HighCheese!! - ふたりの魔王さま
ピーンポーン
チャイムが鳴る。
上がり框から降りてサンダルを履き、玄関を開けると、そこには逆立てた髪をピンクに染めた青年が立っている。
「ウッス! お邪魔するッス!」
『街ロマP』ことマキハルさんの底抜けに明るい挨拶に気圧されそうになりながら、何とか返事をする。
「ど、どうも……」
冷房の効いた家の中にずっといたせいか、蒸し暑い外気は噎せ返るようだった。長雨終わりの快晴。照り付ける太陽。汗と陽炎。その中でも何食わぬ……いや、どこか華々しさすらある面持ちで、マキハルさんが首を傾げる。
「ん、イツキちゃん今日も元気ないじゃん? オレ様で良けりゃ話聞くゼ?」
「いえすみませんこれが平常運転なんでお気になさらず……」
真っ直ぐな瞳から目を逸らしながら「どうぞ」と扉を押し開く。その脇を「あざっす!」と通り抜けていくマキハルさん。彼はいつものように丁寧に靴を揃えて、リビングに続く扉の前で姿勢を正し、深呼吸をする。それから自分を鼓舞するように両頬をパシッと叩き、決意のこもった顔でリビングへと消えていく。
そんな一連の光景を、私は玄関に突っ立ったまま眺めている。
あの日、突然うちにやってきた日から、マキハルさんは家に通ってくるようになった。
理由は明白。────メグちゃんに会いに。
会いに、とは言っても、実際はマキハルさんがメグちゃんへひたすら話しかけるだけだ。メグちゃんが座っているソファの真向かいに座って、マキハルさんは1人、メグちゃんへの一方的な会話をする。
最初は天気や時節とかの当たり障りのない会話。そこから自分が作った楽曲のこと、これまでに参加したイベントのこと、私生活の話(マキハルさんは大学生らしい)、友達との他愛ない会話……エトセトラ。とにかくその日あったことをひたすら話し続けるのだ。その間リビングにはマキハルさんの声ばかり響き渡る。時々お母さんの相槌が入ることもあるけれど、ほとんどマキハルさんしか喋らない。
おどけたように明るく、時には気取ったように、それでいて場を盛り上げようと滔々と語るマキハルさんの姿は、ここ数日の家の名物になった。
閉めた玄関の内側で扉に背を預ける。夏の外気と陽射しに当てられた扉は変に生ぬるい温度を帯びている。蒸した廊下。足の裏で汗が滲んで、合皮のサンダルが足裏に貼りついて、動かしたサンダルの底でジャリ、と砂埃が嫌な音を立てる。
────メグちゃんは、口を開かない。
何も喋らない。何の表情も浮かべない。ここに来た時と変わらない、真っ暗な瞳。心を完全に閉ざしたような唇。
脳裏に蘇った、あの「唄川メグ」の姿はない。青い瞳をキラキラさせて、透き通った青い髪をなびかせて、元気いっぱいに歌う姿は私の、みんなの頭の中にしかない。
そしてそれは数日前に出会った、あの「メグちゃん」の姿でもない。黄色い瞳を不安げに揺らして、晴れやかな黄色い髪をふわっと揺らめかせて、それでも純粋で無垢な、まっすぐ前を見つめていたあの姿もない。
いまのメグちゃんには何も届かない。うちに来てもう1週間が経とうとしているのに、メグちゃんの周りだけ時間が止まっているみたいだった。
リビングの隅、庭の見える窓辺のソファで微動だにしないメグちゃんを見ていると、胸が締め付けられる。私達が横で食事をしている時も、彼女は窓の外を見つめている。何もない窓の外を見つめ続けている。お母さんもお父さんも「きっと時間が必要なんだ」って言うけど、その時間の長さが私には見ていて耐えられない。
履き捨てるようにサンダルを脱ぐ。リビングから聞こえる声を無視するように、2階への階段をそっと駆け上がる。
私はいつものように、2階の自室に逃げ込むだけ。耐えられないだけ。
自分にできることは何もない。私の声が届かないんだからメグちゃんには何も響かない。私の差し出した手はメグちゃんにとって必要ない。私の罪悪感はメグちゃんに何ももたらさない。
そんな生気を失ったようなメグちゃんに、マキハルさんはそれでも話をする。メグちゃんが聞いていなくても。相槌を打たなくても。毎日。毎日。尽きることない話題を。他愛ない話題を。求められることもなく。
「────どうして」
どうしてそこまで出来るのか、私には分からない。
「どーしても何も、そんなの斎も分かってるだろ?」
口から洩れていたのか、隣から返事がした。
「単純に、マキハルさんがそーいう人だから、ってだけじゃねーの? たぶん」
「……宮斗」
狭い廊下、2つ並んだ部屋の扉の前に宮斗が立っていた。廊下の端にある小窓の縁に頬杖を突きながら、何気ない風にそう言う。
「ここ数日マキハルさんを見てて分かった。あの人は、ああして自然と前を向くのができる人なんだろーよ」ハハッ、とからかうように笑う宮斗。「見た目はちょっとヤバそうだけど」
「……そう、かもね」
「だからおれ達が負い目を感じる必要もない、そーだろ?」
「──!」
宮斗の言葉で、息が詰まる。
「……負い目、なんかじゃ」
「本当に? 本当に負い目じゃないって言えるか? おれ達は」
宮斗はそう言いかけて、「……いや」と首を振った。「そーだな、おれと斎は違う。全部が全部同じだ、っつーのはもう違うよな。悪い、癖が抜けてなくて」
だけど、と宮斗は続ける。
「少なくともおれにはあるぞ、負い目」
「そうなの?」
「そりゃそーだろ。斎の後ろから見てただけとはいえ、おれだってある意味五重奏のメンバーみてーなもんだし。なんならメグとK汰さんを追い駆け回したのはおれだし、……反省してっけど」
正直少し意外だった。宮斗は自分が信じた道を歩いていける、迷いのない人間だと思っていた。優柔不断で臆病な私をいつも横から励まして、背中を叩いて、真っ直ぐに進んでいくような。
────ああ、そっか。
そこでようやく気付く。
私もだ。私も、「宮斗はこういう人だ」って思い込んでたんだ。宮斗はこういう性格だ、って。私は家族だから、双子の兄妹だから分かってる、って──
「マキハルさん見てて思ったんだ。一番傷ついてる時に必要なのは、無理やりに元気づける言葉じゃなくて、もっと別のものだったりするのかもしれねーな、ってさ」
宮斗が振り返る。私にそっくりな、けれど私とは違う顔で、私に問いかける。
「だからこそおれは、おれにしか出来ねーことをやるしかない。メグにおれの声が届かねーなら、おれが負い目を感じて蹲ってたってどうしようもねーだろ。マキハルさんはマキハルさん、おれはおれだ。おれに出来ることは、メグが『少しでも前を向こう』って思えた時に、力いっぱい背中を押してやる──元気にさせてやることだって。……おれはそう思う」
宮斗はそこで一度言葉を切り、私を見た。
「斎は……、斎はどう思う?」
階段下の、リビングに続く扉を見下ろす。微かなマキハルさんの声が途切れることなく聞こえている。
宮斗の言う通りだ。きっとマキハルさんは自然と前を向ける人。それは、私には出来ないこと。
「────そう、だね。私もそう思う。宮斗と同じ」
「本当か? 本当にそう思ってるか?」
「ほんとほんと」
宮斗が心配そうに、私を窺うように見る。そんな宮斗に、私は心からの言葉を返す。
「そうだよね。……うん、私は私に出来ることをする。それでいいんだよね」
黒を白にはできない。過去の傷は無かったことにはならない。私は私以上にはなれない。
それでも。
目を閉じてゆっくり深呼吸。それから両頬をパシッ、と叩く。柔い痛みで頭が冴えていく。
「────よし」
「……お、なんだよ。曲でも作んの?」
気合いを入れた私に、宮斗が反応する。やっぱり私達は双子なんだと改めて思う。でも不思議と、以前まで感じていた歪さはない。むしろ今は心が弾む。打てば響く、の意味を知る。
「まだ内緒」
「ほどほどにしといた方がいーぞ。このあと塾だろ」
「メ、メロディのアイディア出しだけだから……。そういう宮斗だって、課題の赤本がまだでしょ。そろそろ夏休み終わっちゃうよ」
「何で知ってんの……? あーあ早く受験生終わんねーかなぁ!」
宮斗が気怠そうにぼやく。そんな宮斗を横目に、私は自室に戻ろうとドアノブに手を掛ける。
「なぁ、斎」
「なに?」
振り返る。同じく自室のドアノブに手を掛けた宮斗が、私の横に並ぶ。
「────まとまったら聴かせろよ」
真剣な眼差しでそうつぶやく宮斗に、思わず笑みが溢れる。
「分かった。でも急がなくていいからね、編曲」
「いや編曲もそーなんだけど……。ボイトレもしねーとだし」
「え?」
ハッとして、宮斗の顔を振り仰ぐ。
「歌って、くれるの……?」
歌い手『獅子宮』。『HighCheese!!』として一緒に活動する前まで、宮斗はずっと歌い手として頑張ってきた。他のPから楽曲提供してもらったり、カバーアルバムを出したり。本当に精力的に活動していたようだった。
でも『HighCheese!!』の活動がメインになってからは一切歌っていない。『獅子宮』としての投稿もかなり以前からやっていない。その時間の全てを私の楽曲の編曲作業に費やしてくれている。ずっと私を支えてくれている。
……まるで、何かを贖おうとするみたいに。
でも宮斗は、そんな私の考えを吹き飛ばすかのような勢いでニカッと笑った。
「他に何があるんだよ。大体、斎が曲作ろうとしてるのもメグの為なんだろ? 姉貴が頑張ってるのに、弟が負けてられねーよ」
そう言って宮斗は自室に消えた。
後には静まり返った廊下。そして、小窓から見える夏の青空。
「──もう」
勘弁してほしい。先に産まれたのはそっちなのに。それに本当の勝負じゃないんだから、少しくらい手加減してほしい。
────私も負けられないって、思ってしまうから。
自室のドアを開ける。さっそく部屋の隅に避けていたパソコンとキーボードを引っ張り出す。ヘッドホンを付け、ソフトを立ち上げて、キーボードに手を添える。目を閉じて、頭の中の音に耳を澄ます。
私は悩む人。
悩んで悩んで、ずっと何かに迷っていて。臆病で。それでも前を向きたい、って気持ちを消せなくて。同じようにそう感じている人を全力で応援したいって。そういう人。
後悔を抱えたまま。傷付いたまま。何ひとつ変えられないまま。
たとえそうだとしても、ありのまま。カケラでも良いから誰かに元気を届けたい。
今の私は、きっとそういう人。




