K汰 - メリィ
「よろしくね、メグちゃん?」
「────────どう、して、」
思わず耳を疑った。
少女は、ノアは、ぼくを「メグ」と呼んだ? どうして? いま初めて会ったのに?
もうぼくに気付いた?
次の瞬間、圭がぼくとノアの間に割って入った。大きな背中がぼくの視界からノアを覆い隠す。
「……あんた、何で知ってる」
圭の低い唸り声。蝉の声が遠く感じる。
「リズの奴も、あんたには言ってねえはずだ。どうしてこいつが『メグ』だって知ってる?」
静かに威嚇する圭。不信感を孕んだ声音。でも圭の背後から覗き見えたノアは、困ったように笑うだけだった。
「うーん。どうして、って言われても。ただの直感だよ?」
「信じろってか?」
「ふふ、君はとっても警戒心が強いんだね」
ノアは圭の睨みが気にならないのか、軽やかに、涼やかに笑う。
「君が『K汰』君かな。ZIPANDAちゃんから聞いてた通りの人だね、その子のことが大事だっていうのがすごく伝わってくるよ」
「はぐらかすな。さっさと答えろ。それともお前か、『五重奏』のメンバーってのは」
「『五重奏』?」
ノアは目を見開いて、少し首を傾げたけれど、困ったような笑顔のままゆっくりと首を振った。
「ごめんね、K汰君。でもたぶん誤解だよ。わたしがその子を『メグちゃん』って呼んだのは、本当に直感なの。声を聞いた瞬間に思い出した、って言うのかな」
「思い出した? 何を?」
「自分が作ってきた曲を。自分が創ってきた過去を。わたしだって『メグ曲』を作ってたみたいだし、君達もそれを聞くためにわたしに会いに来てくれたんでしょ?」
ノアはその透き通った声で歌うようにそう言いながら、再びベンチに腰を下ろした。空いたスペースをぽんぽん、と優しく叩く。その表面を木洩れ日が波のように揺れる。
「ほら、座って。ゆっくりお話ししようよ、ね?」
ノアの誘いに、圭がちらりと横目でぼくに目配せした。多分圭はまだノアのことを信用していない。だけど。
ここまで来て、みんなの助けを借りてここまで来ておいて、逃げ出したくない。
圭の目配せに力強く頷く。ぼくは、もう守られるだけにはなりたくない。
じっと見下ろしていた圭は、しばらくしてハァと呆れたようにため息をついた。
「わぁーったよ。聞きたいことあるならさっさと聞け」
「……! ありがとう、圭!」
「ただし」と、圭がノアを睨む。「妙な動きしてみろ。少女だろうとブッ飛ばしてやる」
ノアが一瞬きょとんとする。が、それもつかの間、彼女はすぐに相好を崩した。
「ふふ、ありがとうK汰君。想像してた通り、やっぱり君は優しいね」
「……なんか調子狂うな、くそっ」
それじゃあ、とノアが口を開いた。
「君達は『メグちゃん』の足跡を探すために、色んな人に聞いて回ろうとしているんだね」
ぼくは頷く。ぬるい風に合わせて、木洩れ日が音もなくぼくらの上をなぞっていく。
「……うん。ぼくは、『メグ』が何者なのか知りたい。ぼくの過去が知りたいんだ」
「それはどうして?」
ぼくは少しだけ言葉に詰まる。
「……どう言ったらいいか、難しい」
つい、とノアを見やる。ノアは涼やかに微笑みながら、ぼくの言葉を待っているようだった。
自分の脚先に視線を移す。少しだけ目を閉じて、言葉がふつふつと湧いてくるのを待つ。
「……ぼくは、昔のぼくが『メグ』だったって知った。でもぼくには記憶が無い。何を頼ればいいのか分からない。何にもできなくて、みんなに守られてばっかりで」
そうだ。ぼくには何もない。何かをする力もないし、何かを信じられるほどの自分がない。
でも。
「でもリズが──ZIPANDAが、言ってくれたんだ。『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』って。だからぼくは『メグ』を知りたい。ぼくの過去を知りたい」
たとえ知らなくてもいいことだったとしても。知ったことで頭が痛くなって、思い出したくないことを思い出してしまうことになったとしても。
「────ぼくが、みんなと居るために」
ノアは、ぼくの話を静かに聞いていた。蝉の声に混じって、どこかの家から風鈴の音が微かに聞こえていた。
しばらくして、ノアが「そっかぁ」とつぶやいた。
「ZIPANDAちゃんから聞いてたのは、『最近騒がれてるメグについて調べている人達がいるから知っていることがあれば協力してあげてほしい』ってだけだったから。今やっと貴方のことを理解できた。教えてくれてありがとう」
「う、ううん。ありがとう、って言われることは」
ぼくは慌てて首を振る。本心を話しただけなのに感謝されるとは思わなかったから、何だか焦ってしまう。
「でも、そっかぁ。それじゃあ、あんまり貴方のこと『メグちゃん』って呼んじゃ失礼だよね。もう他のお名前はあるのかな?」
「い、いや、まだ……。好きに、呼んで、くれたら、」
「ふふふ、君は優しいね。わたしも少し考えておくね!」
また感謝されてしまった……。かえって焦りが増してしまう。
ただノアは、ごめんね、と困ったように笑った。
「ZIPANDAちゃんへの返信でも言ったけど、わたしもあんまり知らないんだぁ。わたしが昔『メグちゃん』で曲を作っていたこと。『メグちゃん』のことをわたし達が忘れていること。『メグちゃん』自身もネットから姿を消しちゃったこと。そのくらいかな。『メグちゃん』のイラストだってつい最近、他のみんなと同じタイミングで思い出したくらいだから」
「そっか……」
少しだけ気持ちが落ち込む。やっぱりノアも他の人と同じくらいのことしか知らない。最初だし期待し過ぎない方が、と出掛ける前にたまも言っていたけど。やっぱり「メグ」のことはすぐに辿り着かないんだ。
落ち込むぼくから少し離れた所から、圭が声を上げた。
「あんた……ノアっつったか。あんたはいつ、自分がメグ曲作ってたって思い出したんだ?」
「みんなが『メグちゃん』のことを噂し始めた頃からだから、大体2ヵ月前くらいからかな? いつもみたいに完成した曲を投稿しようとして、そこで覚えのない曲があることに気付いたの。『何でだろう?』って不思議には思ってたんだけど、それ以降はあんまり気に留めてなかったんだぁ。この前『メグちゃん』のイラストが急に回ってきて初めて、自分が忘れてるって気付いたの」
2ヵ月前。たまが言ってた時期と一致する。圭が質問を重ねる。
「気に留めてなかったのは何でだ? 自分が憶えてねえ曲が手元にあったら普通ビビるだろ?」
ノアは再び困ったような笑みを浮かべた。
「うーん、そういうこともあるかな、って思って」
「そういうこともある、ってなあ……」
「それにその曲ね、再生数がかなり多かったし、曲数もそれなりにあったから。特に気にしなくてもいいかなって思ったんだ」
「……再生数が多かったから? 出来が良かったから消すにはもったいねえって話か? それともNovodyが有名Pだっていう自己顕示か?」
「ちょ、ちょっと圭、」
思わず圭を止めたけど、ノア自身は静かに笑って首を振っただけだった。
「ううん、それは違うよ。気にしなかったのはわたしの為じゃなくて、みんなの為」
「みんなの……」
「そうだよ。わたしの曲を聴いてくれたみんなの為」
ぼくのつぶやきにそっと頷き、ノアは胸に手を当てた。
「────わたしの曲でたくさんのみんなが救われてくれた、その証だから」
木洩れ日の下、風吹き抜けるベンチで、胸に手を当てながら優しい笑みを浮かべるノアは。安易には触れがたい、どこか遠い存在のように感じられて。
それこそ、カミサマみたいな。
そんなノアを圭はじっと見つめながら、静かに口を開いた。
「ここに来る前までにあんたの曲を全部聞いた。だがあんたも知っての通り、現状じゃあメグ曲の大半はそもそも再生できねえ。実際あんたの曲は、再生できたとしても伴奏しか入ってねえやつばっかだった。音源が手元に揃ってんだろうが、それでもあんたは『誰かを救えた』って自信を持って言うのか?」
試すような圭の視線に、それでもノアは涼やかにはにかむだけだった。
「それがあんたの曲ってか……。まあいい、あんたが大して知らねえのは分かった。そんじゃ最後に聞かせろ」
圭は一瞬言葉を切り、真っ直ぐノアを見据えた。
「────────あんたも、変な力を持ってんのか」
圭の言葉に、ノアは少し驚いた様子を見せた。でもその表情はすぐに納得したものに変わった。
「そっかぁ。あのK汰君だったら絶対に知ってるだろうな、って思ってたけど、やっぱりそれも聞きに来たんだね」
「! じゃあノアも、」
驚くぼくに、ノアは何でもない、といった風に頷いた。
「そうだよ。わたしも、その『変な力』を持ってるんだぁ。多分わたしの作った曲が元になっているんじゃないかな?」
「そこまで気付いてんのか……。なら話が早え、どの曲だ?」
圭の問いかけに、ノアは明るく笑って答えた。真っ青に晴れた夏空にふさわしい、澄み渡った晴れやかな笑顔だった。
「────────『カインの囚人』。効果は『誰にも傷つけられない』、かな?」




