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Missing Never End  作者: 白田侑季
第1部 邂逅
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K汰 - インサイドアウトボーイズ




 エアコンの風が頬をなでる。扇風機の風が濡れた髪を揺する。


 ぼくはもう一度スプーンを右手に持ち直し、オムライスを掬って口に運んだ。じゅわ、と広がるソースの酸味。ふわっ、ととろける卵の食感。何度食べてもたまらない。おもわず自然と口がほころんでしまう。


 でもそんなぼくの嬉しさを他所に、圭はちゃぶ台に顔を突っ伏したまま動かない。時々「援交……、誤解……、犯罪……、逮捕……」というような単語が聞こえるけれど、意味はよく分からない。ぼくがシャワーを浴びている間にご飯を買いに行ってくれたようだけど、それからずっとこの調子。今日で二度目だ。


「圭、ごはん、食べないの?」

「……おじさんはいま何も喉を通りません」

「おじさん?」


 ぼくが首を傾げると、圭は伸びた髪を振り乱しながらガバッと顔を上げた。


「そうだよ、今年で三十になる立派なおじさんなんだよ悪ぃかよ! 悪ぃんだよ!」

「わ、わるいの……?」

「当たり前ぇだろ! おじさんとオンナノコが一つ屋根の下! 何も起きてなくても起きたことにされる世の中! どう考えても社会的死ですね本当にお疲れさまでした!」


 怒涛のように叫んで再びちゃぶ台に頭からゴンッ、と突っ伏す圭。なんでだよぉ、と呻く声がどこか物悲しい。


「お前、自分のこと『ぼく』って言ってただろぉ……」

「だ、だって最初、圭がぼくのこと、『ぼくちゃん』って」

「……あー、言ってた、かもな……。そっかー、鵜呑みにしちゃったかー…………」

「ご、ごめん、なさい、」

「あー、謝んな謝んな。元はと言えば俺の勘違いだ。第一、スーパーの帰りにお前を担いだ時に、なんか変だなとは思ったんだよなぁ……」

「変って?」

「そりゃお前のむ、」


 ガンッ、とさっきより強く頭を打ち付ける圭。ちゃぶ台が揺れて、オムライスが容器ごと跳ねる。


「け、圭。それじゃあたま痛いよ、大丈夫?」

「痛いかって……? そうだな、痛いっちゃイタいな……。大丈夫だ……、大丈夫じゃねえが大丈夫だ……」


 ちゃぶ台にめり込まんほどにおでこを擦り付けたまま、圭はまだ顔を上げてくれない。


「てか、マジで最低だな俺……。女の子を男扱いとか、俺の服使えとか……、記憶ない状態でそうされたら、そりゃそうなるわな……。我ながらキモ過ぎて吐く……」


 ぼくは慌てて首を振る。


「それなら、ぼくが悪い。なにも覚えてないからって、なにも言わなかった。圭に頼るばっかりで、自分のこと、性別のこと言わなかった。そんなに大事なことだって、知らなかった。ぼくが、先に言わなきゃいけなかった」


 圭に向かって、ゆっくり頭を下げる。これで許してもらえるかは、分からないけれど。それでも。


「────ごめんなさい、圭」


 どれくらい頭を下げていただろう。圭はしばらく何も言わなかった。ぼくも顔を上げらえずにいた。許してもらえるか分からなかった。ただ、圭には許してほしい、と思った。このままさよならかもしれない、と思ったら怖かった。


 ふと、頭のてっぺんにふわっと何かが触れたような気がした。それが何かは分からなかったけど、すぐに圭の声がした。


「お前が謝ることなんてねえ、って言ってもお前はそうやって謝るんだろうな」


 だがな、と圭は語気を強めた。


「悪いことをしたのは俺だ。悪いことをした奴は謝らなきゃ道理が通らねえ。だから」


 圭はちゃぶ台から少し隣にずれ、両手を床につき、ぼくに頭を下げた。


「本当に、すまなかった。もしお前の記憶が戻ったら、そん時は容赦なくぶん殴ってくれ」

「────圭、」


「だが!」ガバッと起き上がりながら、圭は切実な目でぼくを見据えた。「それはそれとして、これからは事細かに訊いていくぞ、今後のためにもな! 嫌なら嫌って言ってくださいね!」






 それからは二人でご飯を食べながら、色んなことを話し合った。


「まず確認だが。お前が覚えていることはないんだよな」


 オムライスを豪快に頬張りながら、圭がスプーンの先をぼくに向ける。


「記憶を『身体の記憶』と『頭の記憶』の二つにとりあえず分けるとして。お前が忘れてるのは『頭の記憶』の方……、って解釈で合ってるか?」


 ぼくはおずおずと頷く。多分圭の言うとおりだ。


 シャワーの使い方も、スプーンの持ち方も、圭に教えてもらわなくても出来た(圭に指摘されるまで気付かなかったけど)。その代わり、ぼくは自分が誰なのか知らない。圭に拾われるまでどこに居たのかも、外に出てどこへ行くつもりだったのかも分からない。


「じゃあ次だ。お前は、じ、『自分が女の子だ』って自覚はあるんだな?」


 なぜか圭の声が震えているけれど、ぼくはもう一度頷いた。「うん。でも、それだけ」


「それだけ、ってのはどういう意味だ?」


「……う、上手く言えるか、分からないけど」そう前置きしつつ先を続ける。「ぼくは『自分が女の子だ』って知ってる。『圭が男の人だ』っていうのも、知ってる。でもそれだけ。圭が言うような、その先の話が分からない。性別の意味が、まだ分からない」


「ああ、なるほどな。具体的には『性別の違う二人が一つの家に住んでる』っていうことがどういう意味を持つのかが分からねえ、って話か」

「たぶん。そう」


 圭の雰囲気から考えてなんとなく、良くないことなんだろう、とは理解したけれど。それが実際にどういう意味を持っていて、どういう理屈で良くないのか。教えてもらったところで多分すぐには理解できない。教えてもらったとしても実感が持てない気がする。


「……分かった。こりゃ俺が気を付けねえとヤベェなやつだな……」

「? なにか言った?」

「いや、何でもねえよ。んじゃ次は、……そうだな、お前『ギャル』って単語は分かるか?」


 急な質問に面食らう。「う、うん。多分、だけど」



「そんじゃ聞くが。お前は自分が『ギャル』だと思うか?」

「……ううん、思わない。どうして?」

「いや。だってお前、髪染めてるだろ。気になってたんだよ。ピアスとかは開けてねえけど、爪も黄色く塗ってんだろ」

「? 『髪を染める』って『髪の色を変える』って意味、だよね?」


 念のため確認してから、ぼくは首を振った。「ぼく、染めてない。……多分、爪も」


「染めてない? その金髪が?」今度は圭が首をひねる番だったらしい。「それ地毛か?」


「地毛、だと思ってる、けど。違うの?」

「違うかは俺にも分かんねえよ……。でも、お前日本人だろ?」

「『日本人』? どうして?」

「…………どうして、ってなぁ。こっちが聞きたいんだが……」

「?」


 何だか圭と会話が嚙み合わない。圭の顔は、おそらくぼくの顔も、お互い「?」マークでいっぱいだ。歯車が少しずつずれていくみたいに、お互いの考えていることが読めなくなっていく。同じ言葉を話しているはず。ある程度意味も分かち合っているはず。それなのに、何かとても決定的な所で噛み合っていない気がする。


 しばらくして。


 ハァ、と根負けしたのは圭の方だった。「やめやめ、一旦止めだ。続きはまた今度な」


「もう、いいの?」

「ああ。お前も俺も疲れてんだよ、今日一日でイベント詰め込みすぎだ。頭が回ってねえの、お互いに。もうそろそろ日付も変わる。飯食って寝るぞ。どうせ明日もあるんだ」


 カッカッ、と最後のオムライスを一口で頬張る圭。ぼくもそれに倣って、残りの崩れたオムライスをかきこむ。


「空の容器はキッチンのゴミ袋に投げとけ。歯ブラシは予備のやつが洗面台の右上にあるから、ちゃんと歯ぁ磨いてから寝ろよ」


 テキパキぼくに指示を出しながら、圭は一足先にキッチン横の袋に空容器を投げ入れ、またモニター前に座った。圭の指がモニター側面に触れると、画面が淡い光を発し始める。


「圭は、寝ないの?」

「あ? 寝るよ、寝る寝る。……DМ送ってからな。すぐ終わる。先に電気消していいぞ」

「DМ?」

「連絡だよ。昔の知り合いに」


 圭はそれ以上答えなかった。ただモニターをじっと、真剣な表情で見つめるばかりだった。


 モニターの起動音。抑えたキーボードの音。それ以外の音が静まり返った部屋。締め切られたカーテンの隙間には昼とは違う、夜の黒が塗りこめられていた。まるでぼくと圭のいるこの部屋だけが、どこかに取り残されたみたいで。今日一日に起こった全部が、優しい夢にでも変わっていくような気にさせられる。


 何とも言えず穏やかな、静かな夜だった。






「ねえ圭、ぼく、この布団で寝ていいの?」

「お、お前が嫌じゃなけりゃ、だが……。まともな寝床、そこしかねえし……。いや! お前が気にするなら俺は別に外で寝たってだな、」

「気にしないよ? なんで? 圭も、一緒に寝るんでしょ?」

「…………んなワケねえだろ怖いこと言ってねえで良い子はさっさと寝てくださいね頼むからぁ!」

 




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