K汰 - 青の声を聴いて
「うんうん、やっぱりよく似合ってる!」
アサヒが歓声を上げる。ぼくを矯めつ眇めつ眺めては、うんうんとしきりに頷いている。
「声聞いた時から確信してたのよ、絶対可愛い子だって。案の定ね。抜群に素材が良いわぁ」
「あ、ありがとう、アサヒ。でも、ぼくちょっと、恥ずかしい……」
「んー、そのシャイな感じも最高。逸材だわ。じゃあ今度こっち着てみて」
「!! ま、まだ着替えるの……?」
「大丈夫、遠慮しないで。似合う服なんていくらあっても良いんだから!」
アサヒに促され、もう何度目かの着替えを開始した。床やハンガー掛けには、アサヒが持ってきた服が所せましと広げられている。数十分前まで散らばっていたお菓子の袋は綺麗に片付けられていて、ここが本当に圭の部屋だとは思えないくらいだ。
約1時間前。
圭が渋々教えた住所に、予定よりも30分以上早く到着したアサヒは、圭の部屋の状態(床に落ちたお菓子の袋や台所に転がった数多くのゴミ袋など)を見るなり、圭に一言「いっぺん表出ろや」と清々しい笑顔で言い放ち、圭を早々に追い出した。
最初、圭以外の人と部屋に二人きりでいることに少しだけ緊張していた。事前に通話して慣れたとはいえ、心臓もトクトクと不安げに揺れていた。でも実際はそんなことを気にする余裕もなかった。
アサヒの手際は本当に素早かった。台所と洗面台をピカピカに磨き上げ、掃除機をかけながらゴミを纏め、果てはぼくを風呂場で徹底的に洗った。
結果、圭の部屋は見違えるほど整頓された。間取りは変わらないはずなのに、一瞬同じ部屋だと思えないほどだった。
そして、ぼくはと言うと。
「やーん、やっぱりこっちもステキ! 服あるだけ持って来てて大正解!」
ずっと、アサヒ主催のファッションショーに参加している。
アサヒが持ってきたものにはいくつかの食料や、以前の通話で言っていたスケッチブックなどがあったけれど。その中でも特に多い割合を占めていたのが服だった。量にしてスポーツバッグ2つ分。どちらも、これでもかというぐらいパンパンに膨れ上がっていた。
元々服に関しては、圭がアサヒにお願いしていたものだ。ぼくは服なら何でも良かったし、圭の服が借りられるだけで満足していたけれど、圭曰く「それは止めた方がいい」らしい。アサヒも猛反対だった。だから、アサヒが持っている服をいくつか譲ってもらえる話になっていた。
まさか、こんなに大量だとは思っていなかったけど。
「アサヒは、何でこんなにいっぱい服を?」
「ああ、それね。うちの子供たちの着古しなのよ。圭くんに聞いてた限りだと、うちの子たちとアナタの体格がちょうど同じくらいだったから。箪笥の肥やしにしたままよりも、着てくれる誰かにあげた方が生産的でしょ」
「でも、これだとアサヒの子供の分が」
「大丈夫よ、これ全部着てない服だもの。一応『ママの友達に貸してもいいか』って聞いて了承もらったし。こっちに来る前に洗濯もしたから、アナタが嫌じゃなければ是非着てあげてちょうだい」
アサヒは時々「キツくない?」「着心地は平気?」とぼくに尋ねながら、最後にぼくの首へ銀に光るチェーンネックレスをかけた。顎に手を当てながら、ぼくを頭のてっぺんからつま先まで眺めて、笑顔で頷く。
「うん。やっぱりアナタ、ユニセックス系がぴったり! さっきまで圭くんの服着てた時にも思ったけど、服選びが自由にできるって良いわよねぇ」
「良いことなの?」
「そりゃそうよ。素材が良くないと難しいんだもの。アナタは服にこだわりとか無いの?」
「あんまり、……………………?」
「どうかした?」
何だろう。胸の奥でかすかに、もやっとした何かが動いたような気がする。でもその感覚はすぐに消えた。探ろうとしたけれど、霞に指を伸ばすようで、もう掴めなかった。
「……ううん、何でもない」
「そ。まあその恰好は、あくまでアナタから感じた私の好みだもの。他に好きだと思ったものが有るなら、着たいように着て。もちろん私はいつでも相談ウェルカムだから」
アサヒは、姿見無いのねこの部屋、とつぶやきながら、離れた所からぼくにスマホを向けた。カシャッ、という音。それから満足げに頷いて「はい」とぼくに画面を見せてくれた。
白地にグレーとブルーのチェックが入ったボタンシャツ。その上から着た、真っ白い七分丈のパーカー。足の線に沿った細身の黒いパンツ。それらを着て、戸惑いがちにカメラを見ているぼくがいる。
何だか胸の奥がくすぐったい。圭の服も着心地が良くて好きだったけれど、この服はそれとはまた違う、何か別の好きが感じられて。まるでぼくじゃないみたいで。その「ぼくじゃないみたい」という想っていること自体が、自分でも上手く理解できないけれど、何故だか嬉しかった。
「────嬉しい。ありがとうアサヒ」
アサヒも隣でにっこり笑ってくれた。
さて、と床に広げた服を拾い上げながらアサヒが言う。「そろそろ圭くん呼び戻してあげるか」
「圭、どこにいるの」
「おおかた、その辺ぶらぶらしてるだけでしょう。すぐ戻ってくるわ。それまでどうしよっか」
「あ、それなら」
ぼくはアサヒの持ってきたリュックを指さした。「アサヒのスケッチブック、見てみたい」
「あら、覚えててくれたの! 興味持ってくれるの嬉しいわ。……あー、でも」
急にアサヒが苦笑いを浮かべる。「ちょっと怖いのもあるから。苦手だったら無理しないでね?」
「怖いもの?」
「そう。前も言ったと思うけど、私は絵を描いてるの。今は受注依頼があって描くことが多いけど、元々は私が好きで描いて投稿していたんだ。『ヒロアキ』っていう別の名前でね。それがだんだん目に留めてもらえるようになって、そこから色んな人と繋がるようになった。圭くんとは、その過程で知り合った仕事仲間」
「圭も絵を描いてるの?」
「うーん。どうかなぁ」
アサヒの答えは少し歯切れが悪い。「少なくとも、あの頃は私が圭くんに描いてあげてたかなぁ。……細かいことは本人に聞いてあげて。これに関しては、私の口から勝手に言っていいことでもないんだ」
「……そっか」
「まあでも圭くん、アナタにならスルッと言えそうだけどね。彼が話してくれたその時は、大事に聞いてあげてくれると嬉しいわ」
ごそごそとリュックを探るアサヒ。その背中をぼうっと眺めながら、アサヒが言ったことを考える。
圭がやっていたこと。アサヒが知っていること。圭が、ぼくに言っていないこと。
昔、圭に何があったんだろう。
そうこうしているうちに、アサヒがリュックから三冊ほどのスケッチブックを取り出した。二人仲良く、綺麗になった床にぺたんと座る。「はい、とりあえず最近描いてるやつ持ってきた」
「ありがとう。どれ見たらいい?」
「どれでも好きなもので。でもさっきも言ったけど、苦手だったら無理しないでね」
あはは、と再び苦笑いするアサヒ。そんなに前置きするなんて、一体どんな、
「────────わぁ」
表紙を開いた1ページ目。そこで既に、目を奪われた。いや、正確には目を離せなくなった。
おどろおどろしい骸骨が、精緻に、偏執的なまでに、描かれていた。




