K汰 - 明転
「────────いま、なんつった……?」
絞り出すような圭の声が聞こえる。それを塗り潰すほどの、カルの声がする。
「あ、まだ居たんだ。どうしよっか、先に」
「なんつった、って……、聞いてんだッ……!」
「? 何って、この『メグ』に死んでもらえば良いだろう、って言ったけど」
ノアの声がする。「……カルさんは、本気なの?」
「えー? 僕、そんなに変なこと言ったかなぁ? 少なくとも五重奏の総意としては、この『メグ』が居なくなっても何の問題も無いんだけど。あ! それとも君達にとっては有るのかな、この子がここに居る価値が?」
ない。
はっきり分かる。今なら分かる。
価値は無い。ぼくにも、──「唄川メグ」にも。
そうだ、思い出した。想い出したんだ。ぜんぶ。
ぼくには、なんの。
ぼくには、なにも。
「うーん、誰かがそこに居ることに価値なんて関係ないと思うけどなぁ。ヒトはただそこにいるだけで凄いんだよ」
柔らかく涼やかなノアの声。
「へー、君はそう思うんだね。とっても素晴らしいよ!」それすら軽々と超えていくカルの明るさ。「じゃあ言い直すよ。僕等にとっては、この『メグ』が居ないことに価値があるんだ。お嬢さん、君は僕等の価値を否定するのかい?」
パチンッ
音がする。そして、圭の唸る声。
「……は、なせっ、クソが、ぁ…………!!」
「うるさい」トリの声。「ただの正当防衛だ。それ以上動けば折る」
なおも唸る圭。直後ゴキッ、と音がして圭が叫ぶ。
「────カル」
圭を余所に、淡々とした口調でトリが口を開く。「……本当に『メグの声』が取り戻せるのか」
「もっちろん!」
「それはおまえの異能で、か」
「お、さっすがトリさん話が早ーい!」
ひと際明るいカル。それから、カルがぼくの頬をそっと撫でる感触。
「今日実物も見られたし、サンプル数は少ないけど声域も分かったからね。この前公開された立ち絵も含めると、そうだねー……」
頬を撫でる手が動く。もぞもぞ、ぱきぱき、蠢いて。ばきっ、べきんっ、砕け治って。
そして、暗い視界に浮かび上がるぼくの顔。
「────『こんな感じかな?』」
そこにあるのは、溺れそうなほどに真っ青な瞳。
真っ青なロングヘア―はまるで綺麗なせせらぎのように。鮮やかな青空色のマニキュアは透き通るような白い指に。
そんな青い少女が、ぼくと向かい合うように。ぼくの目の前に。
圭が、リズが、ノアが、息を呑む気配がした。ネットに溢れた「唄川メグ」の姿そのものが目の前に居た。でも何も感じない。心はぴくりとも動かない。ただ漠然と、ああ、ぼくがいる、と頭に浮かんだだけ。
きっとみんなが望んだぼくの姿。ぼくの声。理想的な、完璧な「唄川メグ」がカルと同じ笑顔を浮かべる。
「『……ああそうだ、僕も思い出した。正にコレだ! 完璧だ! やっとだ、やっと夢が叶う……!』」
恍惚として震える声。ぼくの声。唄川メグの顔が心底嬉しそうに、綺麗に歪む。その煌めくような真っ青な瞳に、生気のない人形のようなぼくが映る。
「『────やっと、僕は君に成れる』」
「……分かった」
少しの沈黙の後、トリが淡々と口を開いた。
「オレにその声を寄越せ。オレの指示通りに歌うなら、おまえの話に乗ってやる」
可愛らしく頬に手を添えるメグ。「『キャッ、急なオレ様系男子……! 塩加減が絶妙……!!』」
「余計な口を開くな。オレはおまえの声以外には必要ない。嫌なら実力行使でも構わんぞ、おまえ程度の動きならいつでも読める」
「『コホンッ』、……なるほどなるほど、僕と契約して最強Pになりたいんだね? しょうがないからしちゃおっかなー、サービスサービスぅ!」
声を戻しておどけるカル。カルを無視するトリ。
「それと、そいつを処理するなら他所でやれ。ここでは痕跡が残り過ぎる。見苦しいのも目障りだ」
「……本当ドライだね、トリさん。いいんだね?」
「構わん。『メグ』はバーチャルシンガーだ。それ以上でも以下でもない。舞台装置が1つ消えた程度で、ヒトの人生は終わらん。……それに、」
「そいつはもう歌えない。歌えない舞台装置など──才能のない奴など、いっそ死んだ方が良い」
メグの指先がゆっくりと視界を覆っていく。てらてら煌めくブルーのマニキュアが視界を囲う。
────────でも、いい。
もういい
そして散る、赤い花びら
────いや、濃い桃色の花弁が。
無数の花弁が、
嵐のように逆巻き、うねり、視界を柔らかに包み込み、頬を撫で、
そして声が聞こえた。
「はよ逃げぇッ────────!!」
次の瞬間、カルの指先の感触が消えた。「うわっ!」と驚くカルの声。よろめいて、アスファルトに放り出される感覚。一瞬強く地面に打ち付けられる、と思った刹那、今度は別の誰かに抱きかかえられた。
顔は見えない。視界が全て桃色の花弁で埋め尽くされていて、抱きかかえたヒトの顔も、ましてや自分の指先すら見えない。凄まじい数の花弁の群れが、猛烈な勢いで辺り一面を吹き荒れている。
少し離れたところで「ZIPANDAちゃん、こっち!!」と叫ぶノアの声が耳に入り、ぼくを抱えたヒトが走り出した。
リズミカルな振動。しっかりとした温かい腕に揺られること数歩分、一気に視界が開けた。
元居た路地裏。真っ青な空と、生ぬるいアスファルトの臭い、魚の骨みたいな鉄階段の影。その中をぼくを抱えて走るリズの横顔。歯を食い縛って、疲れた目で、それでもぼくの身体をしっかり抱いて離さないリズ。
視界が時折揺れながら後ろに流れていく。視界の端には、風もないのに逆巻く花弁。巨大な壁のように一帯を覆い尽くしていて、向こう側の様子を窺い知ることはできない。ただ時折、小さな悲鳴や悪態がこだましている。トリやカルはまだあの中に居るのだろう。
そんな景色も路地を曲がって消えた。聞こえるのはリズの息遣い。靴がアスファルトを蹴る音。
それだけ。
どれくらい移動しただろう。
気付けば薄暗い所にいた。トンネルのような細長い空間。湿った臭い。壁に埋め込まれたライトは割れている。頭上にある天井の上を、轟音とともに何かが通り過ぎてから、ノアが息を整えつつ口を開いた。
「ふぅ、とりあえずここまで来れば大丈夫かな」
リズがぼくを抱えたまま無言で頷く。息も絶え絶えで、苦しそうに顔を歪めている。ノアの隣では、圭が壁を背に崩れ落ちた。その体制のまま、ちらとぼくを見て、何かを思い詰めたような顔をする。
ぼくはそんなみんなを見ている。
ただ、見ている。
ただただ、見ている、だけ。
それは景色。ぼくとは関わらない、ただの景色。
ぼくみたいな、必要のない存在のせいで傷付く、ヒト達。
ぼくがいてはいけない、ばしょ。
そのとき。
「────────っだああああッ! あっぶな!!」
花びらが、舞った。
さっき見た濃い桃色の花弁。それが一枚、二枚、四枚、どんどん増えて、舞って、集まって固まり、
1人の人間の姿になった。
「なんじゃあのヒトら、おっかな! ほんまに死ぬか思うた、わ────」
突然現れたそのヒトは次第に語尾を落とした。ぼくらの視線に気付いたようだった。一瞬固まったあと、空気を変えるためか咳払いを一つした。
「……あ、危なかったじゃん、オマエら。間に合ってよかったゼ」
ピンク色の逆立った髪。黒光りするジャケット。ピアスやブレスレット。その姿を見て思い出す、トリやカルと顔を合わせた"駅裏のカフェ"、その付近のベンチに腰かけていたヒトの中に居た、青年──。
ふいに青年と目が合う。青年はドキッとしたように、ぼくから目を逸らした。
「うーん、と」ぼくらを代表するように、ノアが青年へ尋ねる。「君は? もしかしてさっき『逃げて』って言ってくれた……」
「ああ。でもそれだけじゃねえゼ、オレ様こそが"オマエらと会うはずだったヤツ"な。……なんか変なヒトらに邪魔されたけど」
青年は気を取り直したように、ニッと歯を見せて笑う。彼の周りを、比喩ではなく、花弁が舞う。
「改めて、名乗らせてもらおうじゃん。────オレ様こそが、"街ロマP"だ!!」




