K汰 - スモーキングリベンジャー
「うちの子達が、ほんっとーーーーーーに申し訳ありませんでしたッ!!」
イツキとミヤトの2人の頭を両手でガシッと押さえつけながら、アサヒが2人に思いっきり頭を下げさせる。
その光景に、頭を下げられた側の圭は、とても複雑な表情を浮かべていた。
「…………すまん、まだ理解が追いつかねえんだが」
「それは私もよ」とアサヒ。「でも、この子達が2人に迷惑をかけたのは事実だもの。だから」
そう言って、アサヒはまた深々と頭を下げる。
「本当に、ごめんなさい」
いつになく沈痛な表情のアサヒ。圭もさらに渋い顔になり、傍らのベンチにどかっと腰を下ろした。
その様子を、ぼくはノアと一緒に、少し離れた別のベンチから見ていた。
「それにしても、びっくりだなぁ」
隣のノアが、大きく伸びをしながらため息を漏らした。「まさかイツキちゃんとミヤト君のお母さんが、あの『ヒロアキ』さんだったなんて」
「ノアも、アサヒのこと、知ってたの?」
「"アサヒ"?」
一瞬首を傾げたノアだけど、すぐに「あぁ!」と理解したようだった。「うん、もちろん。わたしは直接関わったことはないんだけど。わたしがPとして活動し始めるよりも前から、色んなMVのイラストを担当してて、名前は聞いてたんだ。その界隈じゃ結構な有名どころだよ」
「そうなんだ……」
「それこそ、ZIPANDAちゃんのMVもかなりの数担当してたはずだよ。仲良しさんだね」
そう言って、ノアは和やかに笑う。ついさっきまでイツキやミヤトにあんなことを話してたとは思えないくらいに、ノアは軽やかだ。ノアの透き通るような肌の上を、木洩れ日が音もなく滑っていく。
あのあと、ぼく達はすぐに駐車場を後にした。たまやノアの言う通り、いつモール内から警備員たちがやってくるか分からなかったし、騒ぎが大きくなるのも怖かった。
もちろん問題はあった。荒れ果てた立体駐車場だ。傷はたくさん付いたし、ミヤトの異能で出来た"羊"達もそこら中に転がっていた。ミヤト曰く、一度壊れてしまった"羊"はミヤト本人にはどうすることもできないらしく、一度はそのまま放置して立ち去ろうかという意見も出た。
でも、そのときイツキが声を上げた。
私が直します、と。
まだ涙の乾ききってない頬を拭いながら。収まらない震え声を飲み下すように。
ミヤトは抗議していた。あの心配の仕方から考えて、たぶんイツキにも何らかの『代償』があるんだと思う。でもイツキは譲らなかった。ノアが「見栄えを直すくらいでいいんじゃないかな」と助言していなかったら、一分の欠けもなく完璧なまでに直していたかもしれない。
そうしてある程度アスファルトが均されたのを確認して、ぼくらはアサヒの車で駐車場を離れた。車は本来は4人乗りらしく、7人で乗るとぎゅうぎゅう詰めだった(たまはスマホの中だった)けど、誰も口を開かなかった。時折運転席と助手席で、アサヒとリズが目的地をどこにするか話していたくらいで、後部座席のぼくらは押し黙ったまま、狭い車内でひたすら揺られるばかりだった。
イツキもミヤトも暗く、疲れ切った表情だったし。圭もぼくもそんな空気の中で口を開く気にはなれなかった。
エンジン音以外が聞こえないまま十数分後。車が止まったのは、人影のない公園。
ぼくらが最初にノアと出会った、あの公園だった。
〈まったく。結局ギリギリだったじゃん、ZIPANDA。ボクが車の誘導とかカメラ映像の差し替えとかで時間稼ぎしてなかったら、絶対間に合ってなかったね、アレは〉
「ンもう、しょうがないでしょう。K汰チャン家からヒロちゃん家までどれだけ距離があると思ってるのヨ? ネット使って『どこでもドア』できるチートボーイに勝てるはずがナイでしょ?」
公園の入口近く、停車した車に寄り掛かるようにして、リズとたまが話している。華やかなレースが目を惹く折り畳みの日傘を片手に、リズはスマホの中のたまに不満を漏らしていた。
「大体、勝手に抜け出しちゃうなんて反則よォ」
〈その"反則"をしなかったらK汰は絶対死んでた、に一票〉
「ま、ソコは否定しないケド」
〈……ZIPANDAって案外ドライ? 一応はあいつの仲間みたいなもんでしょ?〉
「ノンノン! コレは"信頼"って言うのよォ。もちろん、たまチャンへの、ネ」
〈わーすっごく嬉しいー感謝感謝ー。毛ほども嬉しくないねありがとう〉
「アラ、たまチャン自身に対する"信頼"じゃないわよォ。厳密には、たまチャンなら絶対"キティちゃん"の為に真っ先に駆け付ける、っていう信頼ネ。ごめんあそばせ?」
〈……ほんっと、良い性格してるよね、ZIPANDAって!!〉
「ンフフ、お互いサマ! ついでに口うるさいオネェからの助言ダケド。"口だけ素直じゃない系男子"って下手すると冗談抜きで嫌われるカラ、好きな人にはちゃんと本心で話さないとバッドエンドまっしぐらよォ。気になる"あのコ"と話すときはご注意を☆」
〈ご高説どうもッ!!〉
よく分からないけど、なんだか楽しそうだ。ぼくの視線に気付いたリズも、いたずらっぽいウィンクとともに、手を振ってくれた。
リズに手を振り返しながら、再び視線をアサヒ達に戻す。まだアサヒは圭に謝っていた。その両脇でミヤトも、そしてイツキもまだ暗い顔のままだ。
────やっぱり、私、間違ってたの? 私が傷付けたことは、ずっと、何をしたって、なおらないの?
イツキの言葉を思い出す。傷付けたことを、間違ってしまったことをやり直したくて、過去を無理やり変えようとしたイツキ。治せない傷までも治そうとして、治せると信じてひた走って、あれほどの涙を流したイツキ。
イツキはきっと、本当の意味で優しいヒトだ。だからこそ、絶対に治せない傷もいつか治せると信じ込んでいたからこそ、治そうとする努力を諦められなかった。だからこそ、諦めようとする自分を赦せなかった。赦せずに、頑張りすぎてしまった。
ノアが言ったように、治せない傷も確かにあるのかもしれない。やり直せない過去も、水に流せない過去も、あるのかもしれない。
それを知ったイツキは。これからどんな選択をするんだろう。
「……大丈夫、かな」
思わず言葉が漏れた。その言葉を、隣のノアがすくい上げる。
「大丈夫だよ。イツキちゃんなら」
「そうかな」
「そうだよ。だって、あれだけ素直に泣けてたんだもん。あれなら心のつかえも少しは取れたはず」
イツキの横顔を見つめるノアの瞳。見透かすような、透き通るような、赤みがかった茶色の瞳。ぼくもつられて、イツキを見やる。
「……そうだと、いいな」
ノアが柔らかに微笑む。
「あ、でもわたしね。君のことも気になるの」
「ぼく?」
ふいに水を向けられて、少し戸惑う。どういうことだろう。
「うん、最初にここで訊いた時も思ってたんだけど。────ねえ、メグちゃんはどうして過去を知ろうとするの?」
一瞬、ノアの言葉の意味を理解するのに時間がかかった。思わず首を傾げた。だって。
だってその問いは、最初にノアと出会った時に訊かれたことと、全く同じだったから。
「どうして、って……。それは、」
「うん、そうだね。わたしが最初にメグちゃんに訊いた。メグちゃんの言葉をちゃんと理解できたのも、嘘じゃない。ただ、まだうまく共感ができなくって」
「共感……」
ノアが微笑む。変わらない明るいトーンで、淡々と、鈴のような声で。
「イツキちゃんにも言ったけど。一度受けた傷は治らない。過去はやり直せない。つまりね、過去を振り返ったところでどうにもならないの」
「……でもノアは、治らない傷は受け入れるべきだ、って」
「うーん、この場合はちょっと違うかな。傷があるかないか以前に、メグちゃんにはいま記憶がないでしょ? 記憶喪失って、思い出したくないほど辛いことがあって、脳がわざと記憶を消すから起こるんだって。だから、無理に瘡蓋を剥がすようなことしなくてもいいんじゃないかな、ってこと」
記憶が消えたのは、それが辛い記憶だからかもしれない。最初のころアサヒもそんなことを言ってくれていたけれど。
蒸し暑い空気を洗い流すように、ざあっと押し寄せる葉擦れの音。生ぬるさを含んだ、吹き抜ける夏風が、ノアの髪を揺らめかせる。
「人は人のままで良い。君は君のままで良い。それだけで素敵なことなんだよ。メグちゃんがこれ以上傷付くようなこと、する必要って本当にあるのかな?」
澄んだ瞳で、澄んだ声で、ノアがぼくに尋ねる。
「ノアは、ぼくが記憶を取り戻して、それで傷付くのが嫌なの?」
「もちろん! わたしは誰にも傷付いてほしくない。傷付いた過去は変えられないとしても、過去を振り返って傷付くことは止められるでしょ?」
穏やかな笑みを浮かべるノアの口元が、そっとささやく。
「過去を振り返ったって変えられないのに、わざわざ振り返ってまで傷付かなくていい。君自身も自覚してるように、いまの君は『唄川メグ』じゃない。『虚数の歌姫』なんかじゃない。みんなの前に出なくていいし、歌だって歌わなくていい、無理することなんて一つもない。君は、君としてここにいるだけで、それだけで素敵なんだから」
「────君は、そのままの君でいいんだよ?」
ドクン、と心臓が静かに跳ねた。
ぼくは『唄川メグ』じゃない。ぼくは『唄川メグ』にはなれない。そのことは痛いほど分かっていた。分かっていたつもりだった。
でも、その隔たりが怖かった。みんなと居たいから、自分のことを知りたいから、そう言葉にしていたし、実際にそう思っていたけど。たぶん心のどこかでは怖かったんだ。
自分なのに自分でない存在。それなのに想われていた『唄川メグ』。圭に、アサヒに、リズに、たまに、ノアに、イツキに。みんなに想われている『虚数の歌姫』。
真っ白い世界に、独りで、笑顔で立ち続ける、青の少女。
そんな『唄川メグ』と、ちっぽけなぼく。愛される歌姫と、守られるだけのぼく。絶対的に届かない『自分』。そんな存在がぼくと繋がることが、ぼくと、言葉にできない恐怖。
けれどノアは言った。過去はやり直せない。やり直す必要がない。ぼくはぼくのままでいい。
圭の言葉が、共鳴するように脳裏に閃く。あの夜、リズの家のバルコニーでぼくに言ってくれた、あの言葉。
ぼくが、いまのぼくを蔑ろにしないように。
「……あれ」
でも、それなら。
口を開こうとしたそのとき、ぼくらの下に影がさした。
「なあ」
振りあおぐと、ミヤトが立っていた。その側にはアサヒもいる。ちら、と視線をずらすと、イツキはまだ圭の隣にいるようだった。圭の肩に右手を置いている。
「……ああ、イツキには圭くんを治してもらってるの」
ぼくの視線に気付いたアサヒが一言添える。「あの子も反省してるみたいだし、圭くん自身も『傷を塞ぐだけで良い』って言ってくれたから、イツキに無理はさせてないわ。……まあ、そんな力があるなんて私もさっき知ったんだけど」
それから申し訳なさそうにぼくの目を見据えた。「事情はある程度聞いた。今回はアナタにも怖い思いさせちゃったわね。本当にごめんなさい。……ほら、ミヤト。アンタが一番迷惑かけたんでしょ」
アサヒに背中を叩かれたミヤトが、促されるように視線を落とした。
「……………………悪かった」
「『悪かった』じゃないわよね『申し訳ありませんでした』よねアンタ良い加減にしなさいよしっかり謝んなさい? ……ごめんね、本当に」
アサヒに頭をガシッと掴まれたミヤトが、無理やり頭を下げさせられながら「いだだだだだ」と叫び声を上げる。
「い、いいよアサヒ。ぼくは何ともないし、圭も元気になるならそれで。……それより」
ぼくは一瞬口をつぐむ。でも、思い切って言ってみた。
「ぼく、ミヤトに聞きたいことがある」
「……おれに?」
急に話を振られて驚くミヤトに、ぼくは頷く。
「うん。────イツキのことについて」




