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Missing Never End  作者: 白田侑季
第6部 脚光
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HighCheese!! - ネバーヘルプミー




「ただいまー」


 玄関扉を閉めながらそう言うと、リビングの方からお母さんの「おかえりー」と言う声が聞こえた。


 肩先に散った水滴を軽く払う。外は真夏にしては珍しく、2日続けての長雨。傘立ての中の濡れそぼった傘から、ぽたぽたと水滴が伝い落ちている。玄関の内側も湿気がひどい。


 靴を脱ごうと屈むと、こめかみから汗がつぅっと伝った。肌に貼りつくようなブラウスも気持ち悪い。手の甲で拭おうとしたけど眼鏡が邪魔だ。シャワーを先に浴びようか、それとも自分の部屋の冷房を付けつつコンタクトに付け替えようか。


 そんなことを考えていると、ふと視界の端に見慣れない靴が──いや違う、正しくは私が貸した靴が目に留まった。


「…………あ、」

(イツキ)ぃ―、どうしたのー? アイスあるから早く手ぇ洗ってらっしゃーい」


 再びお母さんの声が響く。でも。


 リビングの扉を隙間だけ空けて、声のボリュームを落とし気味に言う。「ごめん、先に着替えてくるから。アイスは後で食べるね」


 そう言って、2階の自分の部屋へと階段を上り始めた。


 ……やっぱり先にシャワーを浴びよう。リビングに行くのはそれから。だって。


 たぶん、今日も「メグちゃん」はリビングに居るだろうから。






 メグちゃんは一昨日、突然我が家にやってきた。ZIPANDAさん──リズさんに連れられて。


 その時の彼女はとても憔悴していた。無表情のまま俯くばかりで、お母さんの言葉にも一切反応しなかった。何も映っていないみたいな真っ暗な瞳。心を完全に閉ざしたような唇。


 後になって、お母さんやリズさんから事情を聞いた。街ロマPと会うはずだったこと。そこにQuar(カル)さんとTri(トリ)さんが乱入してきたこと。2人に酷く追い詰められたこと。メグちゃんが本格的に狙われ始めたこと。


 私の異能で喉が治ったリズさんは、私と宮斗にこう言った。「イツキちゃんにもミヤトちゃんにもメーワク掛けちゃってゴメンナサイ」と。


 迷惑なんかじゃない。迷惑なわけがない。むしろその逆だ。


 真っ先に感じたのは、酷い罪悪感だった。


 かつて五重奏(クインテット)の一員としてメグちゃんを探していた。あの時の私の「メグちゃんに会いたい」という気持ちは紛れもない事実だし、否定できない。


 だけど私はその結果をちゃんと予想できていただろうか。五重奏の全員が、私と同じように「ただ会いたい」という目的しか持っていない、なんて保証がどこにあっただろう。お互いを詮索しない、という規約があったとはいえ、五重奏の誰もメグちゃんを傷付けるつもりがない、だなんてどうして言い切れただろう。そしてそのことを、あの時の私は本当の意味で理解していただろうか。


 後悔ばかり募っていく。心臓が自壊しそうなくらい痛い。


 でも、だからこそ、私はリズさんの言葉に強く首を振った。


 「迷惑じゃありません。でも、メグちゃんは必ず守ります」と。


 やるべきことをやるしかない。いま出来ることを精いっぱいやるしかない。


 ────過去はやり直せないんだから。


 その日から宮斗と私は交代で家にいることにした。ちょうど夏休み期間だったのは幸い、というべきかもしれない。お互いに受験生だし、塾の夏期講習も外せないけど、宮斗と外出時間が被らないように調整して、その他の自習などは可能な限り家でやるようにした。


 もちろん異能としては宮斗の方が攻勢に出られる分、メグちゃんを守りやすいとは思うけど。宮斗にずっと家から離れないでいてもらうことはできない。私には治癒の力しかないけど、それでも私にも出来ることはある。


 私に出来ることは、想定すること。


 私はかつて五重奏のメンバーだった。それを利用しない手はない。


 五重奏の集まりでは、唄川メグの捜索に加えて、異能そのものの調査も行なわれていた。メンバー同士の異能の詳細について全部知り尽くしているとは言えないし、もう脱退してしまったからチャットを見返すことも出来ないけれど、それでも覚えている限りの知識である程度の予測は立てられるはずだ。


 話を聞いた感じ、メグちゃんを狙って実働するのは高確率でQuarさんとTriさんだろう。2人の異能に重点を置いて対策を立てれば、私1人でもメグちゃんを守れる可能性は高まる。


 私は思い出せる情報を、塾の休憩時間や移動時間を使って片っ端からまとめることにした。


 メグちゃんは必ず守る。五重奏のメンバーが何を考えていようと、メグちゃんを傷付けさせない。それは宮斗も同じ考えみたいだった。


 ────でも、メグちゃん本人はそうじゃない。


 シャワーで濡れた髪をドライヤーで乾かしながらメグちゃんの顔を思い出して、手が止まる。


 きっと今日も、メグちゃんはリビングに居る。


 庭に面した窓辺の、柔らかい布製のソファに腰かけて、何をすることも、何かの表情を浮かべることもないまま、ただぼうっと窓の外を眺めるだけの時間。


 ……昔のお母さんみたいに。


 お母さんは昔、私の所為で絵を辞めていた。お母さんは気にしない素振りで振舞っていたけれど、絵を辞めていた頃のお母さんはメグちゃんと同じように、ぼうっと窓の外を眺めるばかりだった。お母さんとは今ではお互いに、Pの活動や絵師の活動を気兼ねなく語り合えるまでに落ち着いたし、それは本当に良かった。


 でもメグちゃんは、いまこの瞬間にも、窓の外を眺めているだろう。


 私にはその本心までは推し量れないけど。


 きっとメグちゃんも、いま────


 メグちゃんへどんな言葉を掛けたらいいのか。どうやって元気づけたらいいのか。あの絶望に塗りこめられた瞳に、一体自分は何ができるのか。何ひとつ分からないまま、手立てがないまま、もう3日が経つ。


 洗面台横の小窓を雨音が叩く。薄く陰った景色が水滴で歪んでいる。間接照明が温かく照らす洗面台に、それでも重苦しい鬱々とした空気が流れる。それはあのリビングも同じ。


 お母さんは努めて明るく振舞っているけれど。メグちゃんは何の反応も示さない。私達がリビングに居ない時に必要最低限の水分は摂ってるみたいだけど、それ以外は何も口にしない。全てを諦めたように、緩やかに最期を待っているみたいに。


 無力な自分がこれほど恨めしいと思ったのは久しぶりだ。私は何ひとつ力になれないまま、またあの時と同じことを繰り返す。


 助けたい。笑顔でいてほしい。でもその術がない。


 ひんやりとした洗面台の上で、俯いたまま拳を握る。


 私は、どうすれば────


 そのとき。


 ピーンポーン


 玄関のチャイムが鳴った。洗面台と廊下を隔てる扉の向こうで「はーい」と言うお母さんの声、パタパタと滑るスリッパの音。


 こんな時間に誰だろう。お父さんが帰る時間にはまだ早い。ミヤトはいま2階だろうし。宅配便かな。


 すると、聞きなれない声が扉越しに聞こえた。


「ウッス! お邪魔するッス!」

「ああ、君がリズちゃんが言ってた人ね!」とお母さんの声。


 リズさんのお知り合い? でも今日来客なんて聞いてないけど……。私服に着替え中の自分が洗面台の鏡に映って、慌てて息を潜める。身を縮こまらせながら、辛うじて聞こえる玄関の会話にそーっと聞き耳を立てる。


「いらっしゃい。えーっと……、『()()()()』君って呼んだらいいかしら?」


 ……いま途轍もなく聞きなれない名前が聞こえた気がした。いや、聞いたことはあるし、何なら有名過ぎて知らない方がおかしいんだけど。リズさんから一昨日の経緯は聞いてたけども。


 街ロマP、って()()……?


「いやぁ、そりゃ長いンで。オ、オレのことは"マキハル"とでも呼んでくれたらいいッス! 姐さん!!」

「…………その呼び方、誰から聞いたのよ?」

「K汰さんッス! アサヒの姐さんには、その、ちゃんと敬意をもって接した方がいいゼ、って聞いたんで!!」

「────教えてくれてありがとう、マキハル君。でもそんなに緊張しなくて大丈夫よ、気負わずに普通で良いわ。あとで圭くんにはちゃんと()()言っとくから」


 柔らかい口調なのに氷点下なお母さんの口調。K汰さんへ心の中で合掌する。どうかご無事で……。


「それで、マキハル君はどうしてここに? 『近々来るかも』とはリズちゃんから聞いてたけど」


 母さんの疑問の声に、街ロマP──もといマキハルさんが逡巡する気配がした。それから彼は、決意のこもった声でこう言った。


「────────今日は、どうしても話がしたくて、会いたくて来たんス。()()に」





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