぼくの問いかけに、ミヤトの顔が一層険しくなる。「なんでもねーよ」とそのまま画面を操作しようとしたところで、ミヤトが手を止めた。
「……いや、隠すことじゃねーな」
「どういうこと?」
「すぐK汰さん辺りから連絡来るだろーな、ってこと。……ほら」
そういうとミヤトがパソコンをこちらに向ける。画面右下、四角いポップアップが表示されている。それをすばやくミヤトがクリックし、表示は全画面に広がった。
1つの動画。1つのMVが表示される。そこにある文字を読んで、隣のイツキが息を呑むのが分かった。ミヤトもふぅ、と深い溜め息を吐く。
「そろそろいつ来てもおかしくねーな、とは思ってたけど、このタイミングでコレとはな……。ほんと、さすが"カル"さんっつーか」
カル。その単語に、生唾が狭い喉を落ちていく。息が苦しくなる。あの日、路地裏でぼくらを襲った、あの笑顔を思い出して。
画面に表示された名前を、思い出して。
〈エンドレスコーマ / 荊アキラ feat. 唄川メグ UTAU〉
「荊アキラ」。その名前はもうみんなから聞いていた。あの日ぼくらを襲った"カル"の本当の名前──Pとしての名前、それが「荊アキラ」。今でもありありと思い出せる。
ビルとビルの狭間。影の路地裏。茹だるような暑さ。ぬるいアスファルトの臭い。その只中でぼくに覆いかぶさるように、気持ち悪いほど真っ青な夏空を覆い隠すように、その顔を唄川メグの形に変えて微笑んだ男。
震えそうになる指先をぎゅっと握り込む。
荊アキラが、動き出したんだ。
部屋の空気はさっきまでとは様変わりし、水を打ったような静けさに包まれた。エアコンの風音が妙に寒々しい。
「……ねえ」先に声を出したのはイツキだった。「気になるんだけど」
イツキはそっと画面の一ヵ所を指さす。「どうしてメグちゃんの名前があるのかな。……それに、ここ」
イツキの指した人差し指が、ぼくの名前からそっと右にずれる。「UTAU」と書かれたその場所。……記憶を取り戻したいまのぼくなら、その意味が分かる。それはミヤトも気付いたみたいだった。難しい顔で頷いている。
「ああ。多分だけど、このまえK汰さんが調べてたやつだろーな。荊アキラのツイ──いまは"エックス"だったか──あそこに『Pなのにスタジオで声の収録とか疲れる』とか何とか投稿されてた、って。……あの時から嫌な気しかしねーな、とは思ってたけど」
そう、圭は言っていた。たくさんたくさん調べた結果、カルの投稿(公開日記みたいなものらしい)に彼の場所を特定できそうな内容があった、と。そしてその内容が不穏なものだ、ということも。
記憶を思い出し、そしてみんなから補完してもらった知識。そして「声の収録」というカルの発言。カルが見せた彼自身の"異能"。あの日カルが語った願い。そこから推測できること。
『UTAU』。歌声合成技術を個人で行えるフリーソフト。およびそれによって生み出された合成音声の総称。音素を録音し、データを登録、調整すればどんな歌声でも合成し、歌わせることができる。大雑把に言ってしまうなら、誰でもバーチャルシンガーになることができるシステム。カルはきっとそれを使ったんだ。
自分の異能を使って「唄川メグ」に成り、今度はその声で音声ライブラリを作成。疑似的に「唄川メグ」というバーチャルシンガーを蘇生させ、自分の曲を歌わせた……いや、自分で歌った。よく見ると「編曲」と書かれた欄に「℃-more」の名前もある。おおかたトリと協力して作り上げたんだろう。
どうしてこんなことを、なんて疑問は湧かない。だってあの日カルは確かに言った。真っ青な髪で空を隠して、真っ青な瞳でぼくを覗き込んで、真っ青な爪先をぼくの顔に突き立てて、それでいて心底嬉しそうにぼくに言ったのだ。
〈────やっと、僕は君に成れる〉
カルの異能は"変身の異能"。好きな顔、好きな容姿、好きなように身体を変えられる。その異能を使って、カルは本当に唄川メグに成り替わろうとしている。
そのとき、再び「ピコン」という音が部屋に響いた。でも今度は3つ、同時に鳴った。
近くに置いていたスマホを手に取る。たまから借りたままのスマホ、その画面に表示された通知。送信者は圭。「K汰君の作戦を共有するグループ」という名前のトークグループを経由して送られているから、イツキとミヤトにも、そして他のみんなにも同じ文面が送られているはずだ。
圭の連絡は二言。簡潔に。それぞれの画面をちら、と見終わったぼくらは3人で顔を見合わせ、真剣な表情で頷き合った。
胸がざわめく。
そして、覚悟を決める。
〈今夜決行する 準備しとけ〉




