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Missing Never End  作者: 白田侑季
第5部 劇場
67/125

K汰 - 泥濘とフランタン




「────────お前は、音痴だ」




「音、痴…………」


 圭の言葉を口の中で反芻する。


 意味は分かる。「音痴」、音の感覚が鈍いこと。


 でも、ぼくが────?


 別に自信があった訳じゃない。確信があった訳でもない。だっていままで一度も歌ったことなんて無かった。それでも、自分のことながら意外だった。感情じゃなく、事実として驚いた。意外過ぎて頭が追い付かない。


 ぼく、かつては「唄川メグ」だったはずじゃないのか?


 合成音声とはいえ、たくさんの唄を歌っていた存在だったはずじゃないのか?


「メグちゃん、大丈夫?」

〈……何どストレートに言ってんのK汰。ノンデリ?〉

「い、いや俺は単に、こいつが"嘘は嫌だ"っつったから正直にだな……」


 ノアとたまも心配そうにしながら、でもどこか一歩引いたような態度だ。圭も狼狽えつつ、どこか気まずそうにしている。


 ぼくは慌てて首を振った。


「ぼく、大丈夫だよ。なんにも思ってない」

〈一回こいつ殴っといた方が君のためだよ? ボクが許す〉

「ほ、本当に大丈夫なんだ、たま。本当に気にしてないんだ」


 もう一度首を振る。本当に気にしてない、ぼくの本心だった。それは胸に手を当てても変わらない。意外だっただけで辛いわけじゃない。


 ぼくとメグは違う。同じだけど違う。片やみんなと一緒に無数の楽曲を作り上げ、みんなからたくさんの想いを受け取った「虚数の歌姫」。片やその記憶を忘れて、ヒトと会うことが苦手になったただの「ぼく」。そんな隔たりがあるんだから、メグのように歌えないのは至極当たり前のことだ。引っかかることなんて一つもない。


 ただ。


 ────このもやもやだけが、分からない。


 唄川メグ。〈虚数の歌姫〉。彼女の歌声。そこに抱く、ぼくの中の曖昧な感情。メグの声を思い出すことを諦めたい自分。メグの声を思い出したい自分。それに伴う不安、不快、不満、安堵────。そのどれもが理由が定かじゃない、正体不明の感情の群れ。


 歌。彼女の歌声。複雑に織りなされた音粒の奔流。


 違うからこそ取り戻せない、彼女(メグ)が好きだと言った能力(うた)


「……すごいなぁ」


 思わず、口を突いて出た。リズの言葉を思い出したからだ。


 「己」を知ったなら──イマの「好き」を知ったなら、もう怖い物なんてないワ。


 リズはそう言っていた。きっとメグは歌うことが好きで、きちんと「自分」を知っていて、怖い物がなくて、だからこそこれほどまでみんなの曲を歌えたんだろう。だからこそ、これほどみんなに求められる存在だったんだろう。


 複雑なことをさらりとやり遂げて、それを「好きだ」と言える意志がある。メグにとって歌は「好きなこと」であり、「できること」であり、「したいこと」だった。


 ぼくは、どうだ?


 好きだと言えるものはある。「好き」を広げていけば、それが「自分だ」と胸を張って言える。リズから教えてもらったことは間違いなんかじゃない。けれど、それだけじゃ足りない。たぶん足りないんだ。「できること」も「したいこと」も、きっと何もかもが足りない。


 「好きだ」の延長線上にある明確な未来が、ぼくには無い。


 そして音痴なぼくは──そうなりたいかは別として、「唄川メグ(虚数の歌姫)」という指標を最初から、完膚なきまでに失っている。


 すごい。みんなすごい。メグも、圭も、みんな。……ぼくには、


 ぼくにはできる気がしない。


 ねぇ、とみんなに訊いてみる。


「みんなは。音楽、好き?」


「ん? 急にどうしたの、メグちゃん?」小首を傾げるノア。

「深い意味は無いんだ。でもみんな、たくさんの音楽を作ってるんだよね。それは、みんなが音楽を好きだからなのかな、って」


 唄川メグが歌うことが好きなのと同じように。


 ノアは、うーん、と言いながら空を仰いだ。短い黒髪が時折吹く風にふわふわと揺れる。「前にも言ったけど、わたしはみんなを救いたくて。その為に曲を作ってるの。もっと言えば、みんなを救いたいっていう目的を一番成せる方法が、たまたまわたしにとって音楽だった、ってだけかな。もちろん曲作りは楽しいけど」

「"楽しい"……。たまも、そうなの?」


 話を振られたたまは、少しの間スマホの中で黙っていた。それから少しずつ〈……ボクは、〉と手探りみたいに訥々(とつとつ)と話してくれた。


〈ボクは、思ってることを声に出せたから〉

「"声"?」

〈どうせ言ったってどうにもならない、って。そう思ってることを、それでも声に出せる方法が音楽だったから。そんなことを君がキラキラ歌ってくれてた、と思うから。最初は本当にそれだけの、鼻で笑えちゃうくらいの理由だったんだけど〉


 そこでたまは言葉を切った。


〈今なら、今のボクなら。"後悔してない"って、心から思える。──君のおかげで〉


 いつものたまとは少し違う、力のこもった言葉。静かな熱のこもった声色。でも、ぼくが「ありがとう」という前に、たまはいつもの調子で話題を圭に振った。


〈それじゃあ最後は、伝説じみた我らが『K汰様』に締め括ってもらおー。ホラホラ、いい歳こいたオジサンの積年の痴態をさっさと晒しなよ、ちゃーんと録音しといてあげるから〉

「た、たま……」


 茶化すようなたま。慌てて宥めようとしたけれど。


 圭は静かだった。ぼくらの声が聞こえていないみたいだった。


 額の汗を拭うのも忘れて、真剣な眼差しで虚空を見つめている。その瞳の奥はどこか遠い夢を見るような、懐かしい思い出を蘇らせているような、そんな色を含んでいた。暑さで少し乾いた圭の唇が、そっと開く。


「…………俺は、」


 そのとき、圭のスマホが鳴った。ビクッとしながら、圭は夢から醒めたような顔で悪態をつく。


「ったく。んだよ、こんな時、に…………ハァ?」


 渋々ポケットからスマホを取り出した圭が、画面を確認して固まった。


「圭?」


 圭は応えない。怒っているでも呆れているでもなく、単純に画面の内容に戸惑っているようだった。


 狭いベンチの中、もぞもぞ動いて圭の画面が見える位置まで身を乗り出す。画面に開かれているのは文面だった。誰かからの連絡だろうか。


「これ、"でぃーえむ"?」


 前に圭が言ってた単語を口に出す。誰かと連絡を取る時に使うツール。でも画面を見る限り、圭から連絡を取った訳じゃなく、向こうが突然圭に連絡してきたみたいだった。〈初めまして、急な連絡で申し訳ありません〉。そんな言葉で始まる文章はそれなりに長く、文字列に慣れてないぼくは途中から目がチカチカしてしまう。かろうじて文章の最後に〈是非一度お会いしたいです〉とあるのは読めた。


「……んで、急にこんな奴から、」

「圭?」

〈なに急に〉「どうしたのK汰君?」


 たまとノアも口々に尋ねる。ようやく我に返った圭が、ぼくらにも見えるよう、溜め息混じりにスマホの画面をかざした。


「一度も関わりねえ奴から、"会いてえ"だとよ。本物かどうかは知らねえがな」


 ノアと並んで、改めてぼくも画面を注視する。〈……げ〉という声が聞こえる辺り、たまも圭のスマホへ移動したみたいだ。


〈いや、コレ100%本物じゃん……。どこで知り合ったの〉

「だから知り合いじゃねえって」

〈はいはい、これだから自称・主人公様は。『マチロマピー』とのコネがありますマウントで、自分も大御所ですアピールですかー良いご身分ですねー〉

「俺の話聞いてる?」


 マチロマピー。それがこの"誰か"の名前なんだろうか。でも文章の先頭に書かれた名前らしき部分はかなり長かった。


 「マキシマム遥@ある日街角でロマンスとぶつかるP」。……もしかしてその省略形が"街ロマP"なんだろうか。


 それでもやっぱり「街ロマP」が誰なのか分からない。圭やたまと同じく、隣でにこやかに驚いているノアに尋ねてみる。


「ノアも、このヒト知ってるの?」

「もちろん知ってるよ! それこそ、にくたまうどん君ぐらい有名なヒトだよね」

〈いやいや、ボクみたいな程度の低い奴と比べるなんて烏滸がましいよ。……あと呼び方、"たま"で良いから〉


 たまが心底嫌そうに否定する。でもノアは「そうかな?」と微笑んだだけだった。


「そんなことないと思うけどなぁ。たま君も『街ロマ』さんも、1000万再生越えの曲を何個も作ってたり、有名な歌い手さんにもカバーしてもらったりしてるでしょ?」

〈字面だけ聞くと同じっぽいけど、その中身が違い過ぎるんだよ。雲泥の差ってやつ。比較するにしてもZIPANDA( リズ )レベルじゃないと釣り合わないんだよ、ボク如きじゃなくね〉


 たまが、ハァと溜め息をつく。


〈知名度も人気も桁外れ、"恋愛ソング"と言えば真っ先に名前が挙がるメジャーP。ボクみたいな三流じゃ足元にも及ばない、正真正銘の最大手だよ〉




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