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Missing Never End  作者: 白田侑季
第6部 脚光
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HighCheese!! - デイドリームをもういちど




「…………ぅ、ん?」


 不意に目を覚ました。


 夢から醒めた後の一瞬は虚脱感もあって。ぼうっとした頭のまま、水中から急浮上したみたいにしばらく大きな深呼吸をしていた。


 息が落ち着いて来てからゆっくりと辺りを見回す。


 私はベッドの脚に背を凭れて寝ていた。電気をつけ忘れていたようで、部屋の中は暗い。膝の上にはノートパソコン。サブ端末用のタブレット。ワイヤレスイヤホンは片耳だけ床に転がっていて、カーテンの隙間から漏れる細い光に淡く照らされている。作業中に寝落ちしてしまっていたようだった。水を打ったような静けさの中で、エアコンの送風音だけが囁くように稼働していた。


 背を起こそうとすると身体の節々が軋んだ。無茶な体勢で寝ていたからか、そこかしこが痛い。酷い肩凝り。目の奥の重み。くぐもった呻き声を上げながら何とか身体を起こす。


 いつから寝落ちていたんだろう。いまは何時だろう。外はもう暗いけど夕飯食べたっけ。お風呂は、歯磨きは、いやそれよりも作業はどこまで。


 ぼやけた頭にふつふつと湧く疑問。試しにパソコンのエンターキーを叩くと、点灯した画面の隅には「22:41」の文字。身体が軽いから夕飯は食べて無さそうだし。……たぶんお昼ご飯を食べた後からノンストップで作業していたんだと思う。またやっちゃった……、と内心で頭を抱える。


 とりあえず起きよう、と残留する眠気を引きはがすようにズルズルと立ち上がった。


 と、その時。


「…………?」


 声が聞こえた気がした。か細い声、夏の夜に消え入るようなか細い声が。窓の外から聞こえたような。


 エアコンを切る。送風音が止まり、完全に静まり返った部屋で耳を澄ます。


「……あ」


 そして気付く。そっと窓辺に近付き、鈍く光るクレセント錠を外す。スラリ、と開いた窓から、夏夜のぬるい風にともに声が届く。


 ────メグちゃんの歌声。


 窓から少しだけ身を乗り出して横を向くと、宮斗の部屋のベランダが見える。私の部屋には換気用の窓が1つ有るだけだけれど、宮斗の部屋にはベランダがある。あまり広くはないけれど日当たりが良く、晴れた昼間には布団を干せるぐらいのスペースだ。


 その隅に、メグちゃんは居た。ベランダの手すりにそっと手を添えて、どこか遠くを見るように、それでいて真っ直ぐな姿勢を崩さないまま、小さな声で歌っていた。彼女の黄色い髪がぬるい風にそよいで、淡い月光を弾く。昼間の熱が冷め切らない夜に、優しい冷たさをはらんだピアノをそっと弾くような。そんな声が風に乗って、私の鼓膜を心地よく震わせた。


 窓辺に肘をついて耳を傾ける。メグちゃんの声は中性的だ。髪型もショートだし、一人称も「ぼく」。服に関しても私と宮斗が中学生頃に来ていたものを混ぜこぜに着ている。私達が思い出した「唄川メグ」の姿とは真逆だ。青い髪も、青い瞳もない。知らない人が見れば、男の子に見間違えてしまうんじゃないかと思う。


 けれど、その歌声はやっぱり私の耳によく馴染む、聴き慣れた声だ。まっすぐで、伸びやかで、少し掠れたようなのに、とても透き通っている。私の大好きな声。


 その声で歌っているのは、私が──私と宮斗が作った新曲。


 メグちゃんは音程を確かめるように何度か歌い直したり、歌い回しを変えたりしながら口ずさんでいる。デモ音源と歌詞を渡したのが今日の朝。それから後、私やお母さんが音源調整やイラスト制作に没頭している間に、メグちゃんはもう歌詞を暗記し終えて、宮斗と一緒に表現方法を模索する段階に入っていた。宮斗曰く「あいつの成長速度なら"声録り"までそう時間はかからないだろーな」らしい。いくらかの無茶があったとはいえ、こんな短期間で楽曲制作がここまで進むとは自分でも想定外だったけれど。


 こみ上げる嬉しさで、目を閉じる。メグちゃんの歌声に耳を澄ます。


「────メグちゃん」


 私の声に、歌が止まる。メグちゃんが振り返って私に気付く。


「……ご、ごめん(イツキ)。うるさかった?」


 そっと首を振る。「そんなことないよ。私の方こそ、遮っちゃってごめんなさい。……あ、でもご近所さんのこともあるし。今日はそろそろ」

「"ご近所さん"?」

「うん。……えーっと、近くに住んでる人達もそろそろ寝る時間だから、練習はまた明日の方が良いかも、って」


 不思議そうなメグちゃんに何とか言語化して説明する。メグちゃん自身も納得したのか「そっか」と口を噤んだ。


「それにしても、こんなに夜遅くまで練習してくれてるんだね。もしかして、眠れない?」


 訊ねた私に、メグちゃんが頷く。「宮斗に教えてもらってるけど。まだ上手く"歌え"ないところがある。ぼくは下手だから、ちゃんと覚えたい。眠くなるまでは練習したいんだ」


 真剣な瞳でそう語るメグちゃん。そんなメグちゃんを前にして、つい聞いてみたくなった。


「……私達の曲、どう、かな」

「え?」


 聞き返すメグちゃんの目は純粋そのもので。自分から聞いたくせに、なぜだか言葉に詰まってしまう。


「いま練習してくれてる曲……。私達が作った新曲。メグちゃんにはどう映っているのかな、って。……ほら、前に『音楽が楽しいものだって思えない』って、言ってたから」

「あ……」


 メグちゃんが口ごもる。伏せた視線、瞬きで揺れる睫毛。


 私は、あのときメグちゃんに伝えられなかった。言葉にできなかった。実感として、血の通った意味を持って伝えられなかった。


 音楽は楽しいものだよ、って。言えなかった。


 音楽で誰かの命が救えるわけじゃない。それは曲を作り始めてから常に頭のどこかにある理性だった。


 誰かを元気にしたかった。その芯を忘れたことは一度もない。明るく、ポップに、ちょっとわざとらしく、でもそっと背中を押すような。そんな曲で誰かの人生を変えられたら、と思っていた。


 けれど本当の絶望の前に、音楽はあまりにも無力だった。お母さんの時も、メグちゃんの時もそうだった。私だけじゃ2人を笑顔にできなかった。聴いてくれた人全員を救えるわけがない、と分かっていながら、それでも傷付かずにはいられなかった。"元気になって欲しい"という私の願いは、何度も何度も砕け散った。それは事実だ。


 私はメグちゃんに、音楽は楽しいものだよ、って言えなかったあの時の自分の自信のなさに、少なからず囚われているのかもしれない。


 メグちゃんはすぐには口を開かなかった。すいっ、とベランダから見える街並みに視線を投げたまま黙っていた。


 家々は静かだ。淡い月明かりの下、ぬるい夜気に沈む街には夜更かしの灯りがまばらに点いている。


「宮斗から教わった」メグちゃんは口を開いた。「歌うなら、自分の目的を持て、って」

「目的?」

「うん。歌うには目的が必要だ、って言ってた。『歌わされない』ために。『歌うことは、歌いたいモノを歌うことだから』って」

「"歌いたいもの"……」


 宮斗が言いそうなことだと思った。そしてメグちゃんは、その言葉を必死に咀嚼しようとしている。


 メグちゃんが目を見開く。夜に沈む街を、星が散りばめられた夜空を、その中天に輝く真っ白い月を、全てを網膜に焼き付けようとするみたいに。力強く。


「ぼくは、斎と宮斗の曲を聴いて、練習してて、思った。()()()()()()()()()()んだ。歌うと胸の奥がムズムズして、キラキラした。理由は分からない。でもその時の感覚が、とても好きだった。その気持ちを伝えたくなったんだ、誰かに。……誰でも良いから」


 囁くように、けれど焦がれるようにそう言ったメグちゃんは「でも」と遠い目をする。


「それだけなんだ。"歌いたい"って気持ちしか、ぼくにはない。……これが"楽しい"ってことだとして。こんなの、目的って、言っていいのかな。ぼくが、楽しいって言っていいのかな」


 胸がトクン、と跳ねた。


 ────私が、好きだなんて言っちゃいけない。


 私のせいでお母さんが絵筆を置いた時。幼かった私も同じことを思った。誰かの大切なものを無自覚に踏み躙った私が、自分の大切なものを貫き通して、一体何になるんだって。


 それでも。


「……マキハルさんが言ってたんだよね。"好きか嫌いか、この先のことも全部自分で決めるんだ"って。私も同じ。マキハルさんと同じことを言うだけだよ」

「おなじ、こと?」


 不思議そうな顔で振り返るメグちゃんに、私は頷き返す。


「そう、決めて良いの。メグちゃん自身が決めて良いんだよ、この先も」


 メグちゃんは戸惑うような表情を浮かべる。


「でもぼく、斎の想いをちゃんと分かってるか、分からない。斎の想いを全部ちゃんと歌えるか、分からない。それでも"楽しい"って気持ちだけで歌っていいの?」


 もう一度頷く。薄暗い夜の中でも分かるように。


「私達が作った曲だけど、歌うのはメグちゃんなんだよ。……あ、でも責任を負わせたいわけじゃないの。私の想いはあるけど、メグちゃんの歌は、メグちゃんだけの想いだから。"楽しい"が目的になったって良いんだよ」


 それにね、と笑う。「メグちゃんは、ちゃんと私達の想いを受け取ってくれてる。私の想いは、"楽しいって気持ちを大事にすること"。────私には出来なかったこと」


 そう。私には出来なかった。出来ていなかった。


 お母さんの大好きなものを壊して、直せなくて、元気にさせてあげられなくて。やり直したい、と思ったその願いすら微妙にズレていて。そのくせ音楽を捨てられなくて。


 きっとあの時の私は、お母さんへの贖罪の為に曲を作っていた。誰かを楽しく元気にさせる、そんな曲を作っている私自身が、楽しくも元気でも無かった。私には出来なかった。


 だから、背中を押す。


 やり直すんじゃない、もっと別の方法。楽しい曲は"楽しさ"だけから作られるわけじゃない。それを知った私が書いた新曲。


 楽しくなれなかった私だから作れる、楽しさを望む曲。


 私は迷う人。迷いながらも元気を届けたい人。だから。


 メグちゃんは少しの間、目をぱちぱちさせていた。それから何か考え込むような仕草をした後、私に焦点を据えた。


「ねえ、斎」

「? どうしたの?」

「────ぼく、遊園地に行ってみたい」


 唐突な言葉に今度は私が目をぱちぱちする番だった。「え、ええっと。『遊園地』って、()()『遊園地』? きゅ、急にどうして?」


「この前、宮斗から聞いた。斎はこの曲を『遊園地からの帰り道』を想像して作った、って。だからぼく、『遊園地』が知りたい」


 メグちゃんはベランダから身を乗り出さんばかりに、私のいる窓辺へ顔を近づける。確かに今回の楽曲のテーマは「遊園地からの帰り道」だけど。


「ででででもメグちゃん、遊園地は人がすっごくたくさん居る所で……!」


 そうなの? と言った顔で一瞬固まるメグちゃん。


「……そ、それって、休日のショッピングモールよりも……?」


 神妙な面持ちで頷く私。メグちゃんの表情が一層固まる。けれどメグちゃんは、濡れたワンちゃんみたいにブルブルと頭を振った。


「そ、それでも行く。行きたい」

「別にそんなに無理して行くところじゃ、」

「そんなことない」


 少し上気した頬でメグちゃんが言う。「ぼくが行きたいんだ。斎の想いが知りたいんだ。みんなと同じ景色を見て、"楽しい"ってことをちゃんと理解して──ううん、きっと楽しめるって思うんだ」


 ハッとした。それからゆっくりと嬉しさが込み上げてくる。


「……分かった。それじゃあみんなで行こう。K汰さんにリズさん、ノアちゃんやマキハルさんも誘って。大勢で行った方がきっと楽しいよ」


 想像したのか、メグちゃんが瞳をキラキラさせる。もちろんメグちゃんに伝えたことも本心だけど、大勢で行くことを提案したのは、見知った顔が多ければ緊張し過ぎずに済むかもしれない、という理由もあった。


 それに。さっき歌う目的について話した時、メグちゃんは"誰か"と言ったけれど、きっと彼女には明確な"誰か"がいる。彼女の顔を見れば分かる。


 少し不器用で、言葉遣いは少し怖いけど、誰よりもメグちゃんと真剣に向き合っている、あの人が。


 K汰さん(あのひと)との思い出が作れたら、きっとメグちゃんも。


「早速だけど明後日はどうかな。金曜日だし、もう夏休み終わってる学校もいくつかあるから、人はそこまでまで多くないはずだし」


 私の提案に、メグちゃんの瞳の輝きが強くなる。夜風になびく黄色い髪。ふいに微笑んだその黄色い瞳。その光はまるで、


 水面に映り、光を弾く、晩夏の星のように。




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