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Missing Never End  作者: 白田侑季
第7部 夢想
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K汰 - 二番煎じ




「────よーし、オッケー。出てきていーぞ」


 扉が開いて、ミヤトが顔を出す。その声でホッと肩の力が抜けた。ヘッドホンを外したけれど、少し息が切れているのか、目の前にある黒いマイクがぶれて見える。


「だ、大丈夫メグちゃん? お水飲む?」


 ぼくの状態に気付いたのか、ミヤトと入れ代わりにイツキが駆け寄って来てくれる。「ありがとうイツキ……。まだ平気。それより」


 イツキと連れ立って扉を押し開く。狭くて暗いところ──クローゼットから出ると、部屋の中がいつもより明るく感じられて目がチカチカする。エアコンの冷風が気持ちいい。


 ぼくは部屋の隅っこに背中を預け、近くのクッションを借りて腕の中にかき抱きながらしゃがみ込んだ。「ミヤト、さっきの、どうだった……?」


 パソコンを操作するミヤトの目は真剣そのものだ。ヘッドホンの片側だけを耳に当てながら、ぼくの声が作った波形に耳を澄ませている。


 "楽しい"。遊園地でみんなと遊んで、マキハルに教えてもらって、ぼくはその感情をようやく自分のこととして実感できた。そしてその感情がイツキ達の歌に落とし込めるように、たくさんたくさん練習した。


 食事や睡眠やお風呂の時間以外は、全部歌の練習に費やした。費やしても苦じゃなかった。むしろ、やりたい気持ち、歌いたい気持ちはどんどん膨らんでいった。イツキの作った曲、ミヤトが先に歌った録音データ、アサヒがいまも描き続けている絵。その全てを見て、聴いて、感じて。その全部にぼくの想いを適切に、過不足なく、けれど十全に織り交ぜていく。


 音程もリズムも息遣いも歌唱技術も、伝えるために使えることは全て自分の喉に刻み込んだ。ミヤトに教わった喉のケアもしつつ、自分が納得できる歌い方を求めて2日。何度も歌って、何度も録り直した。「ニュアンスが違う」「息遣いが違う」「こんな歌い方じゃない」。そんな自省をいくつも繰り返した。


 ミヤトがクローゼットの中に作った録音空間。びっしり貼られた吸音材に囲まれて、重々しいヘッドホンから流れる音楽に耳を傾け、たった1つのマイクに向かって心の内側に生まれた全部を声に込めた。


 今回のイツキ達の歌の中で、ぼくの担当は"コーラス"。ミヤトが歌う声に対してのハーモニー担当。一部、言い回しと息継ぎの関係で、ミヤトの歌が間に合わない場所をぼくが歌うところもあるけれど、基本的にはミヤトの補佐。それでも「ミックス作業の時に追加で当て込むかもしれないから」と、念のために歌パートは全部歌った。吹き込んだ。


 そして歌い切った最後のワンフレーズ。その声を、ミヤトにチェックしてもらう。ぼくの声は、ぼくの歌は、イツキとミヤトの歌に、ちゃんと────


 そんなぼくとイツキの視線に気付いたミヤトが、パッと顔を上げた。


「そんな心配そうな顔しねーでも大丈夫だって。ちゃんとハモリ部分も音程合ってるし、拍もズレてねー」


 それからミヤトは画面をもう一度確認して、フッと笑った。「お疲れさん、メグ。バッチリだ」


 イツキの顔に笑顔が溢れる。「……やった、やったよメグちゃん……! お疲れ様!!」


 歓声を上げるイツキの盛大なハグを受けながら、一足遅れてぼくの胸にも熱いものがじわじわと込み上げてくる。


 歌えた。歌い切れた。


 ぼくが。唄川メグじゃない、ぼくが。


 イツキ達の、曲を────


 ふいに"景色"が脳裏をよぎる。たくさんの色。たくさんの音。色彩。鮮音。閃光。影。いくつもの断片。無数の破片。カラフル。モザイク。跳ねて、委ねて。


 それらが、あの真っ白い世界を彩って満たす。そんな景色が脳裏をよぎった。


 そっと目を閉じる。これはきっと唄川メグの記憶だ。痛くない、辛くない、穏やかな記憶。そんな記憶とともに、心の中でささやく。


 ねぇ、唄川メグ。


 ぼく、いまなら少しだけ、君の気持ちが分かる気がする。


「と言っても」とミヤトが口を開いた。「喜ぶにはまだはえーぞ。作業的にはこっからが肝だからなー」

「そうなの?」


 首を傾げるぼくに、イツキが教えてくれる。


「うん。メグちゃんとミヤトの歌はこれでバッチリなんだけど。あと残ってるのはミックスとマスタリング。お母さんが描いてくれてるイラストが完成したらМVの制作。その他にも細々とした工程がいくつか残ってるの。今回お母さんには"一枚絵で"って依頼してるから、基本的には歌詞を入れるだけで良いんだけど。……お母さん、МVへの"歌詞入れ"ってできるかな」

「"歌詞入れ"はおれ達もさすがに専門外だからなー」ミヤトも渋い顔だ。「調べれば出来なくもないんだろーけど、おれとイツキはミックスに集中してーし……。母さんの負担を減らすなら、一応"パスコ"に連絡取っとくかー」

「パ、"パスコ"……?」


 聞き慣れない単語だ。何の名前だろう? 目を白黒させるぼくに、イツキが苦笑する。


「あ、ええっと……、"パスコ"さんは"動画師"の方なの」

「"ドーガシ"」知らない単語が増えていく。

「うん、イラストを使ってアニメーションを作ってくれるヒト、って言えばいいのかな。私達がМVの作成をお願いするときは基本的に、イラストを描く"絵師"さんと、そのイラストを使って動画を作る"動画師"さん、このお2方に依頼してることが多いの」


 イツキは指を2本立てて見せる。「私達はいつも"ヘノモヘジ"さんって絵師さんにイラストとアニメーションの両方を手掛けて頂いてるんだけど、今回はイラストをお母さんに描いてもらってるからちょっとお願いしにくくて……。"パスコ"さんには別のMVのアニメーションでお世話になったことがあるから、今回はその方にお願いしようかな、って」


 思わずへぇ、と声が漏れた。ミヤトとの練習の一環で色んなМVを見たけれど、そんなにたくさんのヒトが関わっていたなんて知らなかった。「それじゃあ、投稿するのは」


「うん」と頷くイツキ。「まだもう少し先の話かな。"パスコ"さんとの打ち合わせにもよるけど、音源に合わせて本格的にモーションを付けることになれば、"パスコ"さんに絵コンテ切ってもらったりお母さんに絵の差分描いてもらったりしないとだし……」

「まー、普通は月単位で作るモンだからなー」ミヤトもパソコンの前で頬杖を突いている。「曲とMVを凝るなら、それこそ3,4ヵ月ペースだろ。それもちゃんと時間配分と自分達なりに締め切りを設定した上でだ。今回みてーに1週間ちょいで声録りまで終わる方が異常なの」

「それはそう、なんだけどさ……」


 イツキの表情は晴れない。「ここ最近で一番ノッて作れたんだし、出来るだけ早く公開したいな~、とか思うといいますか何といいますか……」


 でもミヤトは頑として譲らなかった。椅子をくるりと回してイツキを諭す。


「気持ちは分かる。けどなー、そんな"ノッて作れた"良いモンを、クオリティ低くしてまで投稿したいか?」

「……そ、それは」

「それに、イラスト描いてくれてる母さんの今の状況はイツキも分かってんだろ。納期を早めるとか、体力(フィジカル)的にも精神(メンタル)的にも無理だぞ?」


 イツキが目を伏せる。


 イラストを描いてるアサヒの現状はぼくも知っている。ここ数日、アサヒはほとんど作業部屋から出てこない。一度だけ覗いたこともあるけど、アサヒはずっと独り言を呟きながらタブレットに向き合っていた。違う、違う、こんなんじゃ駄目よ、なんて独り言を。何度も何度も同じことを呟いて、何度も何度も同じ場所で手を動かして。


 声を掛けても生返事。ご飯の時間になっても生返事。たまにアサヒの"夫"さん──イツキとミヤトのお父さん──が食事を作って持って行っているけど、それも片手で食べられるような軽食ばかりだった。しっかりした食事は邪魔になる、と受け付けてもらえないらしい。


 心配だった。その様子は、その背中はまるで、以前たまと争う前に「事前調査」と称して一日中パソコンに向き合っていた圭を見ているようで。


 でも、イツキもミヤトも"夫"さんも「仕方ないよね」と受け入れていた。アサヒの、他の生活すら犠牲にするほどの集中力を誰も咎めなかった。イツキに至っては「私は他人のこと言えませんから……」とミヤトの顔色をちらちら窺うほどだった。


 圭も、アサヒも、イツキも。たぶん他のみんなも。音楽に携わる──自らの手で何かを創り出すヒト達はきっと、こういう面があるのだろう。すべてを擲ってでも手を動かすような、衝動に任せて生活を削るような。そんな感情を。


 ……きっと、ぼくの中にも。


 ともあれ、そんなアサヒの状況を知っているのだ。確かに「早く描き終わって」なんて言えない。言えばアサヒは確実に、今以上に無理をする。それが目に見えている。それに言ったとしても、アサヒが納得するとは思えない。アサヒは自分が納得できるまで描き続けるだろうし、妥協もしないだろう。


「そーいうわけで」とミヤトが口を開く。「無理なモンは無理。物理的に無理。良いものだからこそ時間かけるべきなんじゃねーの」

「そうだけどさ」とイツキも食い下がる。「分かるよ。お母さんにこれ以上無理させられない。でも、やっぱりこの曲は今なんだよ。それに、前の曲を投稿してからそろそろ3ヵ月経つし……」

「あのなイツキ。前にも言ったけど、曲の投稿スパンは気にし過ぎたらダメだ。一定ペースで作ることも勿論スゲーけど、おれ達が本当に作りたいのは"誰かを元気にする曲"だろ。"定期的に投稿する曲"を作りたいわけじゃねー」

「それも分かってる。……分かってる、けど」


 もどかしそうに俯くイツキ。ぼくは(唄川メグ時代は置いておいて)「音楽」や「歌」をやり始めて間もないから、イツキの想いを全部理解できるわけじゃないけれど。それでも彼女の横顔を見る限り、今回の曲を早く出したいという気持ちは本当なんだろうと思った。


「……ねえ、ミヤト」


 2人の会話にそっと口を挟む。「曲、出したい」


「ちょいちょい、メグまで」


 呆れ半分、戸惑い半分にミヤトが手を広げる。「さっきも言ったけどな、楽曲作りはこっからが肝心なんだ。特に今回は曲が良い、歌も良い。だからこそ良いMVも作って、ちゃんと三拍子揃えてーの。良い素材があっても、それそのままを食卓に並べても『料理』とは言えねーのと同じだ。その『料理』が音楽にとってはミックスであり、イラストであり、MVだ。……それに、中途半端が一番良くねーってこと、ここまで"歌"に打ち込んだあんたが分かんないはずねーだろ?」

「……うん、分かる。ミヤトの言うことは正しい」


 ミヤトの言葉に強く頷く。「でも、本当に方法はないの? ちょっとだけでも良いんだ、どうやっても早く投稿は出来ないの?」


 ぼくには分からない。早く投稿する方法を知らない。アサヒにも、"パスコ"ってヒトにも無茶はさせられない。でも、


「ぼく、イツキの気持ちも無視したくない」

「……メグちゃん」


 ぼくはきっと我がままだ。ミヤトが無理だと言うなら、それは絶対に無理なことなんだろうけど。頭では分かっているけれど。それでも足掻きたかった。代わりを思い付けない自分がもどかしいけど、それでも足掻きたかった。


 だってイツキは許してくれた。2人が作った曲に、ぼくがぼく自身の想いを乗せることをイツキは許してくれた。


 曲には想いが詰まっている。それはぼくだけじゃない。イツキの想いがあったから、ぼくは歌えた。それならぼくがイツキの想いを置き去りにするわけにはいかない。


 ミヤトはしばらく厳しい顔で眉を寄せていた。でも、その顔はゆっくりと解けていった。


「……ったく、しょうがねーなー。おれもやったことねーけど、物は試しだ。()()、やってみっか」

「"アレ"?」




「ああ。────『ショート動画』だよ」 




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