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Missing Never End  作者: 白田侑季
第5部 劇場
68/125

K汰 - TOXIC




 静まり返った部屋にカチャカチャと微かな音がこだまする。


 ぼくはそっと寝返りを打つ。音のする方を、ライトがぽうっと灯る方を、枕に半分顔をうずめながら薄目で見やる。


 大きな二つのモニター。青く光るキーボード。付箋がべたべた貼られたスピーカー。その脇に鎮座しているエレキギター。


 いくつもの機材に囲まれながらモニターに向かう圭の背中を、少し離れた布団の上から眺めた。


 窓を遮るカーテン。その隙間からこぼれる夜の色。街灯の切れ端と月明かり。心地よいエアコンの風が、毛布からはみ出したぼくの脚先を涼やかにくすぐる。昼間にあれほど聞いた蝉の声はどこにもなくて、小さなキーン……という音が穏やかだ。


 圭の背中は微動だにしない。ヘッドフォンを付けているから、何か聞いているのかもしれないけれど。時折キーボードを叩くだけで、特段何か作業をしているわけではないようだった。


 たぶん、曲を作っているわけでもない、はずだ。


 また寝返りを打つ。今日の昼間、たまやノアと話したことを思い返す。


 唄川メグ。その始まりの歌。これまでの楽曲。そして、ぼくが唄川メグ(むかし)みたいに歌えないということ。


 そこにやってきた、「街ロマP」から圭への〈会いたい〉というDM。


 環境が目まぐるしく変わっていく。最初の頃、圭に拾われてこの部屋で目が覚めた時からは想像もつかないほど、たくさんのことが身の回りで起きる。たくさんのヒトに出会う。そうしてぼくは唄川メグを思い出していく。


 唄川メグ。彼女の姿。彼女の色。彼女の経歴。彼女のいた場所。彼女を取り巻く、全て。それらを知って、考えて、比べて。ぼくはメグ(ぼく)を知っていく。ぼくはメグ(ぼく)と向き合っていく。それはきっと、ぼくがやらなきゃいけないこと。


 同じままではいられない。いや、同じままではいたくない。みんなと一緒にいるために、ぼくはたくさん知って、たくさん考えて、たくさん進まなきゃいけない。そうしないとみんなといられない、そんな直感がある。それはきっと今回も同じだ。「街ロマP」と会えば──ぼくを微かにでも覚えているヒトに会えば、ぼくはまた何かを思い出せるかもしれない。進むきっかけには違いない。


 泣きながらでも進みたい、そう決めたのはぼくだ。


 それなのに。そのはずなのに。


 ためらう理由もないはずなのに。その事実が、あの昼間からずっと心の底で冷たく渦巻いているのは、一体どうしてなんだろう。考えれば考えるほど、だんだん自分が何に悩んでいるのかすら分からなくなっていくのは、一体どうしてなんだろう。


 ぼくは、どうして足を止めたいと思っているんだろうか。


「────まだ起きてんのか」


 その時、微かに嗄れた声がした。圭がいつの間にかヘッドフォンを外して、こちらを振り返っている。「夜更かしなお子様だこって」


「ごめん、圭。邪魔しちゃった?」

「違えよ。たまたま振り返ったらお前が起きてんのが見えただけだ」


 圭はぶっきらぼうにそう言い放つけど、声色は穏やかだ。


「眠れねえのか」

「……うん」

「さいで」


 それっきり圭は何も言わない。再びモニターに視線を戻す。キーボードのカチャカチャ音が続く。でもヘッドフォンは耳に付けずに、首へ掛けただけだった。その背中を見て、少しだけ口を開く勇気が出た。


「……ねえ、圭」

「んだよ」

「圭は、どう思う? 昼間のこと」

「昼間ァ? どれだよ」

「ぼくが、歌が下手なこと」


 キーボードを叩く音が止まる。


「……気にしてんのか」


 ぼくは首を振る。でもすぐに首を振るだけじゃ伝わらないと気が付いて、慌ててなんとか言葉にする。


「す、少しだけ」


 本心だ。別に傷付いたわけじゃない。記憶にも紐付いていないのか、頭も痛くならなかったし。何より"音痴"であることが辛い、と感じたわけでもない。ただ少し、よく分からない感情に苛まれただけ。いまもその余韻でちょっぴり心の底が曇っているだけ。


「ぼくはメグじゃない。メグにはなれない。それはもう良い。だけど、ぼくは歌えない。歌が好きかも分からない。……メグが、もう戻らないかもしれないのに」


 あ、そうか。


 そのとき、言葉にしてみて少しだけ、あの曖昧な感情の欠片だけでも分かった気がした。


 ぼくが自分から動かなければ、ぼくがきちんと思い出さなければ、唄川メグの痕跡は取り戻せない。唄川メグが電子海(ネット)からもこの世界からも消えてしまった以上、ぼく自身が唄川メグに辿り着くための鍵だ。そこにぼく自身の私情は関係ないのに。


 ぼくが放棄すれば、唄川メグは永遠に戻らない。みんなが惹かれ、必死に追い求めている存在は、ぼくの意志ひとつでどうとでも転がってしまう。


 そして、どう転がろうと「唄川メグ」という存在が復活する確証がどこにもない。


 不思議な話だ。「唄川メグ」を蘇らせることがゴールじゃないはずなのに、誰もがそれを心のどこかで期待していて、けれどぼくはその期待に応える(すべ)を持っていない。いまのぼくにとって歌うことは「好きなこと」に含まれていない、ましてや「できること」でも「やりたいこと」でもない。


 ────そう。きっと、これは"罪悪感"だ。


「ぼくが歌えないと、きっと誰かが困るんじゃないかって。歌えないと、きっとみんな残念な気持ちになって。……ぼく、そんな顔見たくない、でも、」

「んなのどうだっていいだろ」


 ぼくの言葉を、圭は「ハッ」と鼻で笑って遮った。


「やっぱガキだな、お前。誰がお前に一度でも『歌え』っつったよ」

「で、でも、」

「デモもクソもねえ。無理強いはしねえし、お前は好きに生きりゃいい。何度も言わせんな」

「それとこれとは」

「違わねえよ。……あー、くそっ」


 後頭部をガシガシ掻きながら、圭が振り向く。モニターのブルーライトを逆光に、ぼくへ向かって人差し指を突きつける。


「いっそはっきり言ってやる。いいか? お前が歌えようが歌えまいが俺には一切関係ねえ。お前が歌が上手かろうがド下手だろうが、俺にはどうだっていいんだよ」

「どうだっていい、って……」

「んだよ、言葉通りの意味だろ。そんなことより」


 ぼくの言葉を遮って、圭は話題を変えた。


「どうすんだよ、お前は。あいつに会うのか、会わねえのか?」

「あいつ、って」

「『街ロマP』。昼間にDM寄越してきたあいつ」


 圭の言葉に面食らう。「なんでぼく? 圭への連絡だよね?」


「お前も関係あんだろ。お前が他のPにも会ってみてえなら良い機会だろ」

「……ぼく、別に」

「そうか? なら断っとくか。まあ俺も初対面だ、話してえことも特にねえしな」


 呆気なくそういう圭。


「ちょ、ちょっと待って圭! なんでやめるの? 圭に会いたい、ってヒトだよ?」

「なんで、って……。お前が別に会いたくねえって、」

「ぼくじゃない、圭の話だ!」

「だから、俺は元々会うつもりねえんだって」


 なんでだろう。どうしてだろう。分からない。圭の考えが分からない。


 いや、違う。圭の言葉は分かるのに、圭の言い回しが納得いかない。なんだか圭が、ぼくを中心に話を進めようとしているようで。ぼくの言葉が圭に伝わっていないようで。


「……もしかして、会った方が良いから?」

「ハァ?」圭が眉を顰める。

「ぼくが会った方が良いから、それなのにぼくが"会わない"って言ったから?」


 圭が、訳が分からない、と言った様子であからさまな溜め息を吐いた。語気が強くなっていく。


「俺の言ってる意味が分かってねえのか? "お前のやりたいようにやれ"って言ってんの! 俺の考えを勝手に捏造して、勝手に話進めんな。こっから先は、お前がどうしてえのかだけ考えてろよ」

「だから、ぼくはそうしてる! 圭が"した方が良い"って言うなら、」

「それが違えって言ってんだろ!! いつ俺がお前に、こうしろああしろって言ったよ、あ? さっきからいちいち他人(ヒト)の顔色ばっか窺いやがって。お前が"歌いてえ"って思ってねえなら歌う必要ねえし、お前が"会いてえ"って思ってねえなら会う必要ねえ、そんだけの話だろ! 俺にも『メグ』にも甘えてんじゃねえぞ、ガキが!!」

「なんで……、ぼく、本当悩んで……ッ!!」

「その悩んでんのを俺に押し付けんなッ! 俺は、お前がここに居てえってんならそれだけで、」


 そこで圭はしばし動きを止めた。それからガバッ! と顔を覆って悪態をつく。


「……………………あークソッ! とにかく、俺は俺のやりたいようにやってる、ガキはガキらしく好き勝手に遊び回ってろ、いいな!?」


 圭はそれっきりモニターに完全に向き直ってしまった。腹立たし気に、組んだ膝をゆらゆらと神経質に揺らすばかり。もうぼくの方になんて見向きもしない。


 なんでだ。なんてことだ。何で圭は、こんなに。


 胸の奥がぐるぐるする。それもさっきまでの冷たさとはまるで逆の、ぐつぐつ煮えるような熱いものが、胸の奥でぐるぐると。


「……ぼく、『街ロマP』ってヒトに会う」

「お前、まだッ──!!」

「でも圭は来なくていい」


 瞬間、怒りに任せて振り返った圭が動きを止めた。たっぷり十秒くらい間を空けて、圭が口を開く。目を白黒させながら。


「……い、いま、なんつった?」

「もう1回言う。圭は来なくていい。別のヒトと行く」

「"別のヒト"って誰、……ってか呼ばれたのは俺だぞ!?」

「圭は会いたくないって、さっきそう言ってた。別のヒトは……、リ、リズとかアサヒとか、誘う」


 呆気にとられた顔の圭は、我に返ったように歯を食い縛った。


「ハッ、スーパーの前でぴーぴー泣いてたガキが? 知らねえ奴と? 無理だろ?」

「無理じゃない。圭が居なくても平気」

「ハァア? そんじゃ俺が居たって平気だな。あーあー行くよ行ってやりますよ俺もな!?」

「こ、来なくていい、ってぼく言った!」

「お前に聞いてねえよ、俺が行くって言ったら行くんだよ。お前には関係ねえだろ」

「……勝手にすればいい。ぼくにも関係ない」

「そうだな、俺にもまったくこれっぽっちも関係ねえかんな!? あー清々するわガキのお守りしねえで済むなあー清々する!!」

「~~~っ、おやすみっ!」

「おうおう寝ちまえ寝ちまえッ!!」


 ボスッ、と枕にダイブする。それでも身体のムズムズが収まらなくて、毛布を頭から被って、静かに地団太を踏んだ。エアコンの涼しさもなく、ただただ身体の芯がゴゥゴゥと熱を発している。


 なんだ。なんだ。なんなんだ。圭はどうして、あんな言い方をするんだ。


 でも、別にいい。圭のことなんか気にしない。気にする必要なんてない。早く寝よう。早く寝て、街ロマPに会う時の為に、明日また外に出る練習でもしよう。そうだ、そうしよう。


 瞼をギュッとつむる。眠れ、眠ってしまえと言い聞かせる。そうしているうちに、本当に意識は眠りの内に溶けていった。


 眠りに完全に落ちる寸前、ふと圭の匂いが鼻をくすぐった気がした。




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