K汰 - 走査線上のマリア
「ど、うして……」
「おい。どうした、大丈夫か?」
圭が心配そうに肩を揺すってくれるけれど、それどころじゃ無かった。リズのスマホの画面に映ったアサヒのイラスト。その女の子の姿から目が離せなかった。
だって、この子だ。
「この、女の子。さっき、夢に出てきた……」
ようやく、そう言った。みんなの表情がサッと変わる。
「ソレって、さっき言いかけてた『変な夢』のコト?」と、リズ。
「じゃあ、やっぱり……」と、たまも息を呑む。
「……ああ、間違いねえ。こいつだ──いや、こいつしかありえねえ。……やっとだ、やっと、想い出した」
圭が言う。ささやくほどに小さな声で、溢れ出す感情を必死に落ち着かせようとするかのように。どこか安堵にも似た溜め息とともに。
「────────こいつが、唄川メグだ」
しばらく誰も言葉を発せなかった。圭は、その目に焼き付けようとでもするみたいに凝視していた。たまも無言のまま、食い入るように、それまでの時間を取り戻そうとしているようにも見えた。ぼくも言葉が出てこなかった。
描かれた青い少女。画面に映されたバーチャルシンガー。
かつての『唄川メグ』の姿。
記憶が無い。実感も無い。ただ顔が似ているだけの別人に思える。それでも、どうしようもなく理解できてしまう。ああそうだ、って。
これが『ぼく』なんだ、って。
ようやく、リズが戸惑うように口を割った。
「でも、どうしてカシラ。どうして、今になって」
〈……分からない〉と、アサヒの声。〈本当に急だったもの。朝起きて、いつもみたいに家事をしながら『メグ』のことを考えてたの。そうしたら突然パッと思い出せたのよ。……ううん、それも違うな、何て言えばいいんだろう。急に見えるようになった、っていうか……〉
「そんな情報どうでもいいよ」たまが少しイライラした様子で割って入った。「それよりK汰。早く調べてよ」
圭がムッとした顔をたまに向ける。「何であんたに指図されなきゃなんねえんだよ」
今度はたまが、わざとらしくハァ、とため息を吐いた。「脳みそ使えないの? おまえがボクのスマホ勝手に使ってるんじゃん。触らせる気がないから取り上げたくせに必要な時にさっさと使わないとか、何がしたいの? 頭サルなの?」
「いちいち突っかかった物言いしねえと満足に喋れねえクソガキに言われたかねえな?」
「はい、パワハラー。前時代的なオジサンはこれだから」
「そっちこそモラハラだろっ。あと俺はれっきとした29だオジサンじゃねえんだよっ」
〈……え、何この会話〉
突如繰り広げられる罵り合いに、電話の向こうのアサヒが困惑している。
〈というか誰なの、その声? リズちゃんの知り合い?〉
あー、とリズが口ごもる。「ええっと……。紹介するわネ、ヒロちゃん。……あのコが『にくたまうどん』ちゃんなの」
〈────────ふぅん〉
突然、アサヒの声の温度が下がった。
〈じゃあ、私もちゃんと『挨拶して』おかなきゃよね────?〉
「ヒロちゃん? 変なルビ振っちゃダメよォ?」
〈ねぇ、そこの男の子? 『にくたまうどん』だっけ?〉
アサヒが軽い調子でたまに声を掛ける。けど、声に感情が乗っていない。呼ばれたたまもビクッと肩を震わせた。
「な、なに急に……」
〈初めまして、私は『ヒロアキ』。いまはアサヒって呼ばれることが多いの、よろしく。君の話はリズちゃんから聞いてるわ。なんでもリズちゃん家に押し入って、その子を連れ出そうとしたんだって? そのことについて───────ずっと、会って話してみたいと思っていたのよ〉
その瞬間、アサヒの声色が氷点下まで下がる。
〈いまからそっちに遊びに行ってもいいわよね?〉
「ヒロちゃーん、一旦落ち着きましょうネー? 見えてないでしょうケド、にくたまちゃんもう虫の息よォ?」
リズが穏やかにアサヒを宥める。リズの言う通り、数秒前からたまは身動き一つ、呼吸一つできていないように見える。うろ覚えだけど、こういうのを「蛇に睨まれた蛙」と言うんだろうか。ぼくも隣で聞いてて分かった。
アサヒは、絶対に怒らせちゃいけないということを……。
「そ、それより、たま!」自分でも不思議なくらい明るい声が出せた。空気を換えるように、必死にたまに尋ねる。「さっき圭に言ってた『調べて』って、なに?」
「……あ、ああ、それね、えっと」
アサヒの猛吹雪から解凍されたたまが冷や汗を拭う。
「ネットを調べてほしいんだ。特にツイッター」
「『ついったー』?」
「……君には馴染みがないかな。SNSだよ、ネット民が好き勝手独り言をつぶやいてる場所。下手したら今ちょっとした騒ぎになってるかも、って思ってさ」
首を傾げるばかりのぼく。その隣で圭はスマホを操作し、ああ、と呟いた。「なるほど。確かに、これは『ちょっとした騒ぎ』だな」
「どうしたの、圭?」
圭はぼくにも見えるようにスマホを向けてくれた。画面を覗き込んだ後、ぼくは圭の横顔を窺った。
「…………これ、全部?」と、ぼく。
「ああ。これ全部」と、圭。
圭が画面をスクロールする。その空間の全てに、あの「唄川メグ」の絵がズラリと並ぶ。延々と、延々と、とどまることなく。
「やっぱりね」と、たまが頬杖を突いた。「思い出したのはボクらだけじゃない──みんなだ。キミを知っているみんなが一斉に思い出したんだ。『唄川メグ』の本当の姿を」
「でも、どうして……」
追い切れないほど掲載された「メグ」の絵の数々。それに付随した夥しい数のコメント。
……ぼくには記憶が無い。頭の中に何も無い。だから、ぼくは厳密には「メグ」本人じゃない。それは分かっている、のに。
落ち着かない。圭の腕を握るのが精いっぱい。怖い。
ぼくが、みんなの目に晒されているようで、怖い。
たまは複雑そうな表情で首を振った。
「分からない。勘だけど、たぶん電子海に潜ったところで分からないと思う。……でも、確かなことが一つある」
「たしかな、こと……」
たまがぼくを一瞥して、そっと目を伏せた。
「君の顔だよ。君の顔は『唄川メグ』と全くの同一だからさ。……まあ『メグ』本人なんだから当たり前なんだけど……。でも大事だよ。髪色とか瞳の色とか雰囲気とか、違うところはたくさんあるけど、それでも顔は一緒」
だから、とたまは言う。
「───────あいつらに追われやすくなる」
「『あいつら』?」圭が疑問の声を上げる。「『あいつら』って誰だ?」
「……忘れてた。おまえには話してなかったや」
しょうがないなぁ、とため息を吐いて、たまは昨日ぼくとリズに話してくれたことをもう一度話し出した。
「『メグ』のことを探してる奴らがいるんだよ。おまえらと同じように、『メグ』は実在した、って信じてる奴らがさ。『都市伝説でもステマでもミームでもない』『虚数の歌姫でもない』『メグは確実に此の世に居たんだ!』って」
「そりゃあ、そういう奴らもいたっておかしくねえだろ。散々騒がれてたしな」と、圭。
「違うよ」
たまは呆れたように圭の言葉を一蹴した。
「そんな面白がるだけな奴らの話を今すると思う? 違うよ、あいつらは。最初から自信の強度が違うんだ。『メグ』騒動が始まった直後から自分たちでコミュニティ作って、他のPに積極的に接触してまで情報収集して、定期的にDMとかディスコードでその情報を共有する。……そんな連中を、おまえは『そういう奴ら』って言うの?」
圭の顔が次第に曇っていく。「……ただの信者じゃねえってことか?」
「信者じゃない。『メグが実在したって信じたい』ってだけの奴らじゃない。ボクは興味ないけど、多分メンバー全員がそれぞれちゃんとした目的を持って動いてる」
「…………まさか、あんた、」
圭が疑わしげな目を向け、たまが不貞腐れた声を上げた。
「一応言っておいてあげるけど、ボクはメンバーじゃないからね。おまえに信じてもらわなくたって痛くも痒くもないけど」
「だったら、何でそんなに詳しいんだよ?」
「誘われたんだよ。『一緒にメグを探しませんか?』ってさ。ま、ちょーっとだけ参加する振りして、情報探るだけ探って抜けてやったけど!」
たまはそこで一度言葉を切った。「でも、あの連中が集めた情報は確かだよ。特に『異能』についての情報は実体験も含めてるからか、確度が恐ろしく高い。……悔しいけど、現時点で『唄川メグ』の全貌に一番近いのは、多分あいつらだよ」
「ちょ、ちょっと待て」
圭がたまの話を遮る。「『実体験』って……。まさか、そいつら」
「やっと気付いた? そいつらも全員Pなんだよ。ボクが参加してた時は全員匿名だったから、それぞれどのPか特定することは出来なかったけど」
でも、とたまは自虐的に笑う。
「話を聞いた限り、全員ただのPじゃない。リスナーの数も、知名度も桁違い。文字通りの『頂点』だよ。そんな奴らが『メグ』を探してるんだ。しかも今回は『メグ』の姿をネット民全員が認識した。あいつらが動かないわけがない。そしたら最後、おまえらがその子を隠し通せるかも分からない」
たまが、その卑屈な笑みを圭に向ける。
「───────どう、ちょっとは自覚した? いま自分たちが置かれてる状況、ってやつをさ?」




