ZIPANDA - Burning questioN
帰り支度をしていたヒロちゃんが、スマホの画面を見ながら「わ……!」と小さな歓声を上げた。
「どうしたのアサヒさん?」小首を傾げるノアちゃんに。
「見てこれ!」とヒロちゃんは嬉しそうに画面を私たちへ向ける。
見せられたのはLINEの画面だった。お相手は、名前からしてイツキちゃんだろう。そこに添付された1枚の写真に私自身、自然と胸が高鳴るのを感じた。
「アラ……!」
自撮り写真だろうか。そこに映っていたのは、カメラに向かって笑いかけるイツキちゃんとミヤトちゃん。
そして。穏やかな寝顔を見せるあのコ──キティちゃんがいた。
「わぁ!」一緒に画面をのぞき込んだノアちゃんも歓声を上げた。「良かったぁ、メグちゃん元気になったんだね!」
ノアちゃんはそう言うけれど、写真の中のあのコはまだ少し顔が白い。たぶんまだ本調子じゃないのだろう。疲れたような翳り、やつれた頬、私の知っている元気な状態からはまだ遠い。それでもカメラ越しに穏やかな寝息が聞こえてきそうな、そんな彼女の顔を見るに、一番どん底の感情からは抜けきったことが窺えて。どうしてか涙が出そうになる。
実際、ヒロちゃんは目の縁にかすかに涙を浮かべていた。
「……本当、良かった。やるじゃない、イツキもミヤトも。私なんて、大したこと、」
「そんなコトないわよォ」そっとヒロちゃんの肩を抱く。「"なんて"は付けなくて良いノ。ヒロちゃんはヒロちゃんなりに頑張ってたわァ。ソレはアタクシが保証する。きっとキティちゃんも、イツキちゃんやミヤトちゃんも分かってるわヨ」
腕の中で何度も頷くヒロちゃん。そんな私達を微笑ましく見守るノアちゃんが、鈴のような声でふふっ、と笑う。
「そうだよ。イツキちゃんとミヤト君も、もちろんアサヒさんも、みんなのおかげでメグちゃんは救われたんだよ。私こそ、この前はほとんど力になれなかったからなぁ。今度お見舞いに行こうかな」
「それはもちろん。まあ、私達だけのおかげじゃないけどね」
そっと目元を拭いながら、ヒロちゃんが言う。「足繁く通ってくれたマキハルくんもよ。正直、私だけじゃ心が保たなかった。……今どきあそこまで真っ直ぐで肝が据わった子も珍しいわ。それともやっぱり若さかしらね」
「アラ、若さで言ったらアタクシ達もそうデショ? 永遠のティーンエイジャーをお忘れではナクテ?」
私の冗談めかした物言いに、ヒロちゃんも合わせて笑顔を作ってくれる。
「あははっ、そうね! "いつだって青春、いつだってシャイニー"だもんね?」
「Exactly♪」
「これで少しは安心だね、K汰君?」
ノアちゃんが窓辺を振り返る。呼ばれた本人は傾きかけた夕日に照らされながら、部屋の隅の窓辺に座り込んでいた。
一瞬安堵にも似た顔を見せたK汰ちゃんは、けれどすぐにその表情を引っ込め、顔を暗くする。
「んな訳ねえだろ。安心するには早すぎんだよ」
崩した膝の上に乗せたノートパソコン。眉を顰めながら画面に視線を落とすK汰ちゃん。その様は、どこか虚ろで。
「……K汰ちゃん。キミも少しは休むべきヨ」と声を掛けるけれど。
「必要ねえ」K汰ちゃんは固い声で一蹴する。
「……ねえ圭くん」ヒロちゃんも心配そうだ。「気持ちは分かる。ここにいる全員が同じように想ってる。圭くんの言った計画も否定はしないわ。でも、」
K汰ちゃんはその心配には見向きもせず、溜め息もつかず、脇に置いていたヘッドホンに手を伸ばした。
「想ってるだけで解決すりゃあ警察はいらねえんだよ。もう五重奏の奴らから逃げ回ってるだけじゃ話になんねえ。こっちから叩く。──何度も言わせんな」
淡々とそう言って、K汰ちゃんはヘッドホンを付ける。再びヘッドホンの中の世界に閉じこもってしまう。
部屋に残された静けさの中、私達はそっと顔を見合わせるしかなかった。
「……それじゃ、とりあえず私は帰るわ。あの子に美味しいご飯をもっと作ってあげなきゃ」
ヒロちゃんを玄関まで見送る途中、ヒロちゃんはそう言って口角を上げた。「もちろん、MVPであるうちの子達にもね」
「そうネ。アタクシからもお礼を言わせて、って伝えてチョウダイ」
「了解。私も当分はあの子の面倒をしっかり見るつもりだから、圭くん家にはあんまり来られなくなるかも」
「アラ、気にするコトないわァ。元々コノ部屋は五重奏にも割れてる。むしろ控えた方がイイわ」
「……そっか。そうよね」
頷いたヒロちゃんが、憂いを帯びた表情を浮かべる。「ねえリズちゃん」
「何かしラ?」
「……圭くん、よろしくね」
その言葉で大体分かった。私も力強く頷き返す。
「ええ、任せてちょうだいナ」
ヒロちゃんの姿が扉の向こうに消える。足音が遠のいていくのを聞き届けてから鍵をかけ、ワンルームへと引き返す。
圭くん、よろしくね。
ヒロちゃんの言葉が脳裏をよぎる。ヒロちゃんがああ言うのも当然だ。
なにせK汰ちゃんは、──いやK汰ちゃんも、あの日以来ずっと塞ぎ込んだままなのだから。
或いは執心している、と言った方が正しいかもしれない。
あのコをヒロちゃん家に預けてから(つまりはあの襲撃事件から)そろそろ1週間が経とうとしている。その間K汰ちゃんは必要最低限の食事と睡眠を除いて、ほとんどの時間を調査と計画立案に費やしている。
あの男達──カルとトリへの報復の為に。
家に閉じ籠もって、昼夜を問わずパソコンと向き合って。まるで画面の向こうに本当に彼らが居て、その視線だけで殺そうとでも言うように。執拗なまでに、偏執的なまでに、彼らについての情報を片っ端から調べている。
さっきヒロちゃんが口にした通り、私達の気持ちも似たようなものだ。私自身、胸の奥を炙るようなこの感情を"怒り"と名付けていいのなら、黙ってやられている気はない。やられた分はきちんとやり返したいという気持ちに偽りはない。
でも、今のK汰ちゃんのソレはどう見ても過剰だ。自分を顧みない怒りは確かに原動力にはなり得るけれど、自分を犠牲にして得られるものは哀しいほどに少ない。そしてそれを、あのコが望んでいるとも思えない。
何度も引き留めた。何度もK汰ちゃんに言い聞かせた。やるにもやり方がある。今のままじゃK汰ちゃんの望む最良の結末にはならない。そう何度も言った。
でもK汰ちゃんは止まる気配がない。
かつてたまちゃんと対峙した時も、おそらくイツキちゃんやミヤトちゃんと応戦した時も。K汰ちゃんにはまだ余裕があった。今にも噛みつきそうな狂犬じみた顔のどこかに、ささやかにでも休符があった。
今の彼にはその余裕がない。
パソコンに齧り付く、その眼の奥にあるのは硬く冷たい意志だけ。
────それはきっと"殺意"と言って差し支えないほどの。
スライド式の戸を開ける。入ってきた私にノアちゃんが気付くも、私の表情を察したのか、つい、と窓辺のK汰ちゃんへ視線を投じる。
彼はさっきと変わらない体勢でそこにいる。無機質なまでの、冷たい執念を秘めた瞳で。
たまちゃんから聞いた、カルとトリの正体が「荊アキラ」と「℃-more」かもしれない、という情報。それをK汰ちゃんに漏らしたことを、今では少し後悔している。標的を得た狂犬を止める手立てが私には思い付かない。現にいま、元気になったあのコの姿を見たのに、彼はほとんど顔色を変えない。それどころか、より鋭くなっている気さえする。
K汰ちゃんは以前たまちゃんを追い詰めた時と同じように、荊アキラと℃-moreが作った楽曲を聴き漁っている。投稿曲、配信曲、初期の自作CD収録曲からタイアップ曲まで。曲の形をしているものなら幾つでも。それを元に幾つかの計画も立てたけれど、彼自身が納得していないことは明らかだった。
……ふぅ、と小さく息を吐く。
「K汰ちゃん。アタクシ達もそろそろご飯にしましョ」
K汰ちゃんの反応はない。ヘッドホンのノイズキャンセリングを使っているのか、それとも反応する気がないのか。
「K汰ちゃん」
窓辺の彼へ歩み寄って、肩を叩く。けれどすぐさま跳ね除けられる。
「聞こえてる。あんたらだけで食え。俺はいい」
今度は私の番だった。K汰ちゃんの頭からヘッドホンをサッと取り上げる。K汰ちゃんの冷たく射殺すような視線と目が合う。
「邪魔すんな。おせっかいのつもりなら要らねえ。家から出てけ」
「アラ、おせっかいじゃないわよォ。キミの仕草がノット・シャイニーってダケ。トクベツな理由がナイなら、誰かと会話する時はヘッドホンを取るべきではなくテ?」
キッと睨んだK汰ちゃんが、私の手からヘッドホンをバシッ、と叩き落とす。カラカラと床の上を滑る音が虚しい。
「いちいち揚げ足取るんじゃねえよ。俺が何しようがあんたには関係ない」
「アラ、ごめんあそばせ」
低く唸る彼の隣に膝を付く。「それじゃあコトバを変えまショ。もう充分なのヨ。確かにあいつらがいつ襲って来るかも分からない。まだ安心できないのも事実。でもアタクシ達はやるべきことはやった、そうデショ? 想定できるコトは対策した。あのコも少しずつ元気になろうとしてる。キミが立てた計画も贔屓目に見ても充分完成されてる。後は実際にアノ2人に対峙するダケ。なら急ぐべきコトはもうほとんどない。コレ以上、根を詰める必要がないノ。オワカリ?」
「分かってねえのはあんたらの方だ。どこが充分なんだ? あいつらを徹底的に潰すならこの程度準備にもなりゃしねえ。あいつらに襲われた時、一番まともに動けてなかったあんたが、"やるべきことはやった"とか軽々しく口にしてんじゃねえよ」
一瞬胸の奥にズブリ、と言葉が突き刺さる。抜けきらない棘。どこまでも現実的な罪悪。
ダメよエリザベス、冷静になりなさい。そう心の中で言い聞かせる。ヒロちゃんに、無二の親友に頼まれた。諦めたくない。
昂ぶりかけた神経を、深呼吸でなんとか宥める。
「……体調を崩してまで彼らの曲を聴くコトが準備だとデモ? 悪いケド、そんなコトで相手の全てが理解できるなんてアタクシには思えない」
冷静に言葉を紡ぐ。実際理解しづらい部分ではあった。
「アタクシ達の曲は、確かにアタクシ達の中から生まれた作品ヨ。ダケド、それがアタクシ達の全てじゃない。クリエイターなら誰だって自覚してる」
私自身、自分のシャイニーな曲は我が子のように愛してるし宝物だけれど。"私"という人間の全てが反映されているかと言えば答えはNOだ。
「全くのムダだとは言わない。でももっと現実的な方法はたくさんある。キミがいくつも計画を立てたみたいに。なによりアタクシ達が、……K汰ちゃんがあのコに傍に寄り添ってあげるコト。その方が確実にあのコの為に繋がる。違う?」
けれど彼は首を縦に振らなかった。K汰ちゃんはパソコンの画面に視線を戻す。ブルーライトが無機質に瞳に映る。
「なに気取ってやがる。Pなんざ全員我欲の塊だろ、特にあいつら2人は。そんで我欲なんてのは上っ面な言葉で簡単に隠せちまう。音を聴いた方が早えんだよ。対症療法で何とかなる、なんて考えはそれこそ現実的じゃねえだろ」
「否定はしないワ。でもアタクシが言いたいのは、先にすべきことがあるデショ、ってコトよ。アタクシ達が動かなくても、十中八九向こうから仕掛けてくる。反撃はサイアク後回しでいいのヨ。イマのあのコに必要なのはK汰ちゃんが」
その時、K汰ちゃんが鼻で笑った。
「────なにビビってんだよ」
「……何ですって?」




