マキシマム遥 - ココだけChocolate
オレの名前は「マキシマム遥@ある日街角でロマンスとぶつかるP」。
聴衆からは「街ロマP」、知り合いからは「マキハル」なんて呼ばれている。もちろん本名じゃあない。
本名非公開、年齢不詳、顔出しNG。だが一角のPとして、情熱を持って日々楽曲作りに励んでいる。聴衆からもそこそこ認められてきたし、最近ではバーチャルシンガーのイベントにもいくつか出演したことがある。
そんなミステリアスかつ華やかで、それでいて勤勉な努力家で、スペシャルにギンギラギンなギガンティック・カッコいい男が……オレだ。
オレはカッコいいものが好きだ。それは服であり、曲作りであり、また自分の理想像でもある。
そんなカッコいいもの好きのオレだが、────ひとつだけ、「可愛いもの」を好きになったことがある。
なぜこんなことをせっせと考えているかと言うと。
いま、あの「唄川メグ」と絶賛お話し中だからだ。
「それでオレ様、『ココだけChocolate』のイントロを豪快にバーンと鳴らしてやったんだゼ。そしたら聴いてる奴らが軒並み大盛り上がりしてくれてよ! ありゃマジで嬉しかったゼ」
姐さん──アサヒさんの家。そのリビングで、ローテーブルを挟んで向かい側に座っているメグに、以前のイベントの時の話を披露する。
「ほら、オレ様ってば『きゅんきゅんでキラキラな曲が代名詞』と思われてる、って前に話したじゃん? でも実際は歌謡曲とかピアノバラードも結構好きでさ。懐メロとEDMを合わせたアレンジをあのメモリアルステージで流すの、ちょい迷ってたんだゼ。……ま、結果ステージは大盛り上がりだったし。さすがオレ様だゼ!」
一瞬、間が空く。
ほんの些細な時間だが、その時間がリビングの静かさを際立たせる。アサヒの姐さんは買い出しで留守。イツキちゃんとミヤトくんは2階にいるが、物音ひとつしない。
よく効いたエアコンの冷房が寒々しく肌をなぞる。真っ青な空、夏の太陽、窓の向こうに見えるそれらとは対照的な、暗いパステル調のリビング。
メグは──目の前の女の子は、何も喋らない。
ソファの上で体育座りをしたまま。抱きかかえたクッションに半分顔を埋めたまま。虚ろな目で窓の外を見ている。
メグは微動だにしない。ここに通い始めてから数日経つが、メグは何ひとつ変わらないままそこに座っている。
同じ瞳。同じ姿勢。同じ様子。姐さんが身の回りの世話をしているらしいが、それでも彼女は食事だけは頑なにしないと聞く。
最初見た頃の頬の色はもう消えて、日が経つごとに窶れているのが分かる。静かになってようやく聞こえる息遣いも、いつ掻き消えてもおかしくないほどに弱々しい。
「──そんじゃ、何でオレ様が懐メロが好きなのか話そうじゃん! いっちばん最初は幼稚園入る前でサ……」
オレは話す。話をする。ともすれば聞き流せてしまえるような他愛のない話を、いくつもいくつも話す。
特に理由はない。でも、彼女の感情を無視したいわけじゃない。
「……んで、そのオムニバスアルバムに入ってた中森明菜がマジでカッコよかったんだゼ! ありゃあ誇張抜きに、生まれて初めての衝撃ってやつだったナ」
ただ、そうしよう、ってだけ。
人が一番傷付いて、何もかもが嫌になった時に必要なのは、それでも隣でどうでもいい話をしてくれる奴がいることだと。
そう思っているだけ。
「それから、K汰さんの曲に出会ったのもデカかったんだゼ! メグは『glitterpain』って曲、聞いたことあるか?」
『glitterpain』。まだオレが「バーチャルシンガー」の「バ」の字も知らなかった頃、オレの心を一撃でぶち抜いた楽曲。それまで追いかけていたハードロックやヘヴィメタルとは全く違う。
冗談でも、大袈裟でもない、オレの人生を変えた曲。
「中二の頃にあの曲聴いて、そりゃあもうビビッと来たんだゼ! あの時はその『ビビッと感』をなかなか言葉で説明し辛かったんだが、曲作ってる今なら分かるゼ。────アレは間違いなく本物だ」
繊細なオルゴールの音から始まるイントロ。ゆったりと拍を空けたドラム。童謡に近いヨナ抜き音階。それでいて心を熱くするベースの音。ラストにかけて急速に疾走するギターリフ。突き抜けるようなカタルシス。
それは歌詞にも表れている。青春の苦悩。先の見えないことへの不安。赤裸々なエゴ。そこから終盤に向けて吹っ切れていく心情。自棄にも近い、でもどこか清々しい、ヒリヒリと焼けつくような未来への焦燥と憧憬。
曲を聴いて、カッコ悪く涙を流すなんて、それまで一度も無かったのに。
そしてオレの人生を変えたのは、曲だけじゃなかった。
「オレは最初から本物に出会えた。────それは、メグ。あんたにもだ」
メグの顔を真っ直ぐ見る。視線の合わない彼女の瞳の奥が、一瞬揺れたように見える。
「ボカロを聴くのはあん時が初めてだった。けど、今でも忘れられないんだ。……いや、メグの声はいまも忘れたまんまだが、それでもオレの身体が覚えてる。K汰さんの曲、それからあんたの声。どっちが欠けてもダメだ。どっちもあるから、あの曲は本物なんだ」
思わず俯いてしまう。頬が熱くなっていくのが自分でも分かる。膝の上で組んだ両手の中に汗が滲む。あの頃の感情に引きずられるように気が昂っていく。
「唄川メグ」の声はまだ思い出せない。でもそれ以外の、思い出せることは全て思い出せた。それだけで十分だった。心臓の奥に"熱いもの"がある。拭い去れないほどの熱量を、メグのことを思い出すだけで感じられる。もう2ヵ月前の自分とは違う。「唄川メグ」を忘れて、心の薪を失っていたようなあの日々はもう過去の話だ。
落ち着かない指先をギュッと抑え込むように拳を握りしめる。
メグの前で────心の底から会いたかった、彼女の前で。
無様でカッコ悪い姿を見せるわけにはいかない。
やっと言えるんだ。
ちゃんと言うんだ。
ちゃんとメグに、オレの気持ちを。
「だから、やっぱりオレ……!」
「────────やめて」
掠れた、柔らかな声がした。
ほとんど息でしかない、それでいて涸れ果てた感情から零れ落ちたような。
そんな声がした。




