K汰 - アウトオブ ザ ブルーガール
不思議な夢を見た。
どうして自分でそう思えたのかは分からない。でも、絶対にこれは夢だ、とぼくには思えた。
アサヒから借りたものとは違う服を着て、…………いや、違う。
この夢は前に見たことがある。白い世界に一人で浮いている夢だ。でも、これは前とは違う。
第一に、ぼくの服はアサヒから借りたもののままだった。白地にグレーとブルーのチェックが入ったボタンシャツ。その上から着た、真っ白い七分丈のパーカー。足の線に沿った細身の黒いパンツ。寸分たがわず同じ服を着て、ぼくは白く塗り潰された世界にぽつん、と浮いていた。そして第二に。
────ぼく以外に、もう1人いた。
薄水色のセーラー服。ふわりと広がるプリーツスカート。白いハイソックス。
それから、溺れそうなほどに真っ青な瞳。
真っ青なロングヘア―はまるで綺麗なせせらぎのように、白い世界の中で揺らめいていて。
鮮やかな青空色のマニキュアは、透き通るような白い指に映えていた。
そんな青い少女が、ぼくと向かい合うように、白い世界に浮いていた。
誰だろう。彼女は誰だろう。どうして、ぼくは、彼女を、
いや。そうだ。ぼくはこの子を知っている。だって彼女は、
その瞬間、少女はぼくの想いに呼応するようにそっと微笑んで、その淡い桃色の唇を開いた。
声もなく。音もなく微笑む。まるで神様のように、ぼくの顔で。
『こんにちは、私の名前は唄川メグです────────』
ガバッ! と飛び起きた。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
呼吸が落ち着かない。動悸が収まらない。まだ視界はぼやけたまま。頭の整理が追い付かない。息ばかりが急いて思考が定まらない。
いまのはなに?
いまのは誰?
ぼくは、あれは、
「アラ、キティちゃんも起きた?」
驚いて振り向くと、リズが台所に立っていた。こちらに背を向けてフライパンを揺すりながら、何かを焼いているようだった。香ばしい匂いが鼻先をくすぐる。「ぐっすり眠れたカシラ……って、どうしたノ? 顔色が悪いわよォ?」
リズはコンロの火を切りながら、心配そうにぼくの目線までしゃがみこんだ。
「ダイジョウブ? 変な夢でも見た? ……たまチャン、何かしてないでしょうネ?」
「馬鹿なこと言わないでよ。すぐ他人の所為にするってヒトとしてどうなの?」
リズの視線を追った先にたまもいた。いまは実体化しているようで、ぼくがいる布団から少し離れたテーブルに座っている。呆れたように頬杖をついてリズを睨んでいる。「さすがに頭悪くない?」
「ふ、ふたりともっ」
二人の会話を遮るようにリズの腕にしがみついた。焦っているからか、思うように舌が回らない。
「ここは? いまはいつ? ぼくは、どれくらい、寝てた? なにか、か、かわった、ことは、」
「……キティちゃん」
リズがそっとぼくの肩を掴んだ。言い聞かせるように低く穏やかに、ぼくの耳元でつぶやく。「落ち着いて。一度深呼吸しまショ。大丈夫よォ。いまは怖いコトなんて無いわァ」
リズのカウントに合わせて、ゆっくり息を吸った。少し喉が攣った。震えるままにゆっくりと吐いた。吸って、吐いて。吸って、吐いて。
……ようやく少し落ち着いた。まだ視界はぼんやりしつつも、先ほどまでの焦りは鎮まっている。
「ン、少し落ち着いたわネ。一応言うケレド、ここはK汰ちゃんの部屋。いまは朝よ。K汰ちゃんは、たまチャンの家の確認が終わって帰ってきている途中。もうすぐ着くって連絡があったワ。貴女は待ちきれず眠ってた。それ以外には特に何も、ってところネ」
「だ、大丈夫、君?」心配そうにぼくを覗き込むたま。「何かあったの?」
ぼくも、ゆっくりと頷く。心音はまだ少し不安定だ。
「ちょっと、変な夢を、見て……」
「変な夢?」と、たま。
そのとき玄関の鍵がガチャリと回る音がした。
「たでぇまー。クッソ疲れたぁ……」
声とともに、疲れ切った顔の圭が部屋に姿を現す。「徹夜で歩き通しとか『夜のピクニック』かよ……。三十路手前の体力の無さ舐めんじゃねえぞクソッたれ……」
「『クソクソ』言っちゃダメよォ、K汰ちゃん。お里が知れちゃうワ」リズが窘める。「それよりK汰ちゃん。いま、」
そうリズが言いかけた時。
ム゛ーッ ム゛ーッ ム゛ーッ
部屋に不思議な音が響き渡った。
「アラごめんなさい。アタクシだわァ」
気付いたリズがぼくの元を離れる。部屋の隅へ行き、スマホを取り上げた。リズのものだろうか。
「アラ、ヒロちゃんから電話」つぶやいたリズは画面をなぞった後、スマホを耳に当てた。「もしもしィ、ヒロちゃん?」
〈リズちゃん、今いい!?〉通話口からアサヒの切羽詰まった声が聞こえた。離れたぼくらにも聞こえるくらいの声量に、リズが困惑気味に少しだけ耳を離す。
「……そりゃあイイけれど。もし良かったら、少しだけ待って、」
〈ごめん急用なの! いや本当は急用ってほど急用じゃないんだけど、でも、それが、何から話せばいいか、ええっと、……とにかく画像送るわ!! 今すぐ見て!!〉
すぐさまリズのスマホがピコン、と鳴った。
「ンもう、ヒロちゃんまで一体どうしちゃった、の……」
突然、リズが固まった。目を見開いたまま。言葉も発さず。ただ画面に釘付けになって。
「……リズ? どうした?」眉をひそめる圭。
リズは驚いた顔のまま、ゆっくりとぼくらを振り返った。強張った口を何とか動かして。震える声で。
「…………コレ。コレよ。思い出した。アタクシもいま、思い出した」
リズが画面をぼくらに向ける。
そして、ぼくらは息を呑む。
〈……今朝、急に思い出したの。思い出せたの〉
アサヒの真剣な声が再び聞こえる。でもその声は頭に入ることなく、ただ部屋に反響するだけで。
ぼくらは画面から目が離せない。画面に映されたイラストから、目が。
〈迷わず描いたの。まだ朧気で、細部の自信はないけど。でも描きながら分かった。私の指が、絶対にこれがそうだ、って確信した。間違いないわ〉
画面に描き殴られた、女の子の絵。
青い瞳。青い髪。青いマニキュア。
ぼくの夢に出てきた、セーラー服の女の子。
〈────────この子が、『唄川メグ』よ〉




