K汰 - 贅沢な走馬灯
「────────私と一緒にやり直そう、メグちゃん」
そう、イツキは言った。頬は涙で濡れていたけれど、浮かべた微笑みは本当に優しくて、あたたかかった。握ってくれた手のぬくもりが柔らかかった。圭と手を繋ぐのとはまた違う、アサヒやリズとハグをするのとも違う、ふっと心が軽くなるような、そんなぬくもりだった。
そっと俯く。握ってくれたイツキの手を見下ろす。そして理解する。
イツキは、本当にぼくに寄り添おうとしてくれている。
ぼくの力になりたい。ぼくを助けたい。イツキはそう言った。その言葉に嘘偽りは無いと思った。不安げに揺れる、けれど真っ直ぐにぼくの眼を見て離さない、不思議な力の込もった瞳がその証拠であるように、ぼくには思えた。
でも。
「────ごめんなさい、イツキ」
でも、ぼくは謝った。違うから。
イツキが悪いわけじゃない。イツキの所為じゃない。イツキを信じていないわけでもない。単に、イツキがぼくの現在を知らないだけ、ただそれだけ。
「ぼく、記憶が無いんだ」
「……どういうこと?」
困惑するイツキに、ぼくは打ち明ける。いまのぼくについてを。
「何も憶えてないんだ、ぼく。ぼくが『唄川メグ』だったことも、つい最近思い出せたばっかりで。……でもそれ以外は、何も。どうしてここに居るのかも、どうしてこんなことになっているのかも、どうして記憶が無いのかも」
みんながぼくを「唄川メグ」だと呼んでくれる。ぼく自身も、かつての自分の姿を思い出せた。それが間違っていないことも自覚できている。でも、それだけだ。ピントが合った写真があったって、その時の出来事を思い出せないのだから、実感なんてあるはずもない。
「イツキの言葉は、とっても嬉しい。本当にありがとう。でも、いまのぼくにはやり直すための過去が無い。だから、ぼくはみんなが呼んでくれる『唄川メグ』本人じゃない。みんなと音楽を作ったこと、憶えてなくて、……本当にごめんなさい」
頭を下げる。でも、それは上部の感情じゃなかった。本心からイツキに頭を下げた。
イツキの涙を見たから。イツキが本心からぼくのことを想ってくれている、そう思えたから。こんな状況だけど、イツキの本心にちゃんと応えないと、そう思った。
「でもイツキ。……ううん、だからこそ、ぼくにできることは何でもする。イツキにも協力する。ぼくも『唄川メグ』について、知りたいから。イツキが『唄川メグ』のことを想ってくれてること、伝わったから。でもお願い、圭は──『K汰』は関係ない。……ぼくのこと、たくさん助けてくれたけど、関係ない。傷付いて良いヒトじゃない。だから、」
「………………そう、」
そのとき、イツキの口から言葉が漏れた。
「そう、ですか……」
するり、とイツキの手が離れる。力が抜けたようにへたり込むイツキ。焦点の合わない眼。何かを堪えるみたいな、歪んだ笑み。
「私……、また、間違えちゃったんですね……」
「イツキ?」
でも、ぼくの声は聞こえていないみたいだった。
「アハハ……、またやっちゃいました。馬鹿だなぁ、私……、あの頃からなんにも変わってない」
囁くような独り言。震える指で、震える声で、笑う。呆れたようなその笑みは、どこかイツキ自身に向けられているように見えて。
「結局また突っ走って、また独り善がりで、空回りばっかりで、みんなを巻き込んで、そのくせ、みんなと同じことが出来てない、……結局、誰の力にもなれてない」
「イツキ、」
俯くイツキに声を掛けようとした、そのとき。
「……おいおいおいおいちょっと待てって!!」
ミヤトの声で引き戻された。パッと顔を上げると、ミヤトが焦った表情で叫んでいる。その視線の先を追って、ぼくもハッとした。
真っ黒い壁のように圭を取り囲んでいた"羊"達。その"羊"達が奇妙に膨らんでいる。
「それ以上はマズいって! あんたの身体が持たねーよ、K汰さんッ!?」
────まさか。
そう思った、次の瞬間。
地響きのような破裂音が、駐車場中に響き渡った。
轟音が、ゆっくり、収まっていく。
薄目を開ける。アスファルトが砕け散った土煙が少しずつ薄らいでいく。
すぐ目の前には"羊"が数人、ぼく達の視界を塞ぐように立っていた。どの"羊"もボロボロだ、たぶんさっきの爆発からぼくらを守るための壁として、ミヤトが生成したんだろう。もしこの"羊"達が居なかったら、きっとぼくもイツキもミヤトも全員傷だらけだった。
そして、その爆発の元は。
「────────ゲホッ」
土煙が収まった向こう、口元を押さえながら立つ圭の姿があった。




