K汰 - 青春ボーナス一括払い
不思議な夢を見た。
どうして、…………いや、違う。
この夢は何度か見たあの夢──白い夢だ。
案の定、ぼくの目の前には少女が立っている。
薄水色のセーラー服。ふわりと広がるプリーツスカート。白いハイソックス。それから、溺れそうなほどに真っ青な瞳。
真っ青なロングヘア―はまるで綺麗なせせらぎのように、白い世界の中で揺らめいていて。鮮やかな青空色のマニキュアは、透き通るような白い指に映えていて。
『──こんにちは』
そっと微笑んで、その淡い桃色の唇を開いた。
『私の名前は唄川メグです』
───────唄川メグが、そこにいた。
声はない。音もない。でも分かる、唄川メグがそう言ったのがちゃんと分かる。
ぼくも、そっと口を開く。
『こんにちは、唄川メグ』
ぼくの挨拶に唄川メグは優しく目を細めた。白い世界に映える満面の笑み。でも、その笑みはもう狂ったようなものではない。ぼくを責めるような言葉でもない。愛おしむような、慈しむような、そんな柔らかな微笑みを湛えたまま、声なき声で尋ねてくる。
『あなたの名前は唄川メグですか?』
ぼくは首を振らない。肯定も否定もしない。
『前は唄川メグだった。でも今は、ぼくはぼくだ』
唄川メグは満足気に頷いた。手を後ろで組む仕草が愛らしい。
『あなたは唄川メグではありませんか』
『うん。ぼくは君にはなれない。君は君だよ』
『はい。私の名前は唄川メグです。歌うことが大好きです』
少し驚いた。これまで聞いたことがない台詞だ。いや、記憶に無いだけでぼくも昔はああ言っていたんだろうか。
『ぼくは……、まだ"歌うこと"がよく分からないけど。でも、"好きなもの"はある。たくさんできたんだ』
圭にアサヒ。リズ。たま。ノア。イツキとミヤト。圭からもらったヘッドホン。「K汰」の曲。冷たいアイスクリーム。ふわふわのオムライス。扇風機の風。シャワー。
不思議だ。考えただけで、思い出しただけで、この真っ白い世界の中でもあたたかい想いが溢れる。圭と出会ってまだ1ヵ月すら経っていないとは思えないくらい、色んなことがあった。色んなことに気付けた。手放したくないものを知った。
『ぼくは、……ううん、ぼくにも大好きなものができたよ。メグ』
ぼくの言葉に唄川メグは目を見開いていた。真っ青な瞳が星空のように煌めいて、それからそっと目を伏せた。睫毛を震わせた。穏やかな微笑みなのに、その裏にどこか翳りのようなものが見えた気がした。
ふいに、唄川メグが胸に手を置いた。
『私は歌うことが大好きです。私の名前は唄川メグです』
そしてその手を、今度はぼくに向ける。声もなく。音もなく。まるで神様のように、ぼくと同じ顔で。
ぼくが見たこともない微笑みを浮かべながら。
『あなたの名前は、何ですか────────』
ガバッ! と飛び起きた。
「……お。起きたか」
と、同時に声が聞こえた。寝ぼけてまだ回らない頭で振り向くと、パソコンに向かっていた圭がこちらを振り向いた。
「何か飲むか? 冷蔵庫にポカリあんぞ」
囁き声に近い圭の声。わざと落としているような声が少し不思議だったけれど、それよりも頭のもやが晴れない。心なしか身体も重い。
「んー……」
はっきりしない頭で中途半端な返しをするぼくに、圭がからかうような笑みを浮かべた。「ったく、思いっきり起き上がるからそうなんだよ。もうちょい今の体力を自覚しろっての。大丈夫か?」
"今の体力"? どういう意味だろう。それを聞こうとして声を出そうとすると、今度は盛大にむせた。喉が乾燥して張り付いている。いったい。そんなぼくの様子を見かねたのか、圭が立ち上がり、冷蔵庫からペットボトルを一本渡してくれた。キャップのふたも代わりにパキッと開けてくれる。
「ゆっくり飲め。一気に入れたら身体が付いていかねえぞ」
「それ、って……」湿らせた口でそう呟く。
「気付いてねえのか? お前、丸一日寝てたんだぞ」
「ま、まるい、ち、……!?」
驚きでまたむせた。背中をトントン、と圭がたたいてくれる。
「おうおう、いいリアクションなこって。まあ水分摂ったりで何度かは起きてたがな。アサヒんとこのガキ2人と色々あったその日の夜から今まで、ほぼぶっ通しで寝込んでんぞ」
「じ、じゃあ今日は、」
「11日」圭がモニターの隅の日付を睨む。「ちょうど7時過ぎたあたりか」
「ご、ごめんなさい……」
「謝るこたあねえだろ。そんだけ疲れてたってことだろうしな」
まさかそんなことになってたとは。確かに、言われてみれば何度か目を覚まして、寝ぼけまなこで水分を口に含んだりトイレに行ったりした記憶はあるけれど。それ以外はほとんど覚えてない。深い眠気に誘われてしまうくらい、あの時のことで体力を使い果たしていたんだろうか。
「けどまあ」と圭が隣に座り込む。「その調子だと、もう完全に目ぇ覚めたらしいな。軽くなんか食うか? アサヒの作り置きやら買い置きやら、色々あんぞ」
「ありがとう……。あ、それより圭」
「んだよ」
「……ぼく、またあの夢を見た」
「"あの夢"?」
圭の言葉に頷く。「うん。──『唄川メグ』が出てくる夢」
圭の表情がサッと変わった。身構えたまま、慎重に口を開く。
「前にも言ってた、"変な夢"か」
「うん」再び頷きながら、もう朧げになりかけてる夢の内容を反芻する。「でも、今回は"変"じゃなかった。メグは笑ってたし、優しかった。それに『歌うことが大好きだ』って言ってた」
「……歌うこと、ねえ」
これまでもメグが夢に(あるいは妄想の中に)現れたことは何度かあった。でも、彼女が話す内容はあくまで「私の名前は唄川メグです。」という台詞のバリエーション違いでしかなかった。あそこまで別の台詞が来るとは思わなかった。
「メグの声は聞こえなかったし、それはぼくの夢の中だからかもしれないけど……。でも、メグは確かにそう言ってた」
ぼくの隣であぐらをかいた圭が、片膝の上で頬杖を突く。「それで、お前は何て返したんだ?」
「ぼくにも好きなものができた、って伝えた。メグもちょっと嬉しそうで……。あ、でも」
思い出す。夢から覚める前、メグが最後に言った言葉。
「最後にこうも言ってた。ぼくに向かって、『あなたの名前は何ですか』って」
白い透き通るような手のひらをぼくに向けて。青空色のマニキュアも鮮やかに。ぼくに向かって、見たことのない複雑な微笑みで。
唄川メグは、そう言った。
圭はしばらく黙ったまま、何かを考えこんでいるようだった。それから少しして、軽い溜め息を吐いた。
「やっぱ、関係があんのかもな」
「? どういうこと?」
「お前が唄川メグの夢を見た後は何かしらの変化が起こるのかもな、って話だ。前にお前が『夢を見た』って言った時は、唄川メグの立ち絵が思い出せた、つってネットの奴らが騒いでたろ。今回も似たようなもんだ。まあ今回のは、前回の比じゃねえがな」
まだ首を傾げ続けるぼく。圭の言う、今回、とはどういう意味なんだろう。メグのイラストが分かったのと似たようなもの、って一体、
「────────あ」
そのとき、唐突に理解した。
いや、思い出した。その感覚は不思議を通り越して、もはや異様だった。霧が晴れるような感覚とも違う。壊れたものが治る感覚とも違う。
それはまるで、今までずっと眺めておきながら一度も意識したことがなかったものを、誰かにふと指摘された時のような。
「お。お前も思い出したか」
ぼくの表情から察したのか、圭が腰を上げる。さっきまでいたモニターの前に戻り、キーボードやマウスをカチャカチャと動かす。
「俺も今朝、起きた瞬間気付いた。負荷は無かったがすげえ情報量だ。一回で浚い直すには骨が折れたが……、ハッ、やっぱな!!」
画面に映った何かを圭が鼻で笑う。「さっすが、ネットの奴らは仕事が早え。もはや年表だろ、これ。なんならこっち見た方が整理しやすいかもな」
そのとき、ム゛ーッ、ム゛ーッ、と圭のスマホが鳴った。しかも、途切れることなく頻りに震えている。圭が呆れたように頭を掻く。
「ったく、朝っぱらから何度も何度も鳴らしやがって」
「だれ?」
「おおかたリズかアサヒだろ。あいつらも早々に気付いたらしいしな、夜中の5時から通知鳴らすなんざマナーが……ってなんだよ、ミヤトかよ。クソッ、好き勝手にスタ爆しやがって。昨日の今日で距離感近すぎだろ、最近の若え奴はどうなって……ってノア!? んだよ、俺のスマホにそんなホイホイ送り付けてくんじゃ……だからイツキは文面長えんだってッ!!」
次から次へと鳴り続ける通知音。頭を抱える圭。何だか賑やかそうだ。そんな圭を横目に、ぼくも寝床から抜け出す。おそるおそる圭の背中越しに画面を覗いた。
細かい文字。ピカピカ明滅するカラフルな文面。その上に太字で大きく書かれた言葉。
そう、ぼくらは思い出したんだ。
それまで立ち絵しか判明していなかった、唄川メグ。虚数の歌姫。
そんな彼女が歩んだ軌跡。
彼女の「歴史」。その全てを。
〈【急募】おまえらが思い出した唄川メグの情報貼ってけ!!〉




