K汰 - 片蔭
「ねえ、圭」
「……なんだ」
「だいじょうぶ? すごく暑そう」
「別に、暑くねえし。これぐらい何とも、ねえし……ぅぷ」
そう言ってるそばから、圭の額からは玉のような汗が幾つもいくつも滴り落ちてくる。真っ青な空の下、じりじり照り付ける太陽を背に歩いているのに、ぶ厚いパーカーを頭から被っている圭。
「それよりもいいか、先に言っておくがな。俺には金がねえ」
「かね」
「何でも買えるわけじゃねえからな。今日買うのは弁当とアイス、それだけだ。俺はアイスコーナー見るから、お前は弁当コーナー行っとけ。弁当は割引シール付いてるやつ選べよ。終わったらさっさと帰んぞ」
「わ、わりび、?」
「それも知らねえのか? ……仕方ねえな、一緒に回るか」
スタスタ歩く圭に追いつこうと、必死に歩を進める。圭から借りたサンダルはぶかぶかで、脱げないように親指と人差し指で挟むのが大変だ。
「ねえ、圭。『スーパー』までどれくらい?」
「んな遠くねえよ。すぐ着く」
周りにはいくつか家があるけど、シンと静まり返っている。代わりにどこもかしこも蝉の声でいっぱいだった。家の隙間からちらちら見える草地の緑が、鮮やかで眩しい。焦げるような暑さと合わさって目が眩みそうだ。玄関扉を開けた時は何故か首筋がざわざわしていたけれど、周囲の景色のせいなのか、"外"は思っていたよりも普通だった。
そうやって圭の背中を追いかけて2、3分。ふいに少し道が開けた。
「……わぁ」
それなりに広い駐車場。数台の車。その向こうに、平たい建物が見えた。
「どうした、スーパーも珍しいか」
「うん。圭の家よりおっきいね」
「当たり前だろナメてんのか」
建物の入口に大きく書かれた「ぽかぽかマート」の文字。その横には野菜や魚がにぎやかに描かれている。ガラス張りの向こうは明るいライトでキラキラ照らされていた。それから、
────自動ドアから、ヒトが出てきた。
「お、まだ人少ねえな。ラッキー。こりゃ弁当選べるかもな」
「! ま、まって、」
遅かった。
圭は数歩先。背中に手を伸ばしたけど。
圭はもう自動ドアをくぐっていて。ドアの隙間から中の冷房がそっと流れ出てきていて。
中には。
「────痛ッ! おい急に何だ、」
圭の言葉が途切れた。
振り返ってぼくを見ている、と思う。でも確かめられない。顔を上げられない。
圭の背中に顔をうずめたまま、うごけない。
「……おい、どうした」
身体が固い。足がすくむ。圭の背中をつまんだままの両手がぶるぶる震える。
「なんだよ、どうしたんだよ、なんか言えよ、」
いきがくるしい。視界が歪む。圭の背中に顔をうずめているのに、わかる。周りの景色がわかる。
ヒトがいる。たくさんいる。
「おい、わかった、とりあえず放せ、」
「ちょっとお兄さん大丈夫? その子どうしたの」
「え、あ、いやあ、な、なんでしょうね、疲れちゃったかなあ、あはは……」
圭が誰かと話しているのが聞こえる。ヒトがいる。他にもヒトがいる。
視界が歪む。周りにヒトがたくさんいる。ぼくをみてる。じっとぼくのことをみてる。ヒトがいる。そこにも、そこにもそこにもそこにもヒトがいるぼくをみてる。じっとぼくをみてる。ヒトだ。ヒトだヒトがヒトがヒトひと一ヒト人ヒト人ヒト人ヒト人ヒトひとひとひとひとひとひとひとひとひとひとひとひとひとひとひとあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
「────────しっかりしろッ!」
ほっぺに、痛みがはしった。
めのまえが、ゆっくり、戻っていく。
目のまえに圭がいる。ぼくのほっぺに両手を添えて、じっとぼくを見ている。
じっと、じっとぼくを見てくれている。不安そうな、でも心配そうな目で。
優しく、控えめに、そっとぼくを覗き込んでくれていた。
まだ少し震える手を、圭の手に重ねた。
あったかい手。圭の、あったかい手。
「…………け、い」
次の瞬間、今度は視界がふわっと滲んだ。少し遅れて、自分が泣いているんだと分かった。
それからの圭は素早かった。ぼくはすぐさま圭に抱きかかえられた。二人、お互い汗ばんだTシャツの向こうで、圭の心音が聞こえる。
「すんませんおばさん、こいつ疲れちゃったみたいで。ご心配おかけしました」
「え、ああそれは別に良いんだけど。本当に大丈夫? 救急車とか」
「いえ、多分こいつ、……いや、何でも無いっす。うちでゆっくり休ませます」
そんじゃ、と言い残して圭が歩き出す。その振動を圭の腕の中で感じる。
ほの明るい圭の腕の中。再び夏の太陽が肌を焼く感覚。息を吹き返す蝉の大合唱。目を閉じたまま、全てを圭に委ねたまま、ぼくは運ばれていく。
「────ごめん、なさい、圭」
そうつぶやく。
圭は聞こえなかったのか。それとも聞こえないふりなのか。何も言わなかった。
ただ、ぼくを抱える両腕に少し力がこもった気がした。痛いのに優しかった。
蝉ばかりうるさい真夏の下。無言のまま、ぼくらは来た道を戻る。